とうちゃんのモノサシ -15ページ目

いただきます

日本では
ごはんを食べる時に

いただきます!

という習慣がある

いただきます!

って感謝の言葉だけれど
何に感謝して

いただきます!

って言っているのか
食べ物を運んでくれた人
調理してくれた人
買いに行ってくれた人
売ってくれた人
運んでくれた人
集めてくれた人
作ってくれた人

確かにそうだ
たくさんの人のおかげさまで
美味しいごはんがいただけます

それはそうなんです

でもそれだけじゃ
美味しいごはんって食べられない

お米とか
お魚とか
お肉とか
お野菜とか

ようするにごはんそのものがなければ
いくらたくさんの人がいても
お腹いっぱいにはならない

ごはんそのものは
な~んにも言わないけれど
元々は“いのち”です

僕達は自分の“いのち”を維持するために
“いのち”をいただかなくてはいけない

“いのち”を
いただかなくては
生きていけない

“いのち”ってありがたいね

大切な“いのち”を
心から感謝して
いただきます

いただいた“いのち”の分も
自分の“いのち”に責任もって生きていかせて
いただきます


いただきます!

修行

人生は修行らしいです

この世で
ただ一つ確実なことは
生まれたら死ぬってこと

生まれてから死ぬまでの時間は個人差があるようです

修行をするための制限時間かもしれません
何度も修行をくり返すうちに
だんだん短くなるのかもしれません

中には

他の人の修行の手助けのためだけに
生まれてくる
愛のかたまりのような人もいるかもしれません
生まれてまもなくこの世を去る命には
そんな真実があるのかもしれません

修行は脱出イリュージョンのアトラクションように思います
そして、そのアトラクションには
4つのステップがあるように感じます

1つ目は「拘束ステップ」
脱出イリュージョンですから
手足を縄でしばったり
チェーンや錠をつかったり
テープでグルグル巻きにしたり
その上で箱の中に閉じ込めたりしてもらう

2つ目は「検討ステップ」
自分がどんな風に拘束されているのかを知る
どうやってこの状態から脱出するのかを考える

3つ目は「脱出ステップ」
実際に脱出を試みる
「検討ステップ」と「脱出ステップ」をくり返す

4つ目は「解放ステップ」
脱出の感動を味わうことができる
うまく脱出できて時間が余った場合は
他の人の脱出を手伝うことができる
他の人の拘束を手伝うことができる

実は「解放ステップ」まで進める人って少なくて
検討ステップ、脱出ステップでほとんどの人は時間切れになってしまうようです

僕は現在「検討ステップ」と「脱出ステップ」を行ったり来たりして
ドキドキワクワクキャーキャー言いながら楽しんでます

気付く

僕は
気付くってことを本当に大切にしている

今日、木村さんもそのようなお話をされていたので
なんだか、心強い味方が増えたような気分になれてうれしかったです。

そして、自分の欠点に気付くことの大切さを伝えてらっしゃいました。
本当に僕もそう思います。

以前の記事 でも書きましたが、自分の欠点を知る方法で最も分かりやすいのは

自分の周りに現れる
自分の気分を害する人

まさしく神様みたいな存在ですね

自分で自覚できている欠点は、実はそれほど重傷ではなく
本当に慢性的で、重度の障害は他人を通して現れる

木村さんのコメントには無かった(編集されているかもしれません)のですが
相談者との軋轢の回想シーンで代替えされたように感じます

あの相談者の方々がいらっしゃらなければ
今回の木村さんの「気付き」のメッセージのエネルギーは生まれてない

テレビは視聴率を稼がないといけませんので
「常識のない困った人々」と「木村の神様」とを対比させて
日本人が一番大好きな「勧善懲悪」感情を刺激する構成になっていましたが
木村さんはおそらく
それも含めて「気付き」を求めていると感じました。

もしそこに怒りを感じるならば
その怒りは、昔々のあなたが感じた寂しさや不安が元で生まれているかもしれないからです

室井さんの相談の解答が幼少の経験に踏み込んでいるのが
僕には神の計らいのように感じる


  「たくさんの人がしないこと(非常識なこと)は、たとえ理由がなんであれ、やってはいけません」

  自分のやりたいことを我慢しなければ
  大好きな人が怖い顔をするし
  大切な人に愛してもらえないかもしれない

  やっては行けない理由は教えてもらえない
  だけど
  無理矢理にでも自分を押さえ込んで
  大切な人の言うことを聞くことにしよう
  私のやりたいことは
  理由は分からないけれど
  やってはいけないことのようだから


  小さな私は、理由も知らされずに我慢するしかなかった


常識を掲げて自分や他人を否定的に判断してしまいがちな人の根っこにある
最も多いパターンがこれではないでしょうか?

  私は(我慢したくなかったのに)我慢した
        ↓
 (私は我慢したのに)あの人は我慢していない
        ↓
  我慢しない人は怒られてもしかたない(私は怒られた)


正しいとか
間違いとかで結論を出すよりも

楽しいか
楽しくないかで判断しましょうよ


おそらく
僕の考察はそれほど飛躍したものでは無いはずです

赤ちゃんが笑う時

次男のゆう君が明日で4ヶ月目に突入。

時々、声を出して笑うようになった。

赤ちゃんが、声出して笑うと
なんで笑ったか理解できなくても
とんでもなく嬉しい気分になるのはどうしてなのかな?

もっと喜ばせたいって思う

同じように
出会う人みんなに思いたいね


赤ちゃんほど喜んでくれるのが分かってると
そんなことも出来るんだろうねきっと
だから
何か受けとったら、とりあえず思いっきり笑ったら良いよね

冷める人は冷める人で認めてゆるしてね

伝える

自分の思いを
自分以外の誰かに伝える楽しい方法は

なんだろう?

一つひとつ・・・

生きていると
多かれ少なかれ
嫌なことがあるもんです

イラっとしたり
イラっとされてイラっとしたり
イラっとしてる人をみてイラっとしたり
イラっとしちゃった自分にイラっとしたり

誰しもあるもんです
それを
ある人はポジティブに受け止める
ある人はネガティブに受け止める

これは個性
どっちだってたいして変わりゃしないように僕は思うんです

そこで、こんな提案
これ“ただのチャンス”だと思っちゃうんです

それで、ほぼ毎日何かしらのチャンスがあるとする
それを一つひとつ

「あっ!今、イラっとした
 やったーっ!
 幸せチャーンス!」

まず、こんな風に
イライラを受け止めて
楽しくなるような包装紙(チャンス)でラッピングして
作り笑顔で脇へ置いて眺めてみる

それから一つひとつ
もう一度開封しながら

「このプレゼントって
 もしかしたら
 今までにも
 もらったことがあるんじゃないかな?」

自分に聞いてみてください

もし何か思い出したら
考えてみてください

「前にもらったときって
 ありがとうって
 言ったかな?」

きっと言ってないと思います
だから気がついた時に「ありがとう」と言ってみましょう
次から同じシーンが来た時には「ありがとう」を受けとるでしょう

何も思い出さなかったら

「ん~忘れたな。
 ま、いっか!
 そのうち思い出しちゃうから!」

そう考えてから
とりあえず「ありがとう」と言ってみましょう
きっと思い出せるように「チャンス」が来ます
その時になぜだか「ありがとう」と言っても良い気分になるでしょう

なったら言ってみてください

「ありがとう」と

一つひとつチャンスを受けとって
「ありがとう」を返していけば

どんどん
どんどん
どんどん
どんどん

まったく何もおこらないのに
キラキラの一日が増えていくでしょう

やっぱり10歳までの子供達は神に近い!

今週からクーちゃんが幼稚園に通い始めた。
今日、明日と時間があるので送り迎え係をさせてもらうことに・・・

しかし・・・

子供達はすばらしい
とくに、3・4・5歳の子供達にはとても元気や勇気や愛情をもらえます

「もーっ、○○ちゃん、なんでそんなん投げるんよーっ!
 危ないやろっ!!
 おかあさん、怒るよっ!!」

おかあさんの言いたいこと、分かるんですよね
もし、そんなことを続けていて
よそのお子様にそんなもんをぶつけてしまって
ケガでもさせたら大変だってことなんだろうけど
その子は、誰もいない所にちゃんと狙って投げてたのに・・・
帽子の色からして、まだ3歳ですよ・・・
3歳なのに、誰もいない所を狙ってなげれたのに・・・

どうして出来たことではなく
まだ起こってもいないことで
やってもいないことで
その子は自分の大好きな人から
怒られなきゃならないのか・・・

大人の世界だったら、大問題に発展する可能性があるような
ものすごい言いがかり&脅迫の言葉にもなりかねないように思うのです
それを、自分の母親から言われるんです
あの子は、それをどう受け止めるのだろうかと思って見ていました

やっぱり一瞬、悲しそうでした。

なんだけど
一緒に遊んでる子が笑うと
うれしそうに笑うんです

「ああ・・・天使だ」

そう思いながらその子達を見ている僕に気がついて
なぜか,笑顔で手を振ってくれました!

大好きなギタリストの投げたピックが僕の胸ポケットに入ったような
いや、もっと大きな
でもとても落ち着いた感動で胸がいっぱいになりました

最近、なぜか見知らぬ子供によく手を振ってもらえます。

とても光栄です。

あぁ・・・世の中の大人はもっともっと学ぶ必要があるんじゃないかと僕は思ってしまう
交流分析とかマリア・モンテッソーリの考えとか
チャールズ・チャップリンや吉田松陰とその母と社会の関係とかスーザン・フォワードやエンリケ・バリオスの本とか読んでみて
色々と自分のことと合わせて考えて欲しいなぁ~


僕は、不幸のドミノ倒しを僕の代で終わらせるために
もっともっと勉強して、実践して、子供達にたくさん教わりながら
楽しんで生きたいと思います。

ありがとう
天使達よ!

自分から

自分がはまっているかもしれない気がしている悪習慣の無限ループから
自分からどうやって抜け出すのか?

これかなりチャレンジングな問いだ

だって、止められない悪習慣って
本当の所
本人の心には悪でもなんでもないだから

本当にダメだと思っていたら止めるんだ

目が見えなくなるとか
食事ができなくなるとか
命の危機とか
そうなったらほぼ100%止めるらしい

なんだか
ちょっと可愛いなぁと思う

豊かさ

豊かさのものさしはなんだろうか?

僕の場合

毎日の生活に欠かせないものが
どれだけ減らせるか

それが豊かさの基準

金額の問題ではなくて
数の問題

何にも寄らないで暮らせれば豊かだと思う

もちろんお金にもだ

そのためにはいちいちお金の計算をしないでも
いいようにならないとね

今夜はお金のことは深入りしないでおこう

とにかく
あれも欲しいこれも欲しいということは、欠乏
もうたっぷりですは、豊潤

信じる

信じるために
絶対必要条件がある

自分を愛する

これができてないと
決して信じることなんてできない

愛がないところに
信はない

自分を心から愛していないのに
自分を心から信じることはできない
自分を信じることのできない人が
どうやって他人を信じることができるだろう
他人を信じる自分を信じることができないのだから

自分を愛するってことと
ナルシストを完全に誤解している人があまりにも多すぎて驚くことが多い

ナルシストの根っこは劣等感でしかない

なんの根拠もない劣等感だ

そして
そんな劣等感を抱えている人が多くいる


何よりもまず
自分を愛することを最優先してほしい
自分の全てを愛してほしい
良い所だと思っていることも
悪い所だと思っていることも
賞賛できる所も
反省すべき所も
自分の何もかも全部を
無条件で愛して欲しいです