あらすじ
メルボルンの若手画家が描いた一枚の「絵画(エスキース)」。日本へ渡って三十数年、その絵画は「ふたり」の間に奇跡を紡いでいく――。二度読み必至! 仕掛けに満ちた傑作連作短篇。
(2022年本屋大賞2位)


ひと言
2021年の本屋大賞でも『お探し物は図書室まで』で2位を受賞した青山 美智子さんの本で、受賞が決まってから図書館で借りました。個人的には大賞の『同志少女よ、敵を撃て』よりこちらの方が大賞じゃないかなと思います。ただ狙撃の臨場感は今まで読んだことがないぐらい読者に伝わってくるので、それが大賞に選ばれた理由だろうし、また書店員の2次投票締め切りが2月28日(ウクライナ侵略の4日後)だったのも不幸でした。


始まれば終わる。私がいつも怖いのは、終わりになることじゃなくて、終わりになるんじゃないかと不安になるあのぞわぞわとした時間だ。相手に対して猪疑心がめばえたり、知らないことが増えたり、わかってくれていると思っていたことがぜんぜん見当はずれだったり。そのころにはもう、どちらかが熱くて必死で、どちらかが冷めてしらけている。どちらの立場になっても、私はいつも自分から先に手を放してしまう。持っていられないのだ。熱すぎるものも、冷たすぎるものも。
(一章 金魚とカワセミ)

彼は笑ってお面を手に取りながら言った。「青い鬼もあったんだよな。でもなんか、青鬼って怖くない印象があって」「そうなの?」「うん。『泣いた赤鬼』のイメージかも」日本の童話だ。村人と仲良くなりたい赤鬼のために、青鬼はわざと悪者になって、最後は赤鬼から突然去っていくのだ。さよならの貼り紙を一枚残して。「……… 私はあの話、好きじゃない」自己犠牲や献身、友情があの物語のテーマなのかもしれない。美談として捉えるのが、きっと正解なんだろう。でも私は、あの青鬼がずるいとしか思えなかった。いきなりあんなふうにいなくなっちゃうなんて。「青鬼が赤鬼に残した貼り紙って、君のことを想って自分は身を引くみたいな内容だったじゃない? でも私が赤鬼だったら、きっと嘘だ、私のことなんて嫌いなんだって思っちゃう。本当はひとりになりたかったんじゃないの? 前からその機を狙っていたんじゃないのって」もちろん赤鬼だって愚かだ。青鬼に甘えて、なんでも許されるとか、青鬼は自分から離れていったりしないってのんきに構えていたのが悪い。彼はお面を持ったまま、首をかしげた。「そうかな。俺は、青鬼の言葉どおりに受け取ればいいと思うけど。赤鬼のこと、本当に好きだったんだと思うよ。だから自分と離れて自由になってほしいと思ったんだ。赤鬼にとってそのほうが幸せなら」

変な間ができた。猫はのんびりと自分の体を砥めている。なんだか、その沈黙に耐えられなくなった。「わかってない。いきなりいなくなるなんて、卑怯よ」私は豆の袋をひとつ、彼に投げた。「いなくなったのは、そっちじゃないか」彼も私に投げ返してくる。「俺はどこにもいかないよ。ここにいる」私を見つめる彼の瞳が、怖いくらいにまっすぐだった。私は顔をそらす。「『泣いた赤鬼』の、青鬼の話をしているのよ」彼はそれには答えず、少しの間黙っていたが、何を思ったのかハンガーにお面をくくりつけ、壁にかけた。コミカルな鬼のお面は、ばかにしたようにこちらを見て笑っている。
(四章 赤鬼と青鬼)

エスキース。デッサンやスケッチなどと意味合いは似ているが、決定的に違うことがある。それを元にして、本番の作品を必ず完成させる。描き手にその意志があるということ。わたしが描いた水彩画は、図らずも、それがそのまま本番の作品になった。しかし、ふたりにとってのエスキースの本番を描くのはわたしではない。ブーとレイ、彼ら自身の手によってのみ、完成させることができるのだから。
(エピローグ)