あらすじ
「一人称単数」とは世界のひとかけらを切り取る「単眼」のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。そして、そう、あなたはもうあなたでなくなっていく。そこで何が起こり、何が起こらなかったのか? 「一人称単数」の世界にようこそ。「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」「一人称単数」の8作を収録。


ひと言
一時期は、ノーベル賞の文学賞の発表前には何かと話題になっていた村上 春樹ですが、最近の作品はもうワクワク感が感じられなくなっているのが残念です。春樹ももう72歳かぁ~。


これまでの人生で、説明もつかないし筋も通らない、しかし心を深く激しく乱される出来事が持ち上がるたびに(しばしばとまでは言わないが、何度かそういうことがあった)、ぼくはいつもその円について ―― 中心がいくつもあって外周を持だない円について ―― 考えを巡らせた。十八歳のときあの四阿(あずまや)のベンチでそうしたのと同じように、目をつぶり心臓の鼓動に耳を澄ませて。 それがどういうものかおおよそ理解できたような気がすることもあったが、更に深く考えていくとまたわからなくなった。その繰り返しだ。でもそれはおそらく具体的な図形としての円ではなく、人の意識の中にのみ存在する円なのだろう。ぼくはそう思う。たとえば心から人を愛したり、何かに深い憐れみを感じたり、この世界のあり方についての理想を抱いたり、信仰(あるいは信仰に似たもの)を見いだしたりするとき、ぼくらはとても当たり前にその円のありようを理解し、受け容れることになるのではないか ―― それはあくまでぼくの漠然とした推論に過ぎないわけだけれど。
きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。わがらんことをわかるようにするためにある。それがそのまま人生のクリームになるんや。それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや。白髪の老人はそう言った。秋の終わりの曇った日曜日の午後、神戸の山の上で。ぼくはそのとき小さな赤い花束を手にしていた。そして今でもまだ、何かがあるたびにぼくはその特別な円について、あるいはしょうもないつまらんことについて、そしてまた自分の中にあるはずの特別なクリームについて思いを巡らせ続けているのだ。
(クリーム)