あらすじ
1968年2月、南極。日本南極観測隊・昭和基地近くで、一頭のカラフト犬の遺体が発見された。この情報は一般には知らされず、半世紀たった現在も封印されている。なぜ、これまでその存在が明らかにされなかったのか? はたして、犬の正体は? あのタロジロの奇跡から60年、第一次南極越冬隊の「犬係」で、タロジロとの再会を果たした唯一の隊員である北村泰一氏が、謎多き“第三の犬"について語り始める……。南極第一次越冬隊・最後の証人が明かす真実の南極物語。

ひと言
本を読み終えてすぐ映画「南極物語」を観ました。大好きな高倉 健さんとこの本の北村 泰一さん役の渡瀬 恒彦さん。第2次越冬の中止が決まり、あと2回ヘリを飛ばして犬全頭を回収したいと隊長に詰め寄る越智(渡瀬)に対して、「じゃあ、後1ぺん飛ばしてもらえませんか」と潮田(高倉 健)。「1回じゃ無理です。全部で500kgを超えます」という越智。「それでも飛びたいんです」と言って青酸カリの小瓶を取り出し「殺してきます」という潮田。「他に責任を取る方法がありますでしょうか」その表情と演技の高倉 健に唸らされる。「どうしてリキを捨ててきたの どうして連れて帰ってこなかったの! おじさんなんか嫌い!リキを返して!」リキを2人で育てた妹が潮田につかみかかり、それを止めに入る姉(荻野目慶子)の演技も涙を誘う。 忘れないよ リキ、そして南極を駆け抜けた18頭のカラフト犬がいたことを……。ありがとう。


やがて顔を上げて話し出しだのは、タロとジロのことではなかった。「あなたもそうですが、誰もが、昭和基地で生きていた犬はタロとジロだけだと思っています。ところが本当は違う。もう一頭、生きていたんです」  私は文字通り、言葉を失った。信じがたい証言だった。北村氏は、私に会う前からこのことを話そうと決めていたという。第三の犬が昭和基地で生きていたこと。しかし第三次観測隊が到着する前に息絶えたと思われること。その遺体は一九六八年、第九次隊の隊員によって昭和基地近くで発見されたこと。そうした一連の事実を、一九八二年になって一次越冬隊の仲間だった村越望氏から打ち明けられたこと。第三の犬を突き止めようと決心したこと。北村氏が話した内容は具体的で、私は徐々に引き込まれていった。
(序章 再始動(二〇一八年)

犬たちが南極で必死に生きた証を、記録にとどめる。それは時間との戦いだった。第一次越冬隊で、犬たちと濃厚な一年を過ごしたのは二名の犬孫だけだ。しかしもう一人の犬係、菊池徹氏は二〇〇六年にこの世を去っている。南極で起きた犬たちの真実を語れるのは、もはや自分以外にいない。今年で八七歳だ。いつまで生きていられるかわからない。今、自分が語らなければ、真実を伝えるチャンスは永久に失われる。腹をくくった者が放つ眼光が、私を射た。「犬たちは物言わぬ越冬隊員。タロとジロ以外は今もなお、名もなき存在のままです。だからそ、彼らが南極で苦しんだり喜んだりしたすべての真実を、世の中に知ってもらいたい。そうでなければ、私は死んでも死にきれない」もちろん、私は深くうなずいた。
(序章 再始動(二〇一八年)

「素晴らしいカラフト犬だ」芳賀は宝物を手にした気がした。「おい、お前。南極に行くか?」芳賀がささやくと「ワン!」と元気に鳴いた。「この三頭、いただきます」芳賀は、三頭を譲り受け、タロ、ジロ、サブロと名付けた。理由があった。一九一〇年、日本陸軍の軍人白瀬矗(のぶ)が南極を目指した。二六頭のカラフト犬が乗船していたが、航海中に二四頭が死亡した。生き残ったのはたった二頭。名前をタロ、ジロといった。この時は南極を断念した白瀬中尉は、一九一二年、二度目の挑戦で日本人として初めて南極大陸に上陸。数十頭のカラフト犬も南極の雪原を踏んだ。―― お前たちも、頑張って南極まで行くんだぞ。そういう思いが、名前に込められていた。
(第一章 南極へ(一九五五年九月~一九五七年二月)
 
リキは走った。リーダー犬として。先導犬として。だからこそ昭和基地を動かず、じっと待ち続けたのだ。犬ゾリを操る、あの男が帰ってくる時を。北村氏は小さく息を吐き、私を見つめた。そして言った。「タロとジロに再会した、あの時……」かすれるような声。顔がくしゃくしゃになった。「リキは、すぐそばに埋もれていたんですね。待ち続けたのに ―― 」
(第五章 解明(二〇一九年)

私がこの作品を監修するにあたって筆者に託したことは、ただ一つ。それは、南極で活躍した犬はタロとジロだけではない。すべての犬たちが頑張り、死んでいった。そのことを多くの人に知ってもらいたいということだ。第一次越冬中に命を落としたベックとテツ。自ら昭和基地に決別した誇り高き比布のクマ。残置されたまま餓死した七頭。行方不明のままとなった五頭。生き延びたタロとジロ。そして第三の犬。南極を駆け抜けた一八頭のカラフト犬すべてに平等に光を当てたい。それが私の気持ちである。
(あとがきにかえて 北村奏一)