あらすじ
どこかの街の美術館で小さな奇跡が今日も、きっと起こっている。人生の脇道に佇む人々が“あの絵”と出会い再び歩き出す姿を描く。アート小説の名手による極上の小説集。


ひと言
いつも今年最後の一冊は、すがすがしく元気をもらえる本にしようといつも思い悩み、今年は重松 清さんの「旧友再会」にするつもりでしたが、今年最後の開館日である12月27日、図書館から「予約していた本の貸出の用意ができました」のメールが…。それがこの本「〈あの絵〉のまえで」です。すぐにでも読みたかったのですが、29日 お伊勢さんへのお礼参りを予定していたので、その電車の中で読むのを楽しみにしていました。周りに人がいる電車の中で、涙をこらえるのに大変でした。美術オンチの私にアートの素晴らしさを教えてくれたのは、間違いなく原田 マハさん。読者にその絵を実際に観に行きたいと思わせるような、素敵なアート小説を書くキュレーター 原田 マハさんに唯々感謝です。今年の最後の一冊にふさわしい素晴らしい作品でした。


 (ドービニーの庭 ゴッホ ひろしま美術館)

 
閉じた手帳の表紙がぼんやりとにじんで見えた。表紙には有名な画家の絵がカラーで印刷されてあった。―― フィンセント・ファン・ゴッホが描いた夏の庭の絵。手帳は去年の冬休み直前、クリスマス・プレゼントにと亜季が贈ってくれたものだった。見返しの余白にはメッセージが書き込まれている。すんなりときれいな、亜季そのもののような字で。〈メリー・クリスマス この手帳をみつけたとき、なんだか夏花っぽいなと思って買いました。就職活動手帳に使ってね。がんばって就職活動、乗り切ろう〉「乗り切れないよ、もう……」今度は声に出して、そうつぶやいた。ぽつんと涙のしずくが手帳の見返しの上に落ちた。そこに書かれていたのは、表紙の絵のクレジット。〈ドービニーの庭〉フインセント・フアン・ゴッホ 一八九〇年 ひろしま美術館所蔵 私は手の甲で涙をぬぐって、そのクレジットをみつめた。たった一行を、何度もなんども、繰り返し読んだ。―― ひろしま美術館。広島県庁の近く、基町にある私立美術館だ。知ってはいたが、行ったことはなかった。私は手帳を閉じて、表紙の絵をまじまじと見直した。〈ドービニーの庭〉こんもりと生い茂った木々、みずみずしい緑におおわれた庭。真ん中には白ばらの茂みがあり、さわやかな大輪の花が咲き誇っている。遠景にある洋館の屋根も緑色で、草木の色に呼応している。空は少しさびしげな水色をたたえて静まり返っている。誰もいない真昼、けれど庭のそこここに生命の営みがある。力強くまばゆく、光に満ちた夏の庭の風景 ――。

ネオンの合間を縫って広電が近づいてきた。母が先に、私が後に、乗り込んだ。ちんちん、と発車のベルが鳴り響いて、電車はすぐに出発した。私たちは、しばらくのあいだ、無言で電車に揺られていた。半分開いた車窓から気持ちのいい夜風が吹き込んできた。県庁の近くを過ぎたとき、私は、あっと声を上げた。「どうしたん?」母が不思議そうな顔をした。「―― ひろしま美術館!」私は大きな声で言った。うっそうと木が生い茂る公園のそばを、がたん、ごとん、電車が加速して通り過ぎる。その公園の中にひろしま美術館があると、行ったことはなくても知っていた。車窓の外で公園が遠ざかるのを見送るようにして、母がつぶやいた。「ああ、そうじゃったね。あそこの美術館、むかーし、あんたを連れていったなあ」思いがけないひと言に、私は母の横顔を見た。「え……ほんまに? いつ?」「そうじゃなあ。……あんたを抱っこして行ったけえ、二十年くらいまえのことじゃろうか」私が二歳になった頃のこと、ある日、広さんが唐突に美術館の入場券を母に手渡したのだという。
(ハッピー・バースデー)


(鳥籠 ピカソ 大原美術館)


ピカソの〈鳥龍〉の前にたどり着いたとき、私は「あ」と声を漏らした。なっしーが振り向いた。「どうしたん?」すぐに私のとなりへ来てくれた。「この絵、気になっとったんよ 」と私は小声で答えた。「小学校の校外授業のときに見て、不思議な絵じゃな、って」えっ、となっしーは意外そうな顔をした。「おれも、初めて来たとき、この絵がいちばん引っかかった 」「え、ほんま?」「うん。うまく言えんのじゃけど、引っかかるなって感じで、ずーっと見てしもうた」私たちは、ちょっと手を伸ばせば指先が触れ合うくらい近くに佇んで、しばらく見入った。鳥かごの中の鳥が、私には、やっぱり鳥に見えなかった。でも、口には出さなかった。「この鳥なあ。かごの中にいるのと違うような気がする」ふいになっしーがつぶやいた。私は、なっしーを見上げた。「どういうこと?」「うん。かごの向こうに窓があるじゃろ。鳥が飛んできて、たまたま、窓辺にとまった。それが、空っぽの鳥かごの向こうに、鳥かごを通して、見えてるだけ」つまり、鳥は「かごの鳥」として飼われているんじゃなくて、自由に飛び回っているんじゃないか ―― と、なっしーは言った。「すごい」、と私はびっくりした。「すごいよ、なっしー。それ、ピカソも気がつかなかったかも」「そうじゃろか」「うん、そうだよ」私たちはくすくす笑い合った。……。
絵の中でどうしても鳥に見えなかったものが、急に、鳥に見えた。かごにとらわれているんじゃなくて、自由なのだとわかったその瞬間に。
(窓辺の小鳥たち)

 

 


(砂糖壺、梨とテーブルクロス セザンヌ ポーラ美術館)

身じろぎもせずに、彼女は一点の絵に向き合っていた。〈砂糖壺、梨とテーブルクロス〉というタイトルが付けられた静物画に。それは、えもいわれぬ不思議な絵だった。横長の構図、左手に藤色がかったテーブルクロスがあり、中央に白い砂糖壺、黄色と赤の洋梨、緑のリンゴ、いちばん右手にレモン。それらのオブジェがテーブルの上に「わっ」といっせいに集合している。まるでおしゃべりをしているかのようににぎやかで、転がり落ちそうな躍動感がある。静物画なのに、ちっとも静かではないし、止まってもいない。個々のオブジェの隅々まで輝く命が宿っている。
セザンヌが写実的な表現ではなく、画家の解釈でオブジェのかたちや構図を変え、画面の上に自ら秩序を作り出し、新しい表現方法を生み出したことは知っていた。けれど、それがいったいどういうことなのか、ほんとうのところはわからなかった。私は、画家が自分だけの表現をみつけるためにどんな努力をしたのか、まったく知らなかったし、努力の末に見出した手法で描かれた絵がどんなふうに見えるのか、知ろうともしなかった。ほんものの絵を見ずに絵を描こうとしたって、できるはずがない。そんなあたりまえのことに、私は気づかずにいたのだ。少女は、ポケットに手を突っ込むと、レモンを取り出した。そしてそれを、あの絵のまえで、かぎした。少女がなぜ、レモンを連れて、ここまでやって来たのか。私には、ぜんぶ、わかる気がした。彼女は私の母校の美術部に所属している。そして、絵を描いている。きっとセザンヌの作例を自分の制作の参考にしているのだろう。推測だけど、そこまでは十六歳の私と同じだ。違うのは、彼女がセザンヌと友だちだということ。彼女は、動画サイトやネット検索しただけでセザンヌをわかったとは決して思わずに、この美術館へ通っているのだ。そして、画家に直接「相談」しているのだ。―― ねえセザンヌ、私の描くレモンは、あなたのレモンと、どう違うのかな? 教えてくれる?少女の心の声が、聞こえてくるようだった。
(檸檬)

 

 


(オイゲニア・プリマフェージの肖像 グスタフ・クリムト 豊田市美術館)


―― あんたが書いた小説、読める日を楽しみにしてるよ。絶対、あきらめないで。あきらめない限り、いつかきっと実現するよ。がんばれ、亜衣。待ってるからね。ずっと、ずっと。その日がくるまで、いつまでも。そうして、私は、愛知県の豊田市にあるこのコーポでひとり暮らしを始めた。岡崎のわりと近くに引っ越したのは、万一おばあちゃんに何かあったら、すぐに駆けつけることができるようにと考えたからだ。私は、フリーのライターとして雑誌や企業のウェブサイトで記事を書いて生計を立てようなどと考えていたのだが、現実はそんなに甘くはなかった。なんの経験もないライターにお金を払って記事を書いてもらいたい媒体や企業は、世の中にひとつもなかった。毎日、菓子パンとカップ麺の食事が続いた。銀行口座の残高が千円を切ったとき、ついに私は手を出したのだ。「さくらレビュワー」の仕事に。『毎日少しずつ書いてるよ』と、最初のうち、おばあちゃんにはほとんど毎日ショートメッセージを送っていた。『楽しみにしてるよ』『読むの待ってるよ』とすぐに返事がきた。それがいつしか、三日に一回になり、一週間に一回になり、一ヶ月に一回になり、さくらレビュワーの仕事でそこそこ収入を得るようになった頃には、もうまったく連絡をしなくなってしまっていた。
おばあちゃんのほうからは、ずっと短いメッセージが送られてきたが、そのうちにぱったりと途絶えた。私がちっとも返事をしないからに違いなかった。そんなある日、一枚のポストカードが届いた。満開の花畑の中で、花畑をそのままうつしたような華やかなドレスを身にまとった、それはそれはきれいな女の人の絵のカード。グスタフ・クリムト〈オイゲニア・プリマフェージの肖像〉とキャプションがついていた。そして、おばあちゃんのメッセージがたて書きで書かれていた。―― 絶対、あきらめないで。がんばれ、亜衣。待ってるからね。ずっと、ずっと。

前の晩、スガワラさんは、鍋じゃなくて焼肉をふるまってくれた。上カルビと上ロースを惜しげもなくじゅうじゅう焼いて、さあ食べて食べて、とどんどん私のお皿に積み上げた。どういう風の吹き回しかと思っていたら、私の小説を昨夜読了したという。
おばあちゃんと孫の話。おいしいパン屋のある町に住んで、ていねいな暮らしを営むふたり。孫の少女、みゆの目線で物語は進む。片思いの彼にふられたり、おばあちゃんを楽させたくて秘密でアルバイトをしたり。絵を描くのが大好きで、画家になる夢をもっているみゆ。だけど、現実はそんなにうまくいかなくて…… 二十歳になったあるとき、みゆはとうとう独立する。いつかきっと夢をかなえて帰ってくると言って。そしておばあちゃんと約束する。じゃあ、きっかり五年後の今日、ふたりがいつもひまさえあれば出かけていた美術館の、いちばん好きなあの絵のまえで会おう。そのときには、きっと夢がかなっているように ―― と。結局、みゆの夢がかなうまえに、おばあちゃんはひとりぼっちで天国に逝ってしまう。約束を果たせなかったみゆは、それでも、五年後の約束の日、美術館に出かけていく。そして、あの絵のまえで、いつまでもおばあちゃんが現れるのを待っている。その絵は、グスタフ・クリムトが描いたそれはそれは美しい女性の肖像画。いつしか絵の中の女性は、若かりし頃のおばあちゃんに変わっていく。そして、みゆと再会を果たすのだ。「どうでしたか?」おそるおそる、私は訊いてみた。物語は、自分が思った通りに書けたと思った。が、ひとつだけ自信がなかったのは、おばあちゃんから最後に届いたポストカードの絵 ―― 豊田市美術館にあるというクリムトの作品〈オイゲニア・プリマフェージの肖像〉を大事なオチに使ったにもかかわらず、私は実際にそれを見たことがなかったのだ。
(豊饒)

 

 


(白馬の森 東山魁夷 長野県信濃美術館・東山魁夷館)


「ねえお母さん、これさ、クリスマスプレゼントじゃなくて、誕生日プレゼントなの?なんで?」「いいから、早く開けてみなって」忠さんと私が見守る中、誠也は白いリボンをほどき、赤い包装紙を開いた。平たい白い箱のふたに両手を添えて、そっと開ける。フレームに入った複製画が現れた。〈白馬の森〉。私が大好きな画家、東山魁夷が描いた絵だ。「……わあ……」ため息のような声をもらすと、吸い込まれるように誠也はその絵に見入った。冬枯れの木立。冷たく青くとぎすまされた空気が木々のあいだを満たしている。そのはざまにすっと佇む一頭の白い馬。まるで森の精霊のようなその馬は、森の中から私たちの前に姿を現して、静かに息づいている。冬の化身のごとく凛として美しいその姿。みつめるうちに心が平らかになっていくようだ。
誠也が生まれた年に、たまたまダイニングの壁に掛けていたのが東山魁夷のカレンダーだった。日付とともに毎月一枚の季節の風景画が合わせてあって、毎日眺めて暮らしたものだ。〈白馬の森〉は、十二月 ―― つまり誠也が生まれた月を飾っていた。予定日は翌年の二月だったが、結局誠也は、カレンダーに白馬が登場した月に生まれたのだった。二十歳の記念になる特別なプレゼントは何かいいだろう。あれこれ考えを巡らせるうちに、ふとあのカレンダーの絵を思い出し、ネットで探して購入したのだった。
(聖夜)




(睡蓮 モネ 地中美術館)


薄暗い前室にたどり着いた。スタッフに声をかけられて、靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。これまで何度か美術館に行ったことはあったが、展示室に入るのに靴を脱いだのは初めてのことだった。そんなことのひとつひとつが、私には新鮮だった。そうして、私は、とうとう――〈睡蓮〉の絵のまえに、立った。ぽかんと大きな空間。床は小さな白い石のモザイクが埋め込んであり、壁も天井も白。けれど、まぶしい白ではなく、白鳥の羽のようなやわらかな光に包まれた白だ。展示室は天上の光に満たされ、その中に〈睡蓮〉の絵が浮かび上がっている。私は、言葉をなくして、ゆっくりと、強く、静かに ―― 絵の近くへと引き寄せられた。
正面に横長の睡蓮の池が広がっている。左右両側の壁にも一点ずつ。振り返ると、出入り口を真ん中にして両側の壁にも一点ずつ。全方位、睡蓮の池に囲まれている。睡蓮の池は、たそがれの空を映しているのか、紫がかった薔薇色。そこに群れて浮かぶ睡蓮の花の淡い白と、深緑の葉。茜雲が映る水面の下にはしなやかに藻が揺れている。水の中と、水面と、空。みっつの世界が池をはさんで響き合っている。「―― うわあ……すごい……」思わず声に出してしまって、はっとして右手で口をふさいだ。展示室には、ひとり、先客がいた。私が入っていったとき、正面の絵の真ん前に初老の男性が佇んでいたのだ。が、その人は、私が近づいていくのに気がついて、静かに正面から退き、自分が立っていた位置をごく自然に譲ってくれた。私は絵に強く引き寄せられるあまり、彼の気遣いにすぐには気づかなかった。けれど、無言であとから来た人にベストポジションをバトンタッチする行為に、アートを愛する人の暗黙のマナーを感じて、すてきだな、と思った。

―― もう一度会いに行こう。私は、ホテルのまえで地中美術館行きのバスに乗った。最終入館時間、十六時にぎりぎり間に合った。……。私は、ふたたび絵のまえに吸い寄せられながら、睡蓮の池からこちらに向かって寄せくるさざなみを感じた。やっぱり、この絵は、生きているんだ。この絵の中から風が吹いてくる。だから、こんなふうにさざなみが……私のもとに届くんだ。私は、吹きくる風を心地よく全身に受け、裸足を清らかな水にひたして、たださざなみに洗われていた。仕事、職場の人間関係、予期せぬ病気、苦しみ、思い悩んだあれこれが、遠くへと流されていった。透き通った白い光に包まれて、私は、どこまでも満ち足りた時間の中を浮遊した。

(さざなみ)