あらすじ
一級建築士の青瀬は、信濃追分へ車を走らせていた。望まれて設計した新築の家。施主の一家も、新しい自宅を前に、あんなに喜んでいたのに……。Y邸は無人だった。そこに越してきたはずの家族の姿はなく、電話機以外に家具もない。ただ一つ、浅間山を望むように置かれた古ぼけた「タウトの椅子」を除けば……。このY邸でいったい何が起きたのか?
(2020年本屋大賞ノミネート作品)
 
ひと言
2020年本屋大賞ノミネート10作に選ばれた本で、すぐに予約を入れて借りることができました。あの「64」の横山 秀夫さんの6年ぶりの長編です。「ノースライト」とは「北向きの採光」のことで、安定した光量が得られ芸術家のアトリエなどによく使われているとのこと。ブルーノ・タウトの椅子とマッチして、いいタイトルをつけたなぁと思いました。
 
 
「北向きの家」を建てる。その発想がぽかりと脳に浮かんだ時、青瀬はゆっくりと両拳を握った。見つけた。そう確信したのだ。信濃追分の土地は、浅間山に向かって坂を登り詰めた先の、四方が開けた、この上なく住環境に恵まれた場所だった。ここでなら都会では禁じ手の北側の窓を好きなだけ開ける。ノースライトを採光の主役に抜擢し、他の光は補助光に回す。心が躍った。光量不足に頭を抱えたことのない建築士がいるなら会ってみたい。住宅を設計する者にとって南と東は神なのだ。その信仰を捨てる。天を回し、ノースライトを湛えて息づく「木の家」を建てる。北からしか採光できない立地条件でやむなくそうするのではなく、欲すればいくらでも南と東の光を得られる場所でそれを成す。究極の逆転プラン。まさしくそう呼ぶに相応しい家だった。
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「タウトはなぜ桂離宮を褒めたと思う」いきなり話が飛んだ。青瀬はついていった。「桂を気に入った。他に理由があるか」「昭和初期に台頭していたモダニズムがタウトにそう言わさせた側面も否定できない ―― 俺が習った教授はそう言ってた」 「様式闘争ってやつか」 「それだ。当時の日本のモダニストたちは桂離宮を担いで、ギリシャ風やゴシック風の壁をぶち壊そうとしていた。だからタウトに目をつけた。世界的な巨匠建築家のお墨付きが欲しくて桂に連れて行った。話の筋は通るよな」 「そんな単純な話じゃないだろう。それにタウトが良くないと思ったものを良いと言うとは思えない」 「そりゃあそうさ。モダニズムを煎じて言えば、実用性と機能性だ。その先に機能美がある。だが、そもそもタウトは表現主義の建築家だ。モダニストじゃなかったんだ。まあ、来日した頃にはそれに近い考えを持っていたかもしれないし、モダニズムと日本建築の簡素美をリンクさせていた部分もあったろうが、でも、少なくとも純粋なモダニストとして桂を鑑賞したわけじゃない。そのタウトが桂を美しいと言った。泣きたくなるほど美しい、ってな」  「ああ、拝観した日の日記に書いてるな。泣きたくなるほど美しい、眼を悦ばす美しさ、って」 「要するに、日本のモダニストたちの思惑はともかく、タウトが桂離宮の再発見者だった事実は動かない。あの複雑怪奇な男が、美しい、という最もシンプルな言葉で桂を評価した。様式闘争を嘲笑っていたのかもしれない。眼に美しい物には絶対的価値がある。いや、美しさこそが唯一絶対の価値だ。タウトはそう言いたかったんじゃないのか」 「それはどうかな。タウトは実用性と機能性の重要さについても口を酸っぱくして言ってる」 「違う。タウトの傑出したところは、自分の審美眼を信じ、生涯を通じてその自信にいささかの揺るぎもなかった点だ ―― どうでもいいことだけどな」
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「タウトは言ったろ。桂離宮を見て、泣きたくなるほど美しい、って】 青瀬は煙る岡嶋の横顔を見つめた。どうでもいいこと。そうケリをつけたのではなかったか。 「知ってたんだろうなあ、タウトは。この世で一番美しいものをさ。形あるものか、観念的なものか、ともかく絶対美と呼べるものの在り処を知っていて、だから自分も美しいものを創造しようとした。それって、自分の心を埋める作業だよな。埋めても埋めてもまだ足りないものを、ひたすら埋めていく終わりなき作業だ」
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