テッド・チャンの小説「あなたの人生の物語」を読んだ。
今やってる、「メッセージ」という映画の原作。
※ちなみに映画の原題は「ARRIBAL」
映画はよくこの難解な小説をうまいことエンタメに落とし込んだな・・・!
この小説の魅力を広めるにあたり、あの映画の完成度は凄まじく高いぞ。
まぁ、宇宙人がやってくる話なんだなという前情報で観に行ってしまって肩透かしをくらう人も多そうですが。
私の場合、その裏切られ感がいい方に働きましたね。
そして、映画を観た上で小説を読むとまぁなんとも染み渡るという。
逆に私がいきなりこの小説に出会っていたら面白さを理解できたか、気付けたか不安ですね。
この物語のメインテーマがよく分かる部分を要約しますね。
”あるひとが、過去と未来のすべての事象を記録した年代記、「三世の書」のまえに立っていると考えよう。そこには彼女の人生の物語が記されていて、ある部分には彼女がその日このあと何をすることになっているかが詳述されている。
しかし彼女には「自由意志」があり、「書」に何が書かれていようが彼女は別の事をする選択をなせる。その時点で「書」は存在し得なくなってしまう。
「自由意志」の存在はわれわれには未来は知りえないことを意味する。そして、われわれはその直接的経験があるからということで、自由意志は存在するだろうと確信している。意志作用は意識の本質的要素なのだと。
いや、そうなのだろうか?もし、未来を知るという経験がひとを変えるのだとしたら?それは切迫感を、自分はこうなると知ったとおりの行動をすべきだという義務感を呼び覚ますのだとしたら?”
うん、むちゃくちゃ難しいですね。※あくまでも僕には
実際どうなんだろう? 例えば未来が見えて自分が「ころぶ!」ってわかったとしたら転ばないようにするのが普通だと思う。
でも転ぶという未来に対して、「私はここで転ぶ。しかしここで転ぶことで不注意に気を付けるようになりさらに痛みに耐える強さも身に着けることができる」
例えばこういう風に義務感を感じ転ぶことを受け入れるという事なのかな。
いや、少し違うな。
今日転ぶとわかっているから今日は外に出ない。を選ぶのか
今日転ぶとわかっているけれどもそれでも私は外に出る。を選ぶかの方が近いかな。
例え転ぶという未来が待っているにしても転ぶまでの道のりが無駄になるわけじゃない。転ぶことにだって意味がある。
たとえ未来が見えて、終着点が悲劇だとわかっていたとしてもそこに向かう我々の行動・過ごす時間・美しき思い出は無意味になんてならないんだってこと。
・・・なのかな?
だから「私」は結末がわかっていたとしても「あなた」との人生を選び、その結末を受け入れた。
・・・という事でいい?
ほんっと、難しいことがたくさん書いてある小説でしたが、この「あなた」と過ごす部分の描写がすごく美しく感情豊かに描かれています。
それが小難しいパートで折れそうになる心をうまく救ってくれます。読んでいてハーモニーを感じると言っていいくらい。
まぁでも、とりあえず映画を観ることをお勧めします(笑)
そういえば、少し前に友人がこう言っていたのを思い出しました。
「3年間付き合っていた恋人と別れたのが辛い。別れたせいで、私の3年間は意味のない、無駄ものになってしまった。」
そんな風に過去を否定する必要はない、と僕はよく考えずに言いましたが。今ならもう少し自身を持って言えるかもしれない。
しかし、こんな風に悲劇の結末を迎え受け入れる方向に進む物語は珍しいですね。受け入れて向かっていくというか。
人の人生において何かを喪うという悲劇の経験は必ずやってきます。多くの物語がその喪失から立ち直る方向に進んでいくので。
今の私はその「悲劇」の最初のやつがそろそろやってくるかな? という時期という事もあって非常に心に残る物語でした。