あらすじ
希望を祈るな。立ち上がり、掴み取れ。愛は囁くな。大声で叫び、歌い上げろ。信じよう。仲間との絆を、美しい海を、熱を、人間の力を。英雄を失った島に新たな魂が立ち上がる。固い絆で結ばれた三人の幼馴染み ―― グスク、レイ、ヤマコ。生きるとは走ること、抗うこと、そして想い続けることだった。少年少女は警官になり、教師になり、テロリストになり、同じ夢に向かった。
(第160回直木賞受賞)
 
ひと言
ドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』の瀬長亀次郎のことや、1959年6月30日の死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人を出した宮森小学校米軍機墜落事故。1970年12月20日アメリカ軍人が沖縄人をひいた交通事故に端を発するコザ暴動、1969年7月 致死性のVXガスが漏れる事故が起き、米軍人ら24人が中毒症で病院に収容。米軍は、コザ市に隣接する美里村の知花弾薬庫(レッドハットエリア)などに致死性の毒ガス(サリン・VXガスなど)を秘密裏に備蓄していた事実。などなど、サンフランシスコ講和条約から沖縄本土復帰までの沖縄の歴史やウチナンチュの苦悩が描かれています。命どぅ宝(ぬちどぅたから)という沖縄の言葉があり、その命どぅ宝を大切にしてきた島、沖縄。私を含めてもっと多くの人が沖縄のことをもっと考える一助になって欲しいと思う本でした。

「われら沖縄人(ウチナンチュ)はみんな、いまのわたしやおまえとおなじ。呼吸もできずに青ざめている。だがもっとたちが悪いのは、われわれが慣れる生き物ということでな。選択の自由のなさにも、海の底のように息苦しい生活にも慣らされて、地上に顔を出せばうまい酸素があふれていることも忘れてしまう。大切なのは、なにも疑問を持たない状態におちいらんことさ」
(第一部 リュウキュウの青 1952-1954)
 
それから、大事なことがもうひとつ。 基地の周辺を歩いていると、金網の外にうずくまっている土地の女をよく見かける。 お酒や米などをひろげて、基地のなかに向かって掌を擦りあわせている。 この島では、先祖伝来の墓がある土地を、軍用地に奪われたものが少なくなかった。 キャンプ・カデナのような要衝にもなると、立ち入りは許されず、春と秋の彼岸のたびに金網の外から墓の方角へと祈るしかない。ああ、そうか。そうだよね。 うずくまる背中を見ていて、ヤマコは自明のことに気がついたのさ。 この島にかぎっては、みんながみんなそうなんだよね。 自分だけやあらん。だれにでも大事な人を奪われた過去がある。 消えかけた希望を、離散や死別を、失った過去をひきずりながら。 それでもたいていの島民が、きちんきちんと日々の暮らしを営んでいる。 現実と向きあって、明るく、強く、生活や仕事に根を張っている。 それが大事なことだと知っているから。さもなければ過去の亡霊にとらわれて、死んだように生きることになると知っているから。
(第二部 悪霊の踊るシマ 1958-1963)
 
ユタとノロ、どちらも宗教上の女性の役割なのでごっちゃになりがちだけど、ユタがいわば在野の易者なのに対してノロは土地の祭祀をつかさどる神職者。素質をもった女性があるとき病気や心身の異常を体験したのちに目覚めるのがユタで、かたやノロは血縁で継承される。豊饒祈願や厄払いといった宗教儀礼を執りおこなう女シャーマンといったところだった。
(第二部 悪霊の踊るシマ 1958-1963)

われらが沖縄の信仰には、ふたつの神の国があって、それぞれが垂直方向と水平方向に表象される。雲の上にあるという”オボツカグラ”が琉球王朝の権威づけに喧伝されたのに対して、海の彼方にあるという”ニライカナイ”は広く庶民の信心を集めてきた。生者の魂はニライカナイより来たりて母胎に宿り、死んでまたニライカナイに還るのさ。豊饒と命の根源にして、祖霊たちが守護神へと生まれ変わるところヘ――
(第三部 センカアギヤーの帰還 1965-1972)
 
ヤマコのように一途な復帰派でも、このさきに期待しよう、とは言わなかった。アメリカの統治が終わっても基地はなくならない。”核ぬき・本土なみ”は果たされない。だったらなんのために日本に戻るのか? この島の人たちがなにを復帰に望んでいるのかを佐藤政権は、日本人はわかっていなかった。いや、わかっていて知らんぷりを決めこんだ。二国の関係強化のため、アメリカとのいっそうの一体化のために、この島に基地を残しておきたいのはほかでもない日本人だ、
(第三部 センカアギヤーの帰還 1965-1972)