あらすじ
炎上、不謹慎狩り、不倫叩き、ハラスメント… 世の中に渦巻く「許せない」感情の暴走は、脳の構造が引き起こしていた! 人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人など、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。この快楽にはまってしまうと、簡単には抜け出せなくなり、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになってしまいます。著者は、この状態を正義に溺れてしまった中毒状態、「正義中毒」と呼んでいます。これは、脳に備わっている仕組みであるため、誰しもが陥ってしまう可能性があるのです。他人の過ちを糾弾し、ひとときの快楽を得られたとしても、日々誰かの言動にイライラし、必要以上の怒りや憎しみを感じながら生きるのは、苦しいことです。本書では、「人を許せない」という感情がどのように生まれるのか、その発露の仕組みを脳科学の観点から解き明かしていきます。「なぜ私は、私の脳は、許せないと思ってしまうのか」を知ることにより、自分や自分と異なる他者を理解し、心穏やかに生きるヒントを探っていきます。


ひと言
今年の1月の上梓の本なのでコロナに関する記述がありませんでしたが、中野さんはこのコロナ禍をふまえてどのような本を書かれるのか今後の著書を楽しみにしたいと思いました。東日本大震災でも在宅勤務などを実行できなかった日本人が、今回のコロナ禍でどう変わっていけるかを見守っていきたい。このコロナ禍はほんとうに今まで経験したこともない不幸な出来事ですが、このコロナ禍で、これからの日本がそして世界がよりよい方向に変わっていくきっかけになればと心より願っています。


東日本大震災当時、原発事故による電力不足によって、首都圏では多くの交通機関が通常通り運行できない状況と なりました。そして、在宅勤務を余儀なくされる事態が発生したことは記憶に新しいところです 。都市部における業務のうち、事務的な作業の多くの部分は、パソコンやスマートフォンなどでいつでもどこでも行える状況にあることを考えると、もし、出勤することが、ただ自分が働いていることを目視で確認してもらうためだけに行う行動なのだとしたら、わざわざ毎日オフィスに出向いて働かなければならない理由はありません。震災前から、ある程度はこのような状況はできつつあり、誰もがそうなのではないか?と気づいていながらも、慣例的に出勤し続けてきたと思います。毎朝遅刻せずに会社に出てくることこそ模範的な会社員だという考え方が、集団内、ないしは社会のなかで当たり前のものとされている以上、それを 社員の方から言い出すのは、なかなか難しいわけです。
出勤が週2日で、週3日は自宅勤務が可能なら家で家事や育児ができる、往復2時間の通勤がなければ、その分、子どもと触れ合う時間が増える、などということは誰もが気が付き、望んでいるにもかかわらず言い出せません。 震災と原発事故という大事件が起きてなお、合理的であるはずの選択を実行することができないでいます。何よりも集団のルールを重視する日本人は、「こういう状況だから仕方がありませんね」と集団内の誰もが納得できる理由がなければ、たった一人ではみなと違う行動が取れないのです。たった一人でエスカレー ターの右側(大阪では左側)に立ち止まることができないのと、理屈上は同じです。
(第2章 日本社会の特殊性と「正義」の関係) 

これを現象として考えると、集団の空気を読むことの合理性を理解し、そのためなら嘘をつけるという器用さは、女性の方が比較的発達しているということになります。ママ友たちの間では正直な意見を言いにくいとか、若い女性たちが、とりあえず同じ集団のなかでは、どんなことに対しても「かわいい!」とか「ウケる!」と肯定的に反応しておくことなどは、その表れかもしれないのです。 反対に、若い世代では男性の方が集団の同調圧力から自由ということも言えるでしょう。 
多くの研究者たちの解釈によれば、女性が空気を読む能力を発達させた要因は、子育てにあるのではないかと考えられています。子育てを行う際、乳児からの非言語メッセージを受容するために、この能力が必要だったのではないかというのがその理由です。言葉を発することのできない乳児は、顔色や泣き方などによって意思を伝えているため、それを高い理解度で受け取る必要があるわけです。ただ、その能力の高さによって、同性同士のコミュニケーションや、自分自身に対するネガティブなメッセージを受容しやすくなるために、生きづらさを感じているとするなら、女性に降りかかってしまいがちな苦労だと言えるかもしれません。
(第2章 日本社会の特殊性と「正義」の関係) 

こんな研究例もあります。男女の成績を比較すると、一般に中学生くらいまで は女性の方が成績が良いのに、高校生になると女性の成績が急に落ちていきます。その背景には、年齢が上がるにつれて、「女性はそこまで勉強ができなくていい」という社会的なイメージを受け止め、「学習」した結果そうなってしまうのではないかと考えられます。「女の子なのにすごいね」「東大に行くの? 男の子だったらよかったのにね」「女の子があんまり勉強を頑張ると結婚しにくくなるよ」……こうした有形無形のネガティブメッセージ(無論、なかには素直に褒めているつもりのものもあるのでしょうが)を受け取る率が男性よりも高く、男に生まれればよかった、女は勉強してはいけない、良い成績を取ってはいけないと考え、実際にそうなってしまうのです。
これも社会的適応の一形態に過ぎないと言えばそれまでですが、すでに述べた通り女性の方が、脳科学的に集団の空気を読むことの合理性を認識しやすいため、非常にもったいないことですが、「成績が良いことが自分にとって有利に働かないかもしれない、損をするかもしれない」と感じ取って、ブレーキを踏んでしまうのです。反対に、「女性らしくて気が利くね」「かわいい」などという褒め方をされると、そちらに合うように振る舞い始めるわけです。
(第2章 日本社会の特殊性と「正義」の関係) 

少し詳しく説明すると、脂肪はグリセリンと脂肪酸からできていて、グリセリン一つに脂肪酸が三つ結合しています。脂肪が人間の体内でエネルギーとして使われるとき、この結合は酵素で切られ、脂肪酸とグリセリンに切り離されます。ここで遊離した脂肪酸は、遊離脂肪酸と呼ばれます。
遊離脂肪酸にはさまざまな種類があるのですが、炭素同士が二重結合している部分を持つ脂肪酸のことを不飽和脂肪酸と言います。このうちミエリンの原料になるのは、オメガ(=一方の末端)から三番目に存在する炭素同士が、二重結合しているものです。つまり、オメガから数えて三番目に不飽和が存在する脂肪酸なので、「オメガ3脂肪酸」と総称しているわけです。オメガ3脂肪酸のうち、よく知られているのが、DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)です。
(第4章 「正義中毒」から自分を解放する)

考えてみればコンピュータやインターネットは東西冷戦時代の競争の産物であり、それがSNSを生み出して、今や正義中毒を増幅しているのですから。はたしてこれは、悪いことなのでしょうか。私は、もしもあらゆる人が十分に満足し、争いも競争もない本当に平凡な毎日が続くようになると、人間はむしろ退化してしまうのではないかと思うのです。全く対立のない状態が人類の進化を止めてしまうのであれば、ある程度の対立は人間に必要な要素なのかもしれないのです。
(あとがき)