あらすじ
ある地方の温泉地で硫化水素中毒による死亡事故が発生した。地球化学の研究者・青江が警察の依頼で事故現場に赴くと若い女の姿があった。彼女はひとりの青年の行方を追っているようだった。2か月後、遠く離れた別の温泉地でも同じような中毒事故が起こる。ふたりの被害者に共通点はあるのか。調査のため青江が現地を訪れると、またも例の彼女がそこにいた。困惑する青江の前で、彼女は次々と不思議な“力”を発揮し始める。
ひと言
450ページぐらいの本なのに、とにかく読むのに時間がかかりすぎた。最近は視力が落ちてきているのか、本を読むのに疲れるという感覚だ。羽原 円華がどうしてラプラスの魔女になったのかがわかり、「魔女と過ごした七日間」よりも先に読めばよかったかな。映画化もされているようなので映画も観てみたいです。
奥西哲子は手に持っているファイルに目を落とした。「地球の大気の成分をすべて化学式で記せ。その中で温室効果のある成分はどれか。またその中で最も濃度が高いのはどの成分か。……いかがでしょう?」「うん、いいんじゃないか」青江は眉の横を掻いた。「いい引っかけ問題だ。馬鹿な学生ならC02。って書きそうだ」C02は地球温暖化に最も寄与している成分だが、濃度が圧倒的に高いのはH20、すなわち水蒸気なのだ。じつは水蒸気にも温室効果がある。
(11)
「研究はどの程度進んでいるのですか」羽原は肩をすくめ、両手を軽く上げた。「まだまだこれからといったところです。謙人君がここへ来た当初は、彼の能力が手術による影響なのか、彼自身が元々持っていたものなのかさえ判断がつきませんでした。似たような手術を受けた患者はほかにもいますが、彼のようなケースは一人もいなかったからです。やがていくつかヒントを摑み、やはり手術の影響であることを突き止めましたが、問題は再現性です。それを確認するには大きなハードルがありました。一言でいうと、謙人君と全く同じ脳部位に、全く同じ手術をする必要があったのです。しかしそんな都合のいい患者が現れる可能性は極めて低い。そこで解決策として、一つのアイデアが出てきました。でもそれは倫理面で必ず責任が問われる禁断の実験でした。どういうものか、想像がつきますか」「もしかすると……健常者への施術」羽原は吐息をついてから頷いた。「御明察の通りです。脳に障害のない、しかも細胞再生能力の高い子供を連れてきて、謙人君が脳損傷を受けたのと同じ部位に手術を行うのです。もちろん異変があればすぐに元に戻すということでしたが、何事にも完璧ということはない。手術によって重い障害が残る危険性もゼロではなかった」「でもあなたはそれをやったのですね」青江はいった。「じつの娘に」「狂気の沙汰だといわれても仕方がありません」そういって羽原は薄く笑った。「実際、狂っていたんですよ。私も、周りの人間も」「いえ、それは違うと思います」不意に横から声が聞こえた。桐宮玲か椅子から立ち上がっていた。「違う……とは?」青江は訊いた。桐宮君、と羽原が窘(たしな)めるようにいった。「いわなくていい」「いえ、やはりこれは青江先生にも知っておいていただかなければ」桐宮玲はゆっくりと近づいてきた。「円華さんへの施術は、羽原博士がいいだしたことでも、ほかの誰かが進言したことでもありません。ほかならぬ、羽原円華さん自身が実験台になることを望んだのです」青江は身を引き、えっ、と声を出した。「まさか……」「嘘ではありません。私は本人からも聞いたことがあるのです。なぜ手術を受けようとしたのかを。彼女はいいました」桐宮玲は息を整えるように胸を上下させてから、重大な告白をするように続けた。「自分はラプラスの魔女になりたかったのだ、と」「ラプラス?」「彼女の心を動かしたのは、竜巻です」
(24)
「でも羽原博士をはじめ、数理学研究所の人たちは、スーパーコンピュータには不可能でも、僕には望みがあると考えているようだ」「どういうこと?」「彼等によれば、僕の頭で行われていることは、単なる計算ではないというんだ。もっと別の何かがあって、たとえば天気を予測するにしても、コンピュータとは全く違う方法を採っているんじゃないかってことだった。そう考えないと辻褄が合わないとも。そしてもしそうだとしたら、人類にとって画期的な出来事だって。ナビエ・ストークス方程式というのがあるんだけど……知らないよね?」「ナビエ……聞いたこともない」「未だに解決されていない物理学の問題なんだけど、この難問が解けたら、科学への影響は計り知れないらしいよ。で、そのヒントがこの中にあるんじゃないかと数理学研究所の人たちはいうんだ」謙人は自分の頭を指した。「もしその問題が解けたら、竜巻の予測もできるようになるわけ?」「理論的にはね」すごい、といって円華は両手を握りしめた。「早く、そうなるといいのに」「そうだね。でもたぶん、先は長い」謙人は肩をすくめた。「僕一人では足りない。仲間が必要だ」「じゃあ、もっと仲間を作ればいいじゃない。お父さんたちは、どうして謙人君みたいな人を、もっと増やさないの?」「それは制約があるからだよ。僕は事故に遭ったから、たまたまあの手術を受けた。事故に遭
ってない人を手術するわけにはいかないってことらしい」そしてこう続けた。「ラプラスの悪魔になるには、覚悟が必要なんだ」
(25)
