あらすじ
お探し物は、本ですか?仕事ですか?人生ですか? 人生に悩む人々が、ふとしたきっかけで訪れた小さな図書室。彼らの背中を、不愛想だけど聞き上手な司書さんが、思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で、後押しします。自分が本当に「探している物」に気がつき、
明日への活力が満ちていくハートウォーミング小説。
(2021年本屋大賞 第2位)
ひと言
問題提起や考えさせられる本もいいけれど、やっぱり自分にとっての読書は、明日への元気がもらえるような本がいい。2021年本屋大賞 第2位の本だけのことはある素敵な作品でした。定年退職後の再就職は電車通勤になり1時間以上かかり疲れるけれど、読書の時間が確保できたと前向きに捉えて自分も頑張っていこうと思いました。
「そういうのって、狙ってどうこうできることじゃないじゃん。だから、まず俺に必要なのは、目の前のことにひたむきに取り組んでいくことなんだと思った。そうやってるうち、過去のがんばりが思いがけず役に立ったり、いい縁ができたりね。正直、ZAZに転職して、これから先のことをはっきり決めてるわけじゃないよ。決めてもそのとおりにいく保証はないし。ただ」そこで一度区切ると、桐山くんは静かに言った。「何か起きるかわからない世の中で、今の自分にできることを今やってるんだ」私じゃなく、自分に話しかけるように。
(一章 朋香 二十一歳 婦人服販売員)
小町さんは蓋を閉じ、僕を見た。「起業にも、いろいろあるよね。なにをしたいの」「いつか、雑貨屋をやりたいんです。アンティークの」「いつか」小町さんはまた、そこだけ復唱した。フラッ卜な言い方だったけど、僕はなんだか、あわてて言い訳をしなければいけないような気持ちになった。「いや、だって、すぐには会社辞められないし。店を開けるほどの莫大な資金をあっさり調達なんてできないし。そりゃ、いつかなんて言ってるうち、夢で終わっちゃうのかもしれないけど」「………夢で終わる、というか」小町さんは、かくんと首を傾ける。「いつかって言っている間は、夢は終わらないよ。美しい夢のまま、ずっと続く。かなわなくても、それもひとつの生き方だと私は思う。無計画な夢を抱くのも、悪いことじゃない。日々を楽しくしてくれるからね」僕は言葉を失った。「いつか」が夢を見続けるための呪文だとしたら、その夢を実現させるためには何を言えばいいんだろう。「でも、夢の先を知りたいと思ったのなら、知るべきだ」
(二章 諒 三十五歳 家具メーカー経理部)
「だけど、会社員とお店を両方やっていたら、旅行にも行けないじゃないですか」訊かれ慣れている質問なのか、それはそうだね、と安原さんはうなずく。「でも、なかなかお会いできないような方がお店に来てくださったり、面白い出会いがあったりして、毎日いろんなところを旅しているようなものなんです。外に出かけずずっとここにいても、お釣りがくるくらいの楽しい経験をさせてもらってる」目の覚めるような回答だった。そうはっきりと言えるようになるまで、安原さんは何を見て誰に会ったのだろう。自分の店を持つって、そんな素敵なことがあるんだ。
(二章 諒 三十五歳 家具メーカー経理部)
「私、先生とはもう、こんなふうにお会いできないんじゃないかと思っていました。だって、私はもう……」編集者じゃないから。先生の前でなんとか蓋をしていた感情が、堰を切ってこぼれだす。「ミラでバリバリ働いてる木澤さんに嫉妬したり、子どもができて人生が狂ったなんて思ってしまって、そういう自分もいやで」みづえ先生はスプーンを置き、穏やかに言った。「ああ、崎谷さんもメリーゴーランドに乗ってるとこか」「メリーゴーランド?」ふふふ、とみづえ先生が口元をほころばせる。「よくあることよ。独身の人が結婚してる人をいいなあって思って、結婚してる人が子どものいる人をいいなあって思って。そして子どものいる人が、独身の人をいいなあって思うの。ぐるぐる回るメリーゴーランド。おもしろいわよね、それぞれが目の前にいる人のおしりだけ追いかけて、先頭もビリもないの。つまり、幸せに優劣も完成形もないってことよ」そこまで楽しそうに言うと、みづえ先生はコップの水を飲んだ。「人生なんて、いつも大狂いよ。どんな境遇にいたって、思い通りにはいかないわよ。でも逆に、思いつきもしない嬉しいサプライズが待っていたりもするでしょう。結果的に、希望通りじゃなくてよかった、セーフ!ってことなんかいっぱいあるんだから。計画や予定が狂うことを、不運とか失敗って思わなくていいの。そうやって変わっていくのよ、自分も、人生も」そしてみづえ先生は、どこか遠くを見ながらほほえんだ。
(三章 夏美 四十歳 元雑誌編集者)
かつて子供だった私たちのすべてが「サンタクロースはいない」と人生のどこかで知らされたはずなのに、相変わらずサンタクロースがクリスマスから消え去る気配がないのは、まだ幼い子供たちがそれを信じているから、ではありません。昔子供だった大人たちこそが、大人になってもなお、「サンタクロース」の真実を心から理解して、その世界を生きているからです。……。子供にサンタクロースの夢を見せてやろうとする親のすべてが、自分の心の中に真実のサンタクロースを住まわせています。だからこそ、子供の多くが、そりに乗ったサンタクロースが「実在する」と感じます。
(三章 夏美 四十歳 元雑誌編集者)
そういえば、小町さんに飛行機をもらったと思い出す。大昔の人間は、鳥を見ていて自分も空を飛びたいって、思ったんだろうな。でもいくら進化したって羽根は生えないってわかったんだろうな。だから飛行機を作ったんだろう。俺は鳥になれないし、飛行機も作れない。空なんか飛べない。
(四章 浩弥 三十歳 ニート)
そして左手には、土の中に保管されていた高校生の俺。四つ折りにされた紙の端をつまみ、俺はようやく、タイムカプセルを開く。そこに書かれた文字を見て、俺はハッとした。「人の心に残るイラストを描く」たしかに俺の字で、そう書いてあった。そうだったっけ……ああ、そうだったかもしれない。どこかでねじまがって、勘違いが刷り込まれていた。「歴史に名を残す」って書いてたと思い込んでいた。壮大な夢を抱いていたのに打ち砕かれたって。俺を認めてくれない世間や、ブラックな企業がはびこる社会が悪いって、被害者ぶって。でも俺の根っこの、最初の願いは、こういうことだったじゃないか。……。十八歳の俺。ごめんな。今からでも、遅くないよな。歴史に名が刻まれるなんて、うんと後のことよりも……それよりも何よりも、誰かの人生の中で心に残るような絵が一枚でも描けたら。それは俺の、れっきとした居場所になるんじゃないか。
(四章 浩弥 三十歳 ニート)
「わたしのような会社人間にとって、定年退職というのは社会から退いたということなんだと実感しています。会社員をしていたころはゆっくり休んでみたいと思うこともあったけど、実際に時間ができたら何をすればいいのかわからなくて。残りの人生が、意味のないものに思えてね」小町さんは眉毛ひとつ動かさず、穏やかに言った。「残り、とは?」わたしは自問する。残りとは。「残りもの、かな。あまりものというか」自嘲気味に答えると、小町さんは、今度は反対側にこきっと頭を傾げた。「たとえば十二個入りのハニードームを十個食べたとして」「はい?」「そのとき、箱の中にある二つは『残りもの』なんでしょうか」「…………」すぐに声が出なかった。小町さんが投げかけた問いは、核心をついている気がした。しかしそれに対する答えを、わたしはうまく言葉に置き換えられない。……。
そして一番下に、こんなタイトルがあった。『げんげと蛙』。
(五章 正雄 六十五歳 定年退職)
