「標準語」を調べると、いろんなこと書いてありますが、とってつけた説ばかり。
たまたま、都がお江戸、東京だから、東京の言葉が標準語の元になってるだけで
「太閤はんが、もうちょっと頑張らはったら、都は大阪やったんや」みたいな大阪の
おっちゃんは、いっぱいいます。京都の人は、なおさらでしょう。
公的な場で話される、なんていう説もありますが、これも違うと思います。
議会であろうと、学校であろうと、みんなその地方の言葉で話しています。
国会でも関西の議員が「アカン」を使っているのを聞くと「やるな」と思います。
明治30年代 学校での「標準語教育」が推進されたとか。
何が、おかしいって、教えられる人なんかいなかったはず。
1925年 ラジオ放送が始まった時が、標準語の始まりだと、私は考えます。
放送の言葉を聞いた時「それは違う」と喧喧囂囂。おさまらないから。
地方局のニュースは、方言でもイイと思うんだけど、ね。
何十年も前のこと 神戸サンテレビで「ひょうごナウ」というニュースっぽい番組に
出てたことを、今思い出しました。
メインキャスターは、もともと漫才コンビだったお二人で
「こんばんわぁ、ひょうごナウですぅ」みたいな関西弁やったなぁ。
方言が話せるほうが、楽しいに決まってる。
標準語(もしくはそれに近い言葉)が話せると、方言で話す時の解放感、語彙の
的確さは、たとえようもないはず。
遠州弁の「ひずるしい」は「まぶしい」と、微妙に違い
「ぶしょったい」も「だらしない」とは、やはり、ちょっと違う、と教えらえれた。
どちらも、魅力的な方言だと思う。
「アカン」も「だめ」とは、やはり違う。
「アカン」は「アカン」やないと「アカン」のです。