あらすじ
平安貴族のプレイボーイは、ウルトラ不倫あり、結婚モラトリアムあり、ナンパあり、有名なゴシップあり、告白できなかった恋あり、妻公認の浮気あり、自然消滅あり(もう何でもあり)。恋愛のパターンは今も昔も変わらない。伊勢物語を現代語訳した著者が、脱線アリ体験談アリ個人的恋愛論アリでその面白さを伝える、ロマクチックでユーモラスなエッセイ。古典の勉強はちょっと若手、という人にもこれならきっと好きになる、恋する受験生の必読書。

ひと言
ちょうど3年前のこの時期に「史跡八橋かきつばたまつり」に行きました。そうだ!このゴールデンウイーク 伊勢物語読もう。と思って探していたときに見つけたのがこの本。第九段 東下り、第二十三段 筒井筒、第二十四段 梓弓、第八十二段 渚の院、第百六段 龍田河、第百二十五段 つひにゆく道 などなど。やっぱり伊勢物語はいいなぁ。私と2歳違い、今年還暦の俵 万智さんの解説もグッド。ゴールデンウイークを楽しく過ごすことができました♪。


「むかし、男ありけり」これが、『伊勢物語』に収められている百いくつの章段の、典型的な書き出しだ。むかし――と言ったって、どれぐらい昔なのか、たとえば時代でいうとどのあたりなのか。男ありけり――そりゃ、昔だって男ぐらいいたでしょうけど、一体どんな男なのか。飲み物の注文をする時に、「とりあえず、ビール」という言葉をよく耳にするけれど、『伊勢物語』の書き出しというのは、あれに似ている。「(とりあえず)むかし、男ありけり」しかも、この場合の「けり」という過去の助動詞は、詳しく分類すると「人づてに聞き知った過去」を表すもの。だから話し手は、「男」と会ったりしゃべったりしたことはない。「(とりあえず)むかし、男ありけり(なんだけれど、いや別に、そいつと親しかったとか、よく知っているとかっていうんじゃあないんだ)」受験生のために付け加えておくと、過去の助動詞にはもう一つ「き」というのがある。こちらは、過去に直接体験したことを回想する場合に、多く用いられる。「むかし、男ありき」となると、現代語訳では同じ「昔、男がいた」であるが、話し手は、この男とつきあいがあった、ということになる。そうすると、「むかし」という時代も、「男」という存在も、少しは限定されてくるだろう。
(1 とりあえず、男がいた)

「むかし、男ありけり」。例によって、第九段も、この一文から始まっている。
主人公の「男」は、都会での生活に疲れ、恋に傷ついた心を癒すため、旅に出る。古くからの友人が一人二人同行して、めざすは「東のかた」――できればそこに安住の地を見つけたい、とまで男は考えている。東のかた、とは、今の関東地方あたりをいう。都のあった京都から見て東ということで、だからそちらへ向かう旅路は「東下り」。……。三河の国(愛知県)の八橋というところで一休みしていた時のこと。近くにかきつばたが美しく咲いていた。それを見た友人の一人が、歌を詠めと男に迫る。しかも、注文つきで、「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゑて、旅の心をよめ」と言う。注文の内容を簡単にいえば、五七五七七のそれぞれの頭に、か・き・つ・ば・た、という五文字を折りこめ、ということになる。たわいない言葉遊びのようだが、これはれっきとした短歌の修辞技巧の一つで「折句」と呼ばれている。そこで男が詠んだ歌を、平仮名で記してみると、

からごろも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ


見事に折句の注文をクリアしているだけでなく、その他の技巧もあれこれ凝らされていて、まるで修辞テクニックのカタログみたいな歌である。唐衣とは、唐風の衣服で、それを着るように馴れ親しんできた妻が都にいるので、はるばると来た旅の遠さが思われることだ――と、歌の意味もまことにこの場にふさわしい。どのあたりが「カタログ」かというと、まず、「唐衣」は「着る」の枕詞、そして「唐衣着つつ」までが「馴れ」を導く序詞、「唐衣、着、馴れ、褄(つま)、張る」は着物の縁語、「つま」には「妻」と「褄(着物の襟先から下のふち)」が掛けられ、「はるばる」には「遥々」と「張る張る」が掛けられている。
(6 風流心は忘れない)

まだ幼い男の子と女の子が、井戸のところで遊んでいる。この井戸は、筒井といって筒のように丸く掘られていた。地面の上に出ている部分を囲んだものを「井筒」という。井筒は大人の胸ぐらいの高さがあった。その井筒の隣に立っての背くらべ。「ほら、ぼくはもうこんなに大きくなったよ」「私だって、このまえよりも少し…… 」「あっだめだよ。背のびなんかしちゃ」「だって……」「心配しないで。ちゃんと大きくなるまで待っててあげるから。そしてぼくの背がこの井筒よりも高くなったら、きみをお嫁さんにもらいにくるよ。いいかい?」「それじゃあ私は、その日までうんと髪を長く伸ばして、待っているわ。きっとよ。げんまんしましょう」第二十三段は、「筒井筒」の愛称で人々に親しまれてきた段である。幼い二人の、幼い約束。まるで、おままごとの延長のような……。それは、どちらかが忘れてしまったら、その瞬間に消えてしまうような、頼りないはかない約束だった。……。自分の心に芽生えた恋に対して、あるいは相手に対して「恥ずかしい」と思う感情。こういう奥ゆかしい気持ちは、できれば長く保存したいものだが、悲しいかな、年齢と経験とを重ねるにつれて、まっ先になくなっていくもののようだ。だからこそ貴重で、人々はこの段を読むたびに、「うんうん、いいなあ」と思い、何だか胸がキュッとしめっけられるような感じがするのだろう。『伊勢物語』の中でも特に愛されてきた段であることの理由の一つは、ここにあるのではないかと思う。さて、そろそろ年頃になった女のところへは、親がたびたび縁談を持ってくるようになった。しかし、がんとして娘は受けつけない。幼い日の約束を信じて、彼女は待っていたのだった。そんなある日、男から歌が届けられた。

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ すぎにけらしな 妹(いも)見ざるまに

筒井を囲う井筒と比べていた私の背丈は、もう過ぎてしまったようです。あなたに長くお会いしないうちに……。歌を贈るということは、一人前の男が、一人前の女へ接するという態度である。「私の背は、井筒よりも、もう高くなりました」――これはもちろん、求愛の歌である。幼い日の二人の思い出を重ね合わせながら、実に奥ゆかしい表現で、またまた読む者は「いいなあ」と思ってしまう。……。「ああ、やっぱり二人の約束を、あの人も大切に覚えていてくれたのね」――喜びに小さな胸をふるわせて、女もさっそく返事の歌を詠んだ。

くらべこし ふりわけ髪も 肩すぎぬ 君ならずして たれかあぐべき

ふりわけ髪というのは子どもの髪型で、左右に分けて肩のところで切りそろえるスタイルである。女は年頃になると、髪あげをして成人の姿となるのが習いだった。ふりわけ髪のころから、その長さを比べあったりして遊んできましたが、その髪も、もうずいぶん長くなりました。あなた以外の誰のために、髪をあげましょうか。私が大人になるのは、あなたのためです……。素直で、思いのこもったいい歌だ。幼い頃の思い出と二人の成長の過程を詠みこみ、男の求愛にまことにぴったりとこたえている。 
(11 妻が公認する浮気)

誰を待つ 何を吾は待つ 〈待つ〉という 言葉すっくと 自動詞になる

〈待つ〉という言葉には、「○○を」という目的語がつくのが普通である。ところが、あまりにも待つことが長びいてしまうと、一体自分は何を待っているのか、よくわからなくなってしまうことがある。右の一首は、そういう末期的段階を歌ってみた。本来は、目的語のある他動詞だったはずの〈待つ〉が、いつのまにかそれ自体で世界を完結させてしまっている……。あたかも自動詞のような〈待つ〉。
(12 三年目の悲劇)

『伊勢物語』って、どうして『伊勢物語』なんだろう、と素朴な疑問を抱いている人は、かなりおられるのではないだろうか。……。この不思議なタイトルについては、古来、さまざまな説が出されてきた。作者が「伊勢」という名前だったという説、伊勢の国(現在の三重県の北半部)に関係づけて考える説、伊は女で勢は男を表す、つまり男女物語の意味であるとする説、えせ物語がなまったのだとする説、などなど、このほかにもいろいろある。現在、最も有力とされているのは「伊勢斎宮」の登場する話があるので、それに由来して、とする考えだ。
(19 斎宮の青春)

第九段の東下り、第二十三段の筒井筒の話などと並んで、第八十二段もまた、古くから人々に親しまれてきた。惟喬(これたか)の親王(みこ)の交野の桜、といえば、「あ、あの話ね」と思いあたる人も多いだろう。……。春、桜の花まっさかりの季節、惟喬の親王は、気の合う仲間をさそって、花見へと出かけられた。水無瀬というところ(現在の大阪府三島郡島本町)に親王は離宮を持っていたので、毎年この季節には、そこへおいでになる。そして必ず、常にお供としてご一緒していたのが、当時馬頭(馬に関することをつかさどる役所の長官)だった男であった。……。淀川を隔てて、水無瀬の対岸に交野というところがあり、そこの「渚の院」恚呼ばれているお邸の桜が、ことのほか見事だった。一行は馬からおりて、その桜のもとに座り、枝を折って冠に挿し、身分の別なく全員が歌を詠む。ここで、馬頭だった男が、素晴らしい一首を残した。

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

この世の中に、桜の花というものがもし全くなかったら、春の心は、のんびりのどかであるのになあ……。春になると私たちは、桜の開花はまだかまだかと待ちわびる。そして咲いたら咲いたで、妙にウキウキし、また、散りやしないかとハラハラする。風雨に弱いこの花は、心配どおりあっというまに終わってしまい、みんな、がっかり。まったく、人の心を騒がせる花だ。わかってはいるけれど、毎年のように、この「まだかまだか、ウキウキ、ハラハラ、がっかり」は、繰り返されるのである。もちろん、右の一首は、本当に桜がなくなればいい、という意味のものではない。こんなにも私たちの心を乱す桜の花であることよ、という言い方で、その魅力というものを、賛美しているわけである。この一首に答えるように、また別の人が歌を詠んだ。

散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき

散ってしまうからこそ、桜というものは、よけいにいいんですよ。この悩みの多い無常の世の中に、永遠のものなんてあるでしょうか……。
(20 桜の花は罪つくり)

第百二十五段は、『伊勢物語』最後の段である。ある男が病気になり、もう自分の命の長くないことを悟り、辞世の歌を詠む。

つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふ今日とは 思はざりしを

誰でもいつかは、必ず行かねばならない死への道。かねがね聞いてはいたが、それが昨日今日といった深刻さで我が身のこととなるとは、思わなかった……。人間は、必ず死ぬ。予測できない人生において、これだけは間違いない。私たちはそのことを充分承知のうえで、とりあえず日常生活の中では、忘れている。そのことだけでも、人間は本質的に、楽天家にできているなあと思う。……。……。この辞世の歌は、人間の、死に対する心構えというものを、実にみごとにとらえている。死を前にして動揺しない人間なんて、いないはず。理屈では理解していても、感覚としては実感されない(これもあたりまえの話。人間は死ぬ瞬間ま
で、生きているのだから)。『古今集』巻十六に載せられているので、この歌は業平の作ということがわかる。最後が業平の辞世の歌で締めくくられているあたり、「業平の一代記」の印象を強く与えるが、『伊勢物語』は決して業平の話ばかりではないことは、これまでにご紹介してきたとおりである。……。……。確かに辞世の歌というと、かっこいいものが多い。たぶん、それらは、死の直前ではなく、あらかじめ作っておいたものなのだろう。だから、一生をまとめて振り返って、含蓄のある言葉で締めくくったり、悟りすまして、もう思い残すことはない、死ぬのもちっとも恐くない、といった感じになってしまうのではないだろうか。要するに「死ぬときはこうありたい」という願望をまじえて詠まれるから、ついついかっこよくなってしまうのではないかと思う。そういう目で百二十五段の歌を読み返してみると、まことに率直に、死を前にした人間の気持ちが、飾ることなく詠まれている。どんなに覚悟をしていても、いざ目の前に死というものが迫ってくると、こういう気持ちになるのではないだろうか。
ところで、かっこいい辞世の歌というと、私は千利休をまず思い出す。

提(ひつさ)ぐる 我が得具足の 一太刀(ひとつだち)今この時ぞ 天に拠(なげう)つ

秀吉に命乞いをせず、切腹で自らの命を絶った利休。生きのびる道もあったはずなのに、死への道を選んだ。彼の場合は、「きのふ今日とは思はざりし」ではなく、自分で「きのう今日」のことにしてしまったのだから、辞世の歌にこれだけの力みがあるのも、頷けることではある。彼は自分の死をも、定型の美学をもってデザインした。「つひにゆく……」の歌とは対照的な一首である。
(37 いつかゆく道)