あらすじ

神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。50歳を前にして妻を亡くし、さらに息子をも事故で失い、ただ倹しく老いてゆく身。残された嫁の志穂とともに、手慰みに絵を描きながら、寂寥と悔恨の中に生きていた。しかしゆっくりと確実に、藩の政争の嵐が庄左衛門を襲う。

 

ひと言

これも第165回直木賞候補作ですが、残念ながら受賞とはなりませんでした。私の好きな葉室 麟さんのようなやさしい文章で、これからの作品を楽しみにしています。

ふいに、庄左衛門の唇から乾いた笑声がもれた。咎めるごとき眼差しが向けられたのに気づき、詫びるようなしぐさで右手をあげる。「……すまぬ。おのれを笑うたのだ」それはまことである。ひとの幸不幸などかんたんに推し量れるわけもないが、すくなくとも啓一郎は父母から慈しまれた記憶を抱いて成長したはずだった。―― すべてを持つ者など、いるわけがなかったな。そのようなことは最初から分かっていたはずだが、おのれの嘗めてきた理不尽にのみ目が向いていたらしい。五十年生きてこのざまかと心づけば、いたたまれぬほど恥ずかしかった。理不尽というなら、世は誰にとってもそうしたものであるだろう。「……今日はつかれたの」重い息を吐きだすように言った。
(遠方 より来たる)

庄左衛門は、そっと芳乃の足もとへ目をやった。心なしか、軀の引きずり方が昔より大きくなっている。「堅吾……いや、甚十郎どのは」気になって問うた。「……昨年、息子を亡くしまして」わずかながら、はっきりと女の声が揺れた。庄左衛門は、眼差しをおのれの足もとへそらす。「あそこに新しい卒塔婆もあるのですが、まだ詣でる気になれぬ、と申します」「それは……」ただ、そう発することしかできなかった。じつはそれがしの倅も、と口に出かかったが、吐息とともに呑みこむ。そう告げることが芳乃たちの救いになるならよいが、同じような不幸に見舞われたとしても、失われたいのちはそれぞれ別のものであろう。軽々しく、分かるような顔をしたくはなかった。
(夏の日に)