昨年6月に派遣で勤め始めたのですが、職場の雰囲気にどうしても馴染めなかったり、不眠で眠れないため、仕事中眠くて会議中に居眠りしてZZZ注意されるし、残業も就業前に聞いていたのよりずっと多くて疲れが取れなかったりということがあって、抑うつ感が強くなってきたので、このままでは再発してしまう・・・とダウンする前に、派遣元の担当営業に自分がうつ病を患っていることをカミングアウトし、結局わずか一ヶ月で退職となりましたガックリ・・・。ここからが、今に続いている就職活動のスタートでした。

実は昨日も「不採用」の電話があり、先週は2社から「不採用」の連絡を受けましたうえ~ん。いったい自分は今まで何社応募して不採用になったのか、把握していなかったので、ちゃんと数えてみようと思い、整理してみました。で、結果ですが、「採用」になった場合を“勝”、不採用を“敗”として表すと・・・

2008年7月~2008年12月までーーー1勝13敗
2009年1月~現在までーーーーーーー2勝25敗
合計すると、3勝38敗になりました。

この3勝について説明すると、1勝目は今も土日に働いている農業公園でのアルバイトです。当初は、昨年8月のお盆だけの短期のバイトのつもりが、結局今も続いていることになります。昨年は、土日にバイトして、平日は就職活動をしていましたが、13敗という数字が示すように、どこにも採用にならなかったわけです。で、その農業公園は冬場は積雪のため冬季閉園となってしまい、11月末で農業公園のバイトも終了し、12月からは全くの無職になってしまったのでしたmf*

12月にも年末年始の短期のアルバイトなどにも応募したのですが、世間は既に不況の真っ只中で、この頃から、求人に応募者が殺到する状況で、結局無職のまま新年を迎えたのでした。

今年に入って1月からも応募は続けて、2月に応募したTSUTAYAのアルバイトの採用が決まりました。これが、2勝目です。病気のことはクローズで働きました。もともと趣味が読書・映画鑑賞。音楽鑑賞なので、仕事としては楽しかったのですが、接客販売がほとんど未経験だったので、「いらっしゃいませ」などの接客用語の声が小さいとか少ないとか、社員にはよく注意されてました。あと、レジもやりましたが、本・CD・DVDの販売からレンタル、買取りとやることがたくさんあり過ぎて、結構パニックになりそうで、なかなかレジは慣れませんでしたううっ。それと、勤務を始めたころは、研修もあり日勤だったのですが、お店がちょうど24時間営業になる時で、夜勤の人が足りないということで、私は18:00~27:00の勤務になったのです。準夜勤みたいな時間でしたが、それで体調を崩すことはなかったのですが、朝方4時頃帰宅する生活もなぁ・・・と思ったり、接客自体、自分に合うのか疑問も感じていたので、アルバイトはしながら、他のパートの求人に応募していたのです。

たまたま自宅から車で15分というところに、生協の物流センターがあって、そこで生協の組合員向けの食品を扱う仕事で、作業管理という職種の求人があり、通勤は近いし、勤務時間は夜勤ではなかったし、時給もTSUTAYAの日勤より高かったし、何より社会保険等に入社日から加入可という条件だったので、応募したら、なんと採用になったのでした。これが3勝目です。で、結局、TSUTAYAのアルバイトは辞めて、4月から生協の物流センター内にある会社(注:生協に採用されたわけではありません)でパートで働くことになったのでした。こちらも、病気のことはクローズでした。

物流センターでの勤務が始まったのですが、作業管理という仕事にゆくゆくは就いてもらうけれど、その前に一通りの工程・作業を経験してもらうということで、研修がスタートしました。作業としては、各家庭に配達する野菜や果物等を箱詰めするラインがあって、そのラインを流して作業するのですが、そのために膨大な数の段ボールをカッターで切るのですが、仕事を終える頃には、手首や腕が痛くなりました。一番辛かったのは、キャベツやじゃがいもなどが入った段ボールをラインへ補充するのですが、とにかくいろんな物を膨大な数持ち上げて運ぶので、今度は両手の指の関節が痛くなってしまったのです痛い*。ちょうど働き始めて2週間経つかくらいの頃でしたが、あまりの痛さに手の握力がなくなってしまい、これでは仕事にもならないと、仕事を休んで医者病院に行きました。そしたら、関節痛だと言われ、医師には「できれば指は使わない仕事をして休ませたほうが良い」と言われました。翌日、出勤し、社員の責任者である所長に、医者で言われたことと手の関節の痛みの状況を伝えたら、「痛みがなくなるまで力を必要としない仕事をやってもらうけど、ここでは重いものを運んだり、カッターで切ったりする仕事ができないと使えないので、多少の痛みは我慢も必要かと思うから、そのつもりで」と言われました。その後、ラインの現場へ行ったのですが、研修期間中に私に仕事を教えていたパートの男性がいたのですが、その人が私の顔を見るなり「女の子だって我慢して休まないで働けたのに、手が痛いくらいで休んでるような奴には、俺は仕事を教える気はないから」と言われたのです。最初に社員の責任者と話はついてるのに、なぜパートのあなたがそんな事言うのか?言える立場なのか?納得がいかなかったので、再度所長にそのパートの男性に言われたことをそのまま話して、意見を伺いました。そのときは、所長も「あとでどういうつもりだったのか聞いてみるから」と言っていましたが、結局、これからも仕事を教える人が私には教える気がないと言っているので、もうこの職場で働くのは無理だと思いました。その後、所長を交えて話しましたが、もう私自身が「あんな奴の下で働きたくもない」カチッと怒りながら思ってしまったため、結局、その日を最後に退職となってしまったのでしたガーン

今から思えば、私が大人になっていろいろ言われても我慢して働けば良かったんでしょうけど、我慢できなかったんですよね。それに、指の関節も退職してから2週間は痛みがひかなかったので、そっちの面でも続かなかったかもしれません。で、3勝目の仕事を辞めた後、1勝目のバイト先の農業公園で昨年お世話になった社員に電話して、すぐ働かせてもらったわけです。

それ以降、仕事探しを再開しましたが、4月に退職してからは、22戦22敗という状況です。今思えば、接客も苦手だけど嫌いではなかったし、TSUTAYAも辞めなければ良かった・・・と後悔しています。せっかく、2勝目と3勝目を勝ち取りながら、嫌な点はあったけど、前みたいに即うつが再発したっていう状況でもなかったし、収入もバイトでも、TSUTAYAなら深夜手当も付くので、税込15万くらいはもらえただろうし、生協の仕事も研修期間(半年くらい)が終われば、税込20万円くらいもらえただろうに・・・と思うと、自業自得なんでしょうけど、ホントに後悔していますガックリ

まぁ、過去を悔やんでも変えることはできないし、4勝目を勝ち取るために諦めずに進むしかないんでしょうね。でも、あと何戦すれば、勝利は来るんだろう・・・もじゃもじゃ