「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール


平凡で穏やかに暮らせる「ふつうの幸せ」こそ最大の幸福だと、今、人々はやっと気がついた。雇用、医療、介護など社会のセーフティネットは重要だけれど、 自分の外に求めるだけでは、人生はいつまでも満たされない。「ふつうの幸せ」を手に入れるには、「私が私が」という自慢競争をやめること。お金、恋愛、子 どもにしがみつかないこと。物事の曖昧さ、ムダ、非効率を楽しむこと。そして他人の弱さを受け入れること—脱ひとり勝ち時代の生き方のルールを精神科医が 提案。

精神科医の 香山リカさんが書いた本です。“「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール”ということで、10のルールを紹介します。

《序章》ほしいのは「ふつうの幸せ」
《第1章》恋愛にすべてを捧げない
《第2章》自慢・自己PRをしない
《第3章》すぐに白黒つけない
《第4章》老・病・死で落ち込まない
《第5章》すぐに水に流さない
《第6章》仕事に夢をもとめない
《第7章》子どもにしがみつかない
《第8章》お金にしがみつかない
《第9章》生まれた意味を問わない
《第10章》<勝間和代>を目指さない

書店で立ち読みしたとき、仕事に夢をもとめない、お金にしがみつかない、生まれた意味を問わないという章タイトルに興味を持ち、買って読んでみることにしました。

「仕事に夢をもとめない」では、著者は新約聖書の「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉を出し、度々文中で使用しています。著者は『これは強がりでも何でもなく、私はある時点から「やりたいことを仕事にしなくてよかった。自己実現のためではなく、“パンパンのため”の仕事だからこそ、私はこうして続けていられる」と思うようになった。
もちろん、自分は仕事を通じて自己実現できている、と思っている人は、あえてそれを自分で否定する必要はない。「私は恵まれている」と思って、ますます仕事に打ち込めばいいだろう。ただ、「好きなことを仕事にしていない」「仕事で夢を追いかけていない」という人も、自己嫌悪に陥ったりその仕事をやめたりする必要はないのだ。「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか。」と著者は書いています。

確かに考え方として、『「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか』、という考えはあっても良いのかなと思いました。一方で、私は少し前に紹介した『それでも仕事は「好き!」で選べ』という本を読んでいるので、自分としては、好きなことを仕事にすることを追及していきたいと思いますが、今の雇用情勢を考えると、仕事に就くだけでもやっとという状況の中では、「生きるため、パンのために働いている」というだけでも十分だと思わないとやっていけないのかな?とも思いました。

「お金にしがみつかない」では、『日本社会でも「できるかぎり儲けなさい」というメッセージばかりがどんどん浸透する中、2008年の後半、アメリカ発の金融危機が起こり、これまたあっという間にその影響が世界に広まった。それに先立ち、日本でも堀江氏など“金儲けの寵児”たちが相次いで逮捕され、さらには“歌うビジネスマン”こと小室氏までが詐欺の容疑で逮捕されることになり、「とにかく儲けることはよいこと」という価値観はややトーンダウンしつつある。ここに来て、いまさらながら新自由主義を見直し、その過りを正すような出版物も多く出ている。また、とにかくわかりやすくて売れる本、ということにこだわりすぎ、その手の出版物があふれ返ったあまり、日本人の知的レベルが大きく劣化している、という説さえある。
しかし、これらはすべて、私たちが積極的に学習したことではなくて、経済危機などの結果として、「そう思わざるをえないから」と泣く泣く受け入れていることにすぎない。私たちはまだ、「お金にしがみつきすぎる生き方や社会は、本当の意味では人間を幸せにしないのではないか」という問題を真剣に考えていない。ただ、景気が回復したら、喉もと過ぎれば、とばかりにまた誰もがお金、お金と言い出して、その頃には小室氏や堀江氏もまた世の中で活躍するようになり・・・・・・ということで、本当によいのだろうか。百年に一度の経済危機こそ、大きく飛躍するチャンスだとしたら、それは経済的な飛躍をしたり資産を増やしたりするチャンスではなくて、「お金がいちばん大切」という人の心や社会の芯までしみついた考え方を見直すチャンスなのではないだろうか。』と著者は書いています。

個人的には、ワーキングプアとか貧困に関わるお金の話かと思っていたのですが、ここはちょっと違ったようで、個人的には期待外れな内容だったかな、という感じです残念ながら

「生まれた意味を問わない」では、『こうやって見てくると、どう考えても「なぜ生まれたか」などという問いにはあまり深く立ち入らないほうが身のためだ、ということになりそうだ。もちろん、だからといって、人生には生きる価値もないということにはならない。しかし、生まれた意味にこだわりすぎると、逆に、人生の空しさを強く感じさせられることにもなりかねない。
とりあえず自分に与えられている仕事、役割、人間関係に力を注ぎ、何かかうまくいったら喜んだり得意に思ったりすればよいし、そうでないときは悲しんだり傷ついたり、また気持ちを取り直して歩き出したりする、そんな一喜一憂を積み重ねながら、どこから来たのか、どこに向かっているのかもわからないまま、人生の道を歩いていくその足取りの中で、しみじみとした味わいや満足が得られるのではないか、と私は考える。
とはいえ、この先も人間が「私は何のために生まれたのか」という問いからは完全に解放されることはなく、私たちは人生の中で何回も何十回も何百回も、この問いに直面せざるをえないだろう。そこで無理に、「いやいや、考えまい』と考えを追い払う必要もない。そのときは、真剣にこの問いと向かいあい、ああでもない、こうでもない、と悩めばよいのだ。ただ、「本当に答えが出ることはない。逆に、これだ、という答えがでたときは危険なのだ」ということは、頭の片隅にとどめながら悩むべきだ、ということはつけ加えておきたい。」 

私のようにうつ病などの精神疾患を患っていると、「何のために生きているのか」を考え、自分が生きていることに価値がないと思え、自殺を考えたりしてしまうので、とても興味をもって読んだのですが、想像していた範囲の内容だったかな、という感じです。「自分に与えられている仕事、役割、人間関係に力を注ぎ」とありますが、今はその仕事すら簡単に就けない状況なので、まずそこ(自分に与えられているものがある)が問題だと思いましたが、著者が言うように、「どこから来たのか、どこに向かっているのかもわからないまま、人生の道を歩いていくその足取りの中で、しみじみとした味わいや満足が得られるのではないか」「生まれた意味を悩んでみても、本当の答えが出ることはない」ということには共感できる気がしましたウンウン

著者は長年の精神科医としての経験から、願望や理想の像に無理矢理しがみつくことに疑問を呈しています。 実現しても幸せになるとは必ずしもかぎらないし、逆に不幸になるだけなのではないか、と。 そして、それよりもマイペースな幸せを求め、心にゆとりを持ちませんかとメッセージを投げかけます。

私自身、うつ病を発病する前は、仕事で自己実現しようとか、お金ももっと稼ぎたいとか、欲もいろいろありましたが、うつ病になってからは、ふつうにがんばって、しがみつかずにこだわらずに自分のペースで生きていけば、それなりに幸せを感じながら人生を送れる。それで十分、と考えられるようになってきたので、この本では共感できる部分が多かった気がします。


天国はまだ遠く~うつ病からの脱出~-しがみつかない生き方