あらすじ
コロナ禍以前の2019年より、自身の乳がん発覚から治療を行った22年にかけて発表された7編と書き下ろし1編を含む、全8編を収録。誰かの価値観を押し付けられることが多いこの国で、自分のヒーローは自分でしかない。フィクションだからこそ描ける、「自分を生きたい」という力強いメッセージに溢れた傑作。


ひと言
書店員さんのコメントに「心の奥底に封印しているもの、表に出せないでいるものを、この一冊がこっぱみじんにしてくれました。そして、どこまでも、自分を大切にしようと語りかけてくる。この本を1人でも多くの人に読んでもらいたい。」というものがありました。自身の乳がんと闘った西さんがすべての毎日を闘う女性のために書かれた本だと思いますが、 「わたしに会いたい」の副題である I miss me がすべてを表しているように思いました。この本を読んですぐに「くもをさがす」も読んでみたいと図書館に予約を入れました。

そもそも私たちは、散々、乳房をさらけ出してきた。Instagramも、それはOKにしている。男性と女性で違うのぱ、乳首ではなく、乳房の有無のはずだ。なのにどうして、私たちは乳房を晒し、乳首を隠さなければいけないのだろう。小さな水着で、貝殻で、あんなに必死に??謎は深まるばかりだった。その謎に答えをくれるかのように、露(あらわ)のパソコンに、ある記事が現れた。
それは、現代の若者たちが、いずれコロナ禍が収まったとしても、今後マスク無しではもう生活出来ないだろう、というものだった。大学生や高校生たちは、入学当時からずっとマスクをつけている。つまり彼らは、クラスメイトや同級生たちに、自分のマスク無しの顔を、ほとんど見せていない(もちろんそれは、職場でも同じだ)。その生活を続けてゆくうち、彼らはマスクを取るのが、恥ずかしくなったのだという。お弁当を食べるときに口を見られるのが嫌でたまらないから、トイレで食べている、そう答えている女子学生までいた。コロナ禍の前は、彼らは人前で何かを食べていた。鼻だって口だって、堂々と見せていた。なのに、それらを(図らずも)隠し続けた結果、ただ見せることに抵抗を感じるようになる。つまり人間は、何かを隠し続けると、それが恥ずかしいものになるのだ。
露は合点がいった。私かずっと乳首を隠していたことで、いつしか乳首が「恥ずかしいもの」になってしまったんだ。そして、私のグラビアを見ていた人は、それが「恥ずかしいもの」だからこそ、あんなに見たがったのだ!
(あらわ)