奄美に魅せられて
奄美大島忘れ得ぬ人たち
奄美恩勝集落のお二人の女性の方
奄美のタンカン甘くて日本一
2008年3月16日(日) 初めての奄美大島へ
http://soft-obi-5715.tonkotsu.jp/
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Please click above. It’s full of images of alpine plants and mountaineering.
4時起床。4時40分、妻の運転する車で出発。
つくばエキスプレス守谷駅到着5時10分。5時24分発に乗車。6時過ぎ秋葉原駅。
浜松町からモノレール。7時、羽田空港に着いた。
往復の航空券・5日間のレンタカー・1泊以上のホテルと、3点セットの割安旅行。
総額89,200円。近くの旅行代理店に支払った。
JALの係員に付き添ってもらって「受取番号511458342116」と航空券自動受取機に入力した。
搭乗券は簡単に出てきた。7時30分に搭乗口近くに座った。大型旅客機が離発着している。
自家製コシヒカリのおむすびを8個、大きなリュックに入れてきた。2個食べた。
飲み物は早朝自分で空のペットボトルに入れてきた自家製緑茶。
JAL1953便は、8時30分に羽田空港を離陸。
機内には大手旅行会社のツアー客が乗っていた。
胸に「マングローブツアー」の丸いマークをつけていた。
少しうたた寝をした。11時5分、奄美空港に無事ランデイング。
茨城なら5月か6月の暖かさ。アンダーシャツ1枚で十分。
紛失しては困る小物があるので、ポケットの多い登山用長袖シャツ。
ワゴン車でレンタカー会社に向かった。マングローブ探訪の客とサ-フィンを持参した若者が同乗した。
恩勝のお二人(いただいた奄美のタンカン。甘くてびっくり。今まで食べた柑橘類で最高。日本一。)
奄美空港は奄美大島の北部にある。今日の目的地は南部にある山地帯。
11時30分、レンタカーで、まず名瀬市に向かった。太平洋岸沿いに道は続く。少し蒸し暑い。
窓を少し開けて走行した。わくわくしてきた。半島を横断し、笠利湾沿いに走行する。
南国の海。南国の山地。旅心が深まってくる。奄美大島を斜めに縦断する国道58号線。
龍郷町から山地に入った。本茶トンネルを走行した。12時頃、名瀬市街地に入った。官公庁や商店街があった。
この辺でなん食分の食べ物を買っておけばよかった。
名瀬から県道79号線を走行した。島の北側の海岸線が続く。
明日からの食糧を買う店を探した。
奄美大島の郷土料理で昼食をとろうとレストランを探した。
無かった。
金作原原生林入口付近で駐車した。
小高い休憩場所。
眼下に東シナ海が広がっている。持参のおにぎりを3個食べた。
緑茶を飲んだ。道ばたにリュウキュウコスミレが咲いていた。
おむすびの残りは3個。
これから山地に入り、湯湾岳に登る。滝や遊歩道があれば、歩き回りたい。
食事をするところはあるだろうと思った。
無いかもしれない。
非常食を兼ねてある程度の食料は購入しておきたかった。
大和村に着いてしまった。
「ここが奄美野生生物センターでしょうか。フォレストポリスは近いでしょうか。」
「ここは公民館ですよ。あそこに見えるのが奄美野生生物センターです。」
奄美野生生物センターに立ち寄った。
「お弁当などを買いたいんですが、お店はあるでしょうか。」
フォレストポリスまでお店は無かったと思います。
大和村の役場近くにドライブインがあり、たしかお弁当を売っていますよ。」
付近にリュウキュウシロスミレが咲いていた。
県道79号線から恩勝の集落に入った。狭い道である。
乗用車が数台駐車できる場所があり食堂ふうのお店があった。
ドアを開けてお店に入った。「こんにちは。お弁当を買いたいんでずが。」
「もう今日の分は売りきれてしまいました。お店は今やっていませんよ。」
「茨城から来て、今日明日と湯湾岳近辺を歩き回りたいんです。
残り物のごはんとかおかずとかなんでもいいんですが、分けていただけないでしょうか。」
お店で休んでいた二人の女の方は顔を見合わせた。
「なんとかお願いします。あそこにある菓子パンを売ってください。」
残っていた菓子パン5個を購入できた。
おにぎりを四つ作ってくれた。
タマゴ焼きと揚げ物が付いていた。
エビてんぷらを7つ購入できた。
お二人の夕食の分だったのかもしれない。
「ありがたいなあ。自家製のコシヒカリを少し持ってきたんだけどもらってください。
ジェット機でいっしょに飛んできた無農薬コシヒカリ。私が作ったんですよ。」もらってくれた。
すると、佃煮ふうタケノコをパックに入れてくれた。
庭に出て行ってタンカンをたくさんとってきてくれた。
タンカンの生ジュースをくれた。
これがおいしく極上品の生ジュースだった。
ここでいただいた食料がこの日の昼食。
予約しておいたフォレストポリスでの夕食。翌朝の朝食。昼食となりました。
マテリヤの滝
毛陣トンネルを越えた。大棚にフォレストポリスの案内表示があった。左折して林道を走行した。林道を右に左に登坂していった。舗装されていた。右側に舗装された駐車場があった。外国人一人と日本人二人がいた。「まほろばの小滝」を眺めていた。私も駐車した。2時20分だった。反対側にマテリヤの滝があった。マテリヤの滝は、林道のすぐ下にあった。滝壺は広かった。神秘的だった。サクラツツジが咲いていた。マテリヤの滝と満開のサクラツツジ。大きめの石から石へ。登山靴で滑らないように慎重に歩を進めた。滝壺から続く渓流を横ぎった。登山道らしい道を辿った。時計回りの周回遊歩道。ところどころは木道になっている。全長395M。一時間足らずでマテリヤの滝近くの林道に出た。アマミセイシカは見つからなかった。
湯湾岳(大和村登山口から 安全 木材で階段状に整備されている登山道 15分程度)
3時40分にフォレストポリスに着いた。「茨城の方ですか。」管理人の方が出てきた。2階建てのバンガロー。2階にベッドが4つ。「今日、湯湾岳に登りたいんですが、登山口はここですか。」「登山道はここから車で15分くらいのところにあります。日没は6時40分くらいですから、大丈夫。今日登れますよ。」略地図をくれ、詳しく説明してくれた。
「山頂付近は聖なるところです。」なにかを言いたそうだった。
「わかりました。写真撮影などは控えます。」
奄美大島の人たちは信仰心が強いのだろうと思った。
だからこそ、貴重な動植物が守られてもいるのだろうと推測した。
4時15分、登山口に着いた。思案顔の二人連れがいた。
「湯湾岳公園の登山口にはどう行けばいいんですか。まちがってここに下りてきてしまいました。」
「15分ほどで登りかえせます。そこから下山しても1時間ちょっとです。来た道を戻るのが一番です。日があるうちに戻れるはずです。」いっしょに登った。名瀬市に住む若いご夫婦だった。木材が敷かれた階段の登山道だった。
サクラツツジが咲いていた。はるばると来た甲斐があった。
4時30分、奄美大島の最高峰、湯湾岳の山頂に立った。
今朝、茨城を発って、今、湯湾岳山頂にいる。
感慨深かった。お社があった。
ここは、アマミコ(女神)とシニレコ(男神)の降り立った聖なるところ。
写真撮影を控えた。二礼二拍手した。湯湾岳は標高694M。奄美岳とも称されているようだ。
沖縄本島の最高峰、与那覇岳よりも高い。
太古の昔、日本列島周辺の海面が高くなったり低くなったりを繰り返していた時代があったようだ。
奄美大島や徳之島のように比較的高い山地のある島に、太古からの貴重な動植物が生き残ったようだ。
山頂から続く狭い林道から4人連れが歩いてきた。名瀬市に住む家族だった。
同じく大和村登山口から登って、別の林道を少し散策してきたとのことだった。
お父さんは女の赤ちゃんをだっこしている。
お母さんの後には小学3年生の男の子が歩いていた。つぶらな目だった。(幸せを絵に描いたような家族だなあ。)
いっしょに下山した。「大きくなったらこのおじさんの家に泊まってもいいよ。つくば研究学園都市の近くに住んでいるんだ。」「おじさ-ん。さよ-なら-。元気でね-。」別れ際、少年が車の中から手を振った。
アマミセイシカは見つからなかった。
「おじさん元気ですか?ゆわん岳であった、たいがです。ぼくは、もう4年生になりました。元気にしています。おじさんが教えてくれたアマミセイシカのなえをベランダで育ています。」
2008年6月24日に、私のブログに、こんなコメントが入っていました。
5時過ぎにフォレストポリスに戻った。付近を散策した。点在するバンガロー。
親子4人連れがバンガローの1階ベランダでバーベキュ-をしていた。渓流に沿って歩いた。
サクラツツジが咲いていた。リュウキュウコスミレが咲いていた。リュウキュウシロスミレが咲いていた。
どちらも葉が長めである。タチツボスミレが咲いていた。葉がハート型。丸っぽい。
ツクシくらいの大きさで、見たことのない植物がたくさんあった。
「わだつみ館」でコーヒーを入れてくれた女の方が「キヌランですよ。」と教えてくれた。
夜のとばりが下りてきた。南国の闇に包まれようとしていた。自分の泊まるバンガローはどこだろう。
迷ったかなと思うほど遠くまで歩いてきてしまったようだ。東西南北もわからない。
来た道を辿って、バンガローに戻ろうとした。
それぞれのバンガロー近くにランプふうの灯りが灯っている。
その灯りが遠くからほんのりと見えた。窓に灯りがついているバンガローは3棟だけだった。
レンタカーから重い旅行カバンと大きなリュックをバンガローに運びこんだ。
風呂に入った。疲れがとれる。着替えた。さっぱりした。
恩勝のご婦人2人からいただいたタンカンの絞りたてジュース。甘かった。五臓に沁みた。
タンカンを食べた。甘い。奄美のミネラルが口いっぱいに広がる。
毎食生野菜代わりに食べても、数日分はある。3個も食べた。
おにぎりを食べた。薄緑の野菜が少し入った卵焼き。うまかった。
エビ天を3つ食べた。うまかった。
つくだ煮ふうのタケノコを食べた。ゴマがまぶしてあるようだ。やわらかい。おいしい。たくさん食べた。
なんというタケノコをどんなふうに料理したのだろうか。
熟睡した。夜目覚めた。風の音。葉づれの音。鳥の声なのだろうか、けものの声なのだろうか。
フ-フォオ-オ-。南の島の山の奥。一人寝のま夜中。これぞ、旅の醍醐味。なんともいえない幸福感に浸った。
ひとときメモ書きした。すぐに眠くなった。また熟睡した。奄美フォレストポリスの支払いは5,600円だった。
3月17日(月) ヒカンサクラ(リュウキュウカンヒザクラ)
5時に起きた。菓子パンのあんドーナツを食べた。あんの糖分が山歩きの力となるのだ。
おにぎり。佃煮ふうタケノコ。やわらかくて奥深い味がする。
タンカンを2個。奄美の豊かな土壌と気候がはぐくんだおいしい柑橘。
6時30分にフォレストポリスを出発。管理人の方に教えてもらった道を、宇検村側登山口である湯湾岳展望公園に向けて出発した。走行できるかどうか心配していた道路。舗装してあった。一車線ほどの広さのところもあり、二車線ほどの広さのところもあった。背の高いリュウキュウマツが点在している。ノボタンの若葉がみずみずしい。リュウキュウバライチゴの白い花。いっぱい咲いていた。展望公園の案内表示があった。右折して登坂した。琉球寒緋桜が列植されていた。青い実をたくさんつけていた。薄緑の葉が茂っていた。染井吉野のつぼみは固く、葉もまだ無かった。1本だけ赤い花をいっぱいつけた桜があった。遅咲きの寒緋桜の1種だろうと思った。
宇検村側からの湯湾岳登頂
6時45分に湯湾岳公園に着いた。フォレストポリスから5.2KM地点だった。晴れ。野鳥がさえずっている。近くの散策路を登った。展望台があった。時計回りの周遊散策路を下りて戻った。赤い鳥居を二つくぐって登山道を登り始めた。南の島の原生林。亜熱帯性天然照葉広葉樹。リュウキュウマツ。蔓植物。フォ-、オオオッフォ-。風が大枝を揺する音なのだろうか。生き物の鳴き声なのだろうか。わくわくしてくる。遙かな南の島の花の細道。一人のんびりと登っている。サクラツツジが咲いていた。万両が赤い実をつけている。ヤブミョウガも赤い実をつけていた。1時間ほど歩くと、海が見えた。焼内湾だろうか。その一番奥に「湯湾」という名の湾があるのだろうか。1時間10分ほどで、山頂に着いた。二礼二拍手。参拝した。だれもいない。山頂付近の林道を散策した。
下山した。二差路で整備された木道を直進して下山した。なんと、きのうの大和村側の登山口に下りてしまった。15分ほど登り返し、三叉路に戻った。
ここに「(直進の木道、大和村の登山口へ。右折の登山道、宇検村湯湾岳公園登山口へ。)の案内標識があればなあ。」
私は2日間に湯湾岳に3度も登ってしまった。山頂下の二差路の狭い土むきだしの登山道を下りた。
「あれっ。また、まちがえたかな。」倒木が横たわっている。登山道というよりは荒れた林床」というところに出た。
「湯湾岳公園へ」。黄色い標識があった。まちがえてはいなかった。安心して下山した。9時40分だった。
汗をかいた。アンダーシャツを着替えた。タンカンを食べた。
南の島の木や草や花。好奇心が満たされた湯湾岳登山だった。
いく筋もの林道を渓流沿いに歩き回りたかった。
宇検村の方言ではアマミセイシカをインコジャザクラと言うようだ。
石良の奥にあるとかいうインコジャの森を歩きたかった。
5日の滞在では無理。今回の旅の主目的は、住用川の中上流域。
滝や渓流沿いの散策。アマミセイシカを見ることだった。湯湾岳でアマミセイシカは見つからなかった。
アランガチの滝
住用に向かった。二車線の舗装道路になった。ハイビスカスが植栽されている。赤いハイビスカス。赤に白が交じったハイビスカス。ハイビスカスロードは海にまで続いていた。湯湾に来たのだ。県道85号線で住用に向かった。河内川沿いに遡るように走行した。新小勝のトンネル近くに「アランガチの滝」の案内表示があった。左折して細い道路に入った。広場があり、休憩所があった。河内川の支流。新小勝川のほとりだった。昼食にした。菓子パン、おにぎり、佃煮ふうタケノコ。タンカン。タケノコとタンカンがおいしかった。集落の細い道を少し走行した。タンカン畑があった。花畑があった。菜の花と淡い紫色の花が咲いていた。県道から集落の細い道に入って5分ほど走行した行き止まりに、アランガチの滝があった。マテリヤの滝もアランガチの滝も、1時間以上危ない道を歩かなくては辿りつけないのかなと想像していた。二つの滝は、道からすぐのところにあった。アマミセイシカは見つからなかった。
標高358Mの烏帽子山を左に見て、山の中の道路を走行した。広い三叉路に出た。左折して、国道58号線を住用に向かって走行した。役勝川上流に沿って走行した。窓を少し開けた。爽やかな「初夏の風」を車に入れて、快適な山岳道路のドライブとなった。追い越すこともなく、追い越されることもなく走行した。想像していたよりも早く住用に行けそうだ。心は高鳴った。