あらすじ
親や学校、すべてにイライラした毎日を送る中2の百合。母親とケンカをして家を飛び出し、目をさますとそこは70年前、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰に助けられ、彼と過ごす日々の中、百合は彰の誠実さと優しさに惹かれていく。しかし、彼は特攻隊員で、ほどなく命を懸けて戦地に飛び立つ運命だった――。のちに百合は、期せずして彰の本当の想いを知る…。涙なくしては読めない、怒濤のラストは圧巻。


ひと言
今年の最初の一冊としてこの本に出会えたことはほんとうに幸せでした。昨年の11月この小説にも出てくる鹿児島の知覧特攻平和会館を訪れる機会に恵まれました。沖縄戦の特攻に出撃、戦死された順に飾られた1036名ものおびただしい遺影。最初の遺影の日付は1945年3月26日、まさに米軍が慶良間諸島に上陸し沖縄戦と呼ばれる戦いが始まったちょうどその日に、沖縄を守ろうと知覧から沖縄に向けて飛び立ったことになります。
特攻というと必ず「ただの無駄死に」という見方をする方がいます。確かに敵艦に体当たりできずに、撃ち落される特攻機の方がはるかに多く、敵艦に与えた物理的なダメージはほんの微々たるものであったかもしれません。しかし本土空襲で逃げ惑う家族や大切なかけがえのない人を守りたい、敵艦に体当たりしてでも守りたいという想いを胸に沖縄に向けて飛び立った特攻隊員の想いは、戦後 多くの日本人に、特攻隊員の想いを無にすることなくかけがえのない大切な人を、そしてこの日本という国を守らなければと、必死に頑張ったからこそ今の日本があるのだと思います。戦後の日本人に与えた精神的な心の支えは計り知れないものがあり、今もそしてこの先もずっと、この国の心ある人々にその心は生き続けていくと思います。その証拠に、もうすぐ80年にもなる今日でも、知覧特攻平和会館には日本国中から訪れる人が絶えません。

観たい映画があるとその原作本を先に読んでから映画を観るようにしていますが、久しぶりに映画館でこの映画も観てみたいと思いました。
今となっては唯々「ありがとうございました 安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから……」と心に誓うだけです(合掌)。



だからあなたたちは、死ぬ必要なんてない。こんなにまっすぐで、こんなに純粋で、こんなに優しい人たちが、どうして死ななきゃいけないの?私は悔しくてたまらなかった。日本はどうせ敗けるんだ、と大声で叫んでしまいたかった。でも、そんなことを言ったところで、信じてもらえるわけがない。その代わりに私は、こう言った。「……特攻なんて、自分から死にに行くなんて、馬鹿だよ。そんなの、ただの自殺じゃん……。馬鹿だよ。特攻を命令した偉い人も、それに従ってる人たちも、 みんな馬鹿。やめればいいのに。逃げちゃえばいいのに」 震える声で言うと、彰がくすりと笑った。「……君は本当にまっすぐな子だな。思ったことが全部、顔にも口にも出る」 彰の言葉に、寺岡さんや石丸さんも頷いた。……。……。
私は悔しくて、なんとか思いとどまってほしくて、必死で反論する。「特攻なんて、体当たり攻撃なんて、ただの無駄死にだよ。みんなが命を捨てて敵艦に突撃しても、結局敗けるんだよ」すると彰は、「君は珍しいことを言うね」と答えた。「俺は、命を捨てるなんて思っていないよ。俺は、俺たちは、この命を最大限に生かして、日本を、国民を救うんだ。こんなにも栄誉なことがあるか?」「…………」私には分からない。ねえ、彰。どうしてそんなふうにまっすぐに、明るい未来を信じられるの。自分が死んだあとの未来を。自分が死んだら国が救えるなんて、どうして信じられるの。あなたたちが命を落としてまで勝利を手にして、本当に家族が幸せになれると思うの?そんなのおかしい。間違ってる。伝えたいことが、訴えたいことが、分かってほしいことが、心の中に溢れて、暴れ回っている。でも私は、それをこの人たちに納得させるための言葉を、どうしても思いつけなかった。私は手にしたお盆をぎゅうっと握りしめ、何も言わずに踵を返す。無性に悲しくて、悔しくて、どうしようもないくらい腹立たしかった。
(一章 初夏 汚れなき瞳)

板倉さんのまっすぐな目が、驚くほどの強さで彰を見上げた。「俺は、死ねないんだ。彼女のために。彼女には俺しかいないんです。俺が生きて帰らなければ彼女は、戦争のせいで不自由になった身体を抱えて、この苦しい世の中を、たったひとりで生きていかなければならなくなってしまう。だから、俺は、帰らなければ……帰らなければならないんです」板倉さんの決然とした表情に、私は胸を打たれた。誰かのために生きる、という強い覚悟。板倉さんは、『死にたくない』んじゃない。『生きたい』んだ。生きなきゃいけないんだ。愛する人のために。たとえ自分がどんなに責められても、罵倒されても、軽蔑されることになっても、愛する人のために生き抜くと、板倉さんは決めたんだ。それは、間違いなく、とても尊いことだと思った。私は彰の顔を見上げる。無表情だった彰の顔が、ふわりと緩んだ。そして、静かに呟く。「……行け、板倉」彰の言葉を、板倉さんは呆然とした表情で聞いていた。「え……佐久間さん……」「行け。お前は生きろ」彰は有無を言わさぬ強さで言い、板倉さんの背中を押した。まだ信じられないような表情で振り返る板倉さんに、彰がゆったりと微笑みかけた。「俺が、ふたり分の戦果をあげてやる。お前の分まで、俺はやる。だからお前は……守るべき者を守れ。お前は、生きて守れ」瞬間、板倉さんの目に涙が溢れた。板倉さんは彰に向き直り、深く項垂れて、「ありがとうございます、ありがとうございます……」と何度も言った。彰は微笑んだまま、「ほら、早く行け」と言った。それを見ながら私は、『生きて守れ』と言った彰の言葉を反芻していた。『お前は』生きて守れ。『俺は』、死んで、守るから。――彰の言葉の裏には、そんな含みがある気がした。それが、悲しくて、切なくて、たまらなかった。死んで守るなんて、問違ってるよ。ねえ、彰、気づいてよ……。死んじゃだめだよ。死なないでよ。
(二章 仲夏 星空の彼方)

ゆっくりと歩き出したとき、私の目が、一通の手紙の上にとまった。その手紙だけ、やけにきれいで真新しく見えた。まるで、封筒に入れたまま大事にしまい込んで、ずっと誰も読んでいなかったような――。不思議に思って、ふと顔を近づけた瞬間。「……っ!!」私は声にならない叫びをあげた。そこには、『百合へ』と書いてあった。彰の字で。うそ……これ、あのときの手紙?彰の出撃の日に、ツルさんの家で見つけた、あの手紙?ガラスケースにのせた手が、かたかたと細かく震えていた。まさか、ここに、あの手紙があるなんて。私は瞬きも忘れて、その手紙に吸い込まれるように上半身を屈めた。
『百合へこんな手紙を書いても、君を悲しませるだけかもしれないね。でも俺は、この気持ちがただ海の泡として消えていくのだけは耐えられなかった。だからここに、俺の素直な思いを記させてほしい。そして君に読んでもらえたら、俺はとても嬉しい。君のことを、もうひとりの妹のようなものだと言ったことがあったが、すまない、あれは嘘たった。俺は君のことを愛していた。君の素直でまっすぐで優しい魂を、心から愛していた。できることならば、戦争などのない時代に生まれていたのならば、君と一生を共に過ごしたかった。でも、それは叶わない夢だ。明日の十三時三十分、俺は飛び立つ。そして散る。俺は今、自分の墓場となる空を見上げながらこの手紙を書いている。百合の花が咲くあの丘、君と語らったあの丘で。君の花の香りがする。甘い香りに胸が一杯だ。この美しい花と同じように、君はとても純粋で、清らかで、まっすぐで、自分の気持ちに正直で、そんなところが俺は愛おしくてたまらなかった。なんだか空が無性にきれいだ。君と見た、あのときの星空と同じだ。無数の星が夜空一杯に光り輝いている。あの空に俺は散る。君のために。君という花が咲く、この世界のために。君の幸せだけを願っている。君の笑顔が輝きつづけることだけを。百合、会いたい。ついさっきまで会っていたのに、もう会いたい。こんなにも君が愛おしいのは、なぜなのだろう。百合、生きてくれ。こんな時代に生まれてしまったことで苦しんでいる君を見ているのはつらかった。だが、戦争は終わる。近いうちに必ず終わる。だから、なんとしてでもこの戦争を生き抜いてくれ。それだけを俺は今、願っている。さようなら』
「………っ、、う、……っ」途中からは、もうほとんど読めなかった。拭っても拭っても溢れ出す涙のせいで、視界がいびつに歪んで。顎の先から落ちた涙がガラスを濡らして。――彰。彰、会いたい……会いたい。膝の力が抜けて、立っていられなかった。よろりと床に崩れ落ちた私を、周りにいたクラスメイトたちが驚いたように見ている。それに構わず、私は嗚咽を洩らして泣いた。
(三章 盛夏 消えない想い)

「千代ちゃん、おはよう」鶴屋食堂の裏口から顔を覗かせると、かまどの前にいたツルさんがすぐにこちらに気づき、にこにこと声をかけてくれた。……。……。……。
新しい生活の中で、目まぐるしく変わっていく社会の中で、人々が過去を忘れていってしまうとしても、私は決して忘れないでいること。経験したことを、忘れてはいけないものを、大切に胸に抱き、語り継いでいくこと。
それが、私にできることの第一歩ではないかと思う。だから私は、あの百合への手紙を、絶対に守る。戦火に奪われ消えてしまった命と想いがあったことを、語り継いでいく。そして、石丸さん。あなたのことも、私は決して忘れない。いつかきっと、また会える日が来ると信じて。ここではないどこかで、今ではないいつか、あなたではない誰か、私ではない誰かになっているかもしれないけれど、それでもいい。きっと、あなたと、再会できる。そのときは、あなたのことが好きですと、ためらいなく言える世の中であってほしい。好きなものを、好きな人を、堂々と好きでいられる。いつか、そんな時代になりますように。……。……。
もうすぐ夏が終わる。そしてまた、夏が来る。何度も何度も、新しい夏を迎えて、そのたびに私は、彼らを思い出すだろう。あの夏に消えた、私の大切な人たちを。
(【書きおろし番外編】また夏が来る)