お遍路なんてただの物見遊山じゃん

宗教って大義名分掲げてるだけ

など、色々聴こえてきまして…(´-ω-`)


否定しかねるのが正直なところ_(:3 」∠)_


全部がそうだ、という訳ではないですが、歴史的にもそんな側面はありますからねぇ…。

お遍路の場合は難病の人が最後の望みを…みたいなのとか色々複雑な面もありますけれども。



そもそも宗教って

心の拠り所であり、倫理や道徳の規範とする教え

みたいなものなので

本人が納得できればそれでヨシっ!

って部分も多分にありますよねぇ( ̄▽ ̄)



「お遍路はとにかく素晴らしいんだ!大きな功徳になるんだ!

 ごちゃごちゃ言わず、お遍路に行け!!!」

という話もたまに耳にしますが…


比較の話として、以下のような問い掛けもあります。

恣意的な誘導、といえばそれまでではありますけれども( ̄▽ ̄;)



【比較の話】


『徒歩でお遍路の通し打ち、必要資金は約50万円』と言われます。

※50万円の生活水準

コロナ禍前の物価で

『全日程 民宿やホテルなどの宿泊施設に泊まる』

『遍路道からタクシーなどを使用した宿への往復などあり』

という無理のない一般旅行者レベルを維持した場合の相場なので

歩き遍路の中でも、特に『贅沢遍路』とか呼ばれるスタイルの場合。



この50万円という金額。


善行しよう!功徳を得よう!と思ったら、どうしますか?

一般的な方法は『寄付する』という方法ではないでしょうか。



お寺や神社などに寄付すれば、境内の柵などに名前が刻まれたりするでしょう。

お金は境内の整備や什器の補修などに使用され、神仏を讃える一端を担うでしょう。



それ以外、一般的な寄付先は…?


メジャーなところで、日本赤十字社。


※日本赤十字社
厚生労働省の認可法人で、名誉総裁は皇后陛下、名誉副総裁は皇太子妃殿下。
日本赤十字社法という専用の法律が存在する公的組織。
日本中にある日赤病院はこの組織が管理,運営しています。




赤十字の規定では
50万円寄付したら、日本赤十字社金色有功章(勲章)を授与
となっています。


皇后陛下が名誉総裁を務める組織から勲章を頂けます。

頂くのに必要な金額は、歩き遍路1巡とほぼ同じ。


※日本赤十字社への寄付は所得税や県民税などの優遇措置が受けられます。



赤十字の規定では、500万円寄付したら

・国から紺綬褒章(勲章) 
・天皇陛下からの褒状

を授与、となっています。


500万円ベースで比較すると

・徒歩で歩き遍路10巡

・国から勲章授与+天皇陛下からの褒状

が天秤に乗るわけです。




宗教面ではなく、社会的な評価の話だと…


将来的に、遺族が見たとき

・10巡して朱印で赤くなった納経帳

・菩提寺などの塀や柱に名前が書かれてる

・国からの勲章&天皇陛下からの褒状

どれが、遺族から「すごい」と思われるでしょう?


みたいな比較もありますね(・ω・`)



【金額と功徳の効率】


「歩き遍路は大きな功徳になる」

といわれたりしますが…


単純に『費用』と『善行を積む・功徳を得る』という視点で捉えると…?


『僧侶や信仰を同じくする檀信徒達の助けとなるよう、布施をするより

 自身が歩き遍路をして、祈る事の方がより尊い行いである』

と言い切れるか?


『医療や福祉の専門家集団,医療機関に資金を寄付するより
 自身が歩き遍路をして、祈る事の方がより尊い行いである』

と言い切れるか?


自分の行為に、そこまで自信を持てるか?



金額に対して

お遍路をすることで得られる功徳

お寺へお布施することで得られる功徳

慈善団体への寄付で得られる功徳

最も大きな功徳はどれなのか


みたいな話も…。

要するに、費用対効果ですね(・ω・`)



どれも功徳が全部同量とした仮定した場合は

「受け取る人の顔が見える方がいい」

「勲章を頂けた方がいい」

「身近な仲間(菩提寺を同じくする檀信徒)に称賛されるかも?」

とか、そういったプラスα部分が自分にとって〜

みたいな視点もありますし。



【まとめ】


最終的には

「やりたいことやって、それが功徳になるならそれで良し」

「効率?そんなもん気にしない!!!」

という話ではあるのですが( ´ ▽ ` )


「お遍路は素晴らしい」

「お遍路を巡ることは大きな功徳になる」

と言っていると、こういう問い掛けが来ることもありますよねぇ…的な話(・ω・`)


他を納得,説得し得るものかどうか、理屈が通るかどうかに関係なく
『自分が納得できる答え』を持つのが無難じゃないかなぁ…

とか思ったりします_(:3 」∠)_



少なくとも

『大きな功徳』

という表現を用いるのであれば

『功徳には、大小がある』

ということで。


一律に同量を得られるものではなく、何かしらの要素でその大小の変動が起こるものである。

と捉えている、ということですから(・ω・`)

効率とかそういう話にもなる場合もあり得ますよねぇ…と。



『お遍路をする理由は訊いてはいけない』というマナーはありますが

『素晴らしいと説く人に、その素晴らしいと感じる内容を訊ねてはならない』

『お遍路をすると大きな功徳となる、と説く人に他の善行と比較した場合の優位性を訊ねてはならない』

みたいなマナーはないですからねぇ…(´-ω-`)