あらすじ

死んだはずの名投手とのプレーボール 戦争に断ち切られた青春 京都が生んだ、やさしい奇跡
女子全国高校駅伝――都大路にピンチランナーとして挑む、絶望的に方向音痴な女子高校生。
謎の草野球大会――借金のカタに、早朝の御所G(グラウンド)でたまひで杯に参加する羽目になった大学生。
京都で起きる、幻のような出会いが生んだドラマとは ―― 今度のマキメは、じんわり優しく、少し切ない青春の、愛しく、ほろ苦い味わいを綴る感動作2篇
(第170回 直木賞受賞作)


好きな作家である万城目 学さんが直木賞を受賞したというニュースを見て、すぐに図書館に予約を入れました。『鴨川ホルモー』(京都)、『鹿男あをによし』(奈良)、『プリンセス・トヨトミ』(大阪)、『偉大なる、しゅららぼん』(滋賀)と関西を舞台にした作品 どれもバカらしいけど、とてもおもしろく読ませてもらいました。このブログを書くにあたりネットで調べると『八月の御所グラウンド』は『ホルモー六景』以来16年ぶりとなる京都を舞台とした小説とありました。えっ!『ホルモー六景』読んでない。やっぱり万城目さんは京都を舞台にした小説が似合うと思います。借りて読まなくっちゃ。それと建勲神社から観る五山の送り火、一度見てみたいです。万城目さん直木賞受賞おめでとうございます。

地元のシャッターだらけの駅前商店街とは違う、前後にどこまでも店が続く眺めに、「すごいね!」と私が素直に感嘆の声を上げると、隣を歩く咲桜莉が、「そらそうよ、新京極よ。京極が新しくなっちゃってるんだから、もう無敵よ」とよくわからぬ理屈とともに、ズドンとアーケードが続く様を両手を広げて紹介した。私たちは上機嫌だった。
(十二月の都大路上下ル)

京都に来てわかったことがある。夏の殺人的な蒸し暑さと、冬の無慈悲な底冷えの寒さを交互に経験することで、京都の若者は、刀鍛冶が鉄を真っ赤になるまで熱し、それを冷水に浸すが如く、好むと好まざるとにかかわらず、奇妙な切れ味を持った人間刀身へと鍛錬されていく。
(十二月の都大路上下ル)

「朽木君は沢村栄治のことを知っていましたか?」野球界の偉人としての名前くらいだと正直に答えた。「沢村栄治は一九一七年に生まれました。小学生のときに野球を始め、甲子園での活躍で注目されたことで、日本最初のプロ野球チームである、大日本東京野球倶楽部の創設メンバー十九名のひとりに、わずか十七歳で抜擢されます。その後、東京巨人軍と名前を変えたチームで、沢村栄治はエースとして活躍しました。十九歳のとき、日本プロ野球史上初のノーヒット ・ノーランを記録します。二十歳のとき、日本プロ野球最初のMVPに選ばれました。しかし、二十一歳になる直前に一度目の軍の召集を受けます。それから二年余りの軍隊生活を経て、二十三歳でプロ野球に復帰。そのシーズンでは自身三度目のノーヒット・ノーランを達成しました。二十四歳で二度目の召集。二士五歳で帰国して半年後の試合が、彼にとって最後の登板になりました。二度目の召集により 、フィリピンへ向かう輸送船に乗りましたが 、一九四四年十二月二日、魚雷を受けて船は沈没。二十七歳でした」……。……。「沢村栄治がエースだった東京巨人軍って、読売シャイアンツ ―― 、要は今の巨人のことですよね?」「はい。彼の活躍を称え、沢村栄治の背番号14番は巨人の永久欠番です。日本プロ野球で最初の永久欠番になりました」……。……。「沢村栄治の出身地は三重県の宇治山田です。小学生のときに投手としての素質を見こまれ、小学校卒業後、京都の学校に進みました。そこに在学中、甲子園には三度、出場しています。最後の召集を受けたとき、彼は京都の伏見連隊に入営しました。どうでしょう。京都にゆかりがある人物と言えないでしょうか?」
(八月の御所グラウンド)

午後七時、俺は下宿を出発し、北大路通を一路西へ、大徳寺が見えたところで左折、しばらく進んだところに見える鳥居の前で自転車を降りた。先に到着していた水色のアロハシャツに短パン姿の多聞が「おう」と手を挙げる。大きな鳥居の横の石には「建勲神社」と刻まれていた。よっこらせ、と鳥居を潜った先から始まる石段を上り続けると、急に視界が開けた。低い建物が肩を寄せ合う街並みを「おお」と眺めていたら、「ほれ」と多聞が指差した。町を取り囲むように山の稜線がだらだらと連なり、山並みが一カ所盛り上がったところに、お目当ての大文字山がこんもりとそびえていた。薄曇りの空を背に「大」の字もくっきりとうかがえる。「よく、こんな場所を知ってたな」いかにも穴場の風情漂う場所であることに驚いていると、「店のお客さんに教えてもらった」と多聞が納得の理由を教えてくれた。
(八月の御所グラウンド)