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あらすじ
男と張り合おうとするな。みごとに潰されるから。祖母の残した言葉の意味は何だったのだろう。いつも前を行く彼と、やっと対等になれるはずだったのに。「もしかして、別れようって言ってる?」ごくふつうに恋愛をしていたはずなのに、和歌と仙太郎の関係はどこかでねじ曲がった。全力を注げる仕事を見つけ、ようやく彼に近づけたと思ったのに。母の呪詛。恋人の抑圧。仕事の壁。祖母が求めた書くということ。すべてに抗いもがきながら、自分の道を踏み出す彼女と私の物語。心血を注いだ渾身の長篇小説。

 

ひと言
読み終えた後、爽やかな気持ちになったり、明日からまた頑張ろうと元気をもらえる訳ではないことがわかっているのに、角田光代を読みたくなる。「九龍城」の内部がどんなふうになっているのか見てみたくてたまらなくなった和歌のように…。
「二人で好きなことやって、家がゴミ屋敷みたいになって、コンビニ飯で腹を満たして…。……。」
仙太郎は『生活を放棄している人』と言い切る。女の人はこの言葉をどのように感じるのだろう。

 

 

 

我に返った和歌の目の前にそびえるのは、九龍城であり、地図で確認すれば、三駅ぶんも歩いてきたことになる。九龍城は、見れば見るほど複雑怪奇にねじくれている。大きさ異なるマッチ箱を慎重に重ねていったような緻密さがあり、けれど目の前にそびえる建物群はその緻密さを嗤うように巨大で、何か、目の前にあるのに架空のものを見ているかのようだ。立ち入らないほうがいいとガイドブックにも書いてあるし、一度入ったら出られないと和歌もどこかで聞いた覚えがある。けれど和歌は、内部がどんなふうになっているのか見てみたくてたまらなくなっている。……。……。
もしかして、私たちの生、生というものが大げさだとするなら生活、そういうものは、私の想像がかろうじて手をのばせるほどの偏狭さで成り立っているのではないか。ここはたしかに、自分の想像を超えた場所である。こんなところがあるなんて思いもしなかった、今目にしている光景だって現実味がまるでない。それに、たとえば夜に落ち合う久里子に私はきっとこの光景を説明できない、なぜならこの場所が自分の言葉を超えているから。でも、それならここに何がある。学校があり、煮物のにおいがあり、歯医者があり、テレビがあり、コンドームがあり、麻薬があり、水道があり、ベッドがある。私の知らないものなどひとつもないではないか。よくよく見知ったもので成り立っている。けれどそれを無数に積み上げていけば、この、緻密で猥雑で巨大な、人が作り上げたとはとても思えない異様な城になる。暗闇の先の、橙色の光を見つめる和歌の目に、数カ月前に見た蔵が浮かぶ。放水を受けながら膨大な煙のなかに沈んでいくちいさな建物。あのとき聞いた気のする、祖母の声。いや、あれは祖母の声だったのか。私の声、ではなかったのか。(P75)

 

 

 

世のなかの仕事には隙間があるらしいと、和歌は思う。たとえば、女性誌の、結婚したくないという女性が増えている理由は何か、という取材に、だれが答えてもかまわないのだろうと思う。二十代の既婚者でも、四十代の未婚者でも、あるいは小説家でも画家でもスポーツ選手でも、インタビュアーの意図をいち早くくみ取ってくれる女性であれば、だれでもいい。三十代で未婚なんてけしからんというニュアンスの特集にしたければ、そう言ってくれる人が、三十代で未婚でどこが悪いのという論調ならば、そう言ってくれる人が必要なだけだ。そこさえ間違わずに、あとはちょっと気の利いたようなことを一言二言言えば、この手の仕事は増えていくのだろうと和歌は考えた。そんな「隙間の仕事」ならば、私はやらないという誇り高き人もきっと多くいるのだろう。だからますます隙間は広がる。ならば私は、その隙間を埋めると和歌はひそかに決意する。だれでもいい、ならば本田和歌でもいい、という扱いでかまわない。名前が一文字くらい問違っていたってかまわない。実際に、和歌の思う「隙間の仕事」は繁殖していった。女性誌でコラムを書く。するとべつの雑誌から、似たような題材で依頼がくる。……。(P200)

 

 

帰国したという報告もなく、この先どうしようかという話し合いもなく、いきなりの拒絶。自分のモチーフを盗られたと勘違いして仙太郎が怒っているのだとばかり、和歌は思っていた。けれどそうではないと気づいた。母の言ったことが、つまりは仙太郎の気持ちなのだ。いい気になるな、どんなにたいそうなことをしているのかと、あんなに何度も言われてきたではないか。
仕事をしようとすれば、それだけになる。自分の時間を自分のために使うことしかできなくて、他人を思いやる想像力を持てなくて、自分の汚した皿を自分で洗うのも、だれかにそうさせられているって思っていやいや洗う、そういうことしか、できないんじゃないかな―― かって放たれたいくつもの言葉が、母の呪詛にぴたりと重なった。でかい顔されても。女のくせにがつがつして。文化人気取り。子どもを犠牲にしてできたものだろ。あんたはおかしい。くだらねえ会。どうして、どうしてちゃんとできないの。きみと暮らすのは無理だ。顔つきが卑しくなったよ。仙太郎と母、どちらのものか、もう判断のつかない言葉が浮かび上がっては消え続ける。今もなお。母の言っていたことも、仙太郎の言っていたことも、きっとただしいのだと和歌は思う。腹から出ることのなかった子を亡くし、それでも平気で仕事をし、ときにそのことを忘れてきたのだ。そんな女が世のなかにいるはずがない。そんな人間に、人に届く何かが書けるはずはない。人の営みが書けるはずがない。仙太郎はあのとき、私を貶めようとしていたのではない、事実を言っていただけだ。そのことに思い当たると、ひんやりと全身が冷たくなった。何をいい気になって、小説など書いてきたのか。家のことを他人にぜんぶ押しつけて、何を夢中に書いていたのか。この先も書いていけると、どうして無邪気に信じられたのか。自身を責めるように考えていると、タエが思い浮かんだ。モノクロ写真で見た、まだ母でも祖母でもないタエである。タエもこんなふうに思ったのではないかと、和歌は思うのだった。(P237)