おはようございます
日光の自然と自由人です
6月9日 今日の一枚
喜連川 龍光寺
今朝の日光は晴れです 午後まで晴れの予報ですがどうでしょうか
今日は高根沢町の姉宅に要件があって出かけようかと思っています
昨日は 自宅のドウダンをようやく剪定しました 毎年の事ですが
綺麗に刈り込まれたドウダンが見違えるようで気分が良いですね
今回は
さくら市喜連川にある龍光寺と喜連川神社の紹介です
道の駅きつれがわをすでに紹介しましたが その帰りに参拝して来ました
龍光寺は喜連川足利氏の歴代の墓所があり足利尊氏開基により創建した
とされる臨済宗円覚寺派の寺院で 喜連川足利家の菩提寺です
喜連川足利家は足利尊氏の次男で室町将軍代理家であった鎌倉公方の
足利基氏を祖とする由緒ある家系です
鎌倉公方は関東に本拠を置いてから 秀吉の時代に喜連川氏を名乗るよう
になり 江戸時代には喜連川藩となっています
12代藩主の聡氏の時に明治を迎え喜連川家から足利家に復姓しています
その昔 足利尊氏の家系である喜連川足利家が栃木県の喜連川に藩を
構えていた事に郷土の歴史が誇らしく また面白さが感じられますね
龍光寺
所在地 栃木県さくら市喜連川4317
創 建 創建は不詳 足利尊氏の創建とされたとされる
山 号 慈雲山
本 尊 釈迦如来
宗 派 臨済宗円覚寺派
龍光寺は足利尊氏の創建とされ 当初は東勝寺と号し下野国の安国寺
でした しかし戦国時代に豊臣秀吉の軍勢により焼失しその後再建した
際に龍光院と改めて喜連川氏の菩提寺となり 1953年には龍光寺と改
められています
5月29日撮影
龍光寺入り口
六地蔵がありしました
入り口の門
慈雲山の山号
観世音菩薩像
観音でしょうか
蓮に座り片足を立てており 変わったお姿です
本 堂
龍光寺と書かれた扁額
本堂内正面の様子
本堂全体
本堂横の池にある石仏
句碑 句碑
鐘 楼
足利尊氏木像 十一面観世音菩薩像
普段は見ることができません 本堂内に安置されており 4尺6寸の
さくら市の指定文化財です 立像で 恵心僧都の作と伝えられます
足利家歴代の墓所
龍光寺境内北側には喜連川足利家歴代の墓所があります
江戸時代の喜連川藩は4500石に過ぎず 藩とは呼べないほどの
日本では一番小さな藩でした
しかし 足利将軍家の家系であり 足利古川公方が関東地方の支配者
として権威を有していた存在であったため 徳川歴代将軍から重んじら
れてきた歴史があります
喜連川藩は徳川将軍家とは主従関係すら存在しなかった特別な藩として
扱われていました
喜連川藩は明治維新の12代まで大名格で存続しています
足利家歴代の墓所案内
墓所の入り口
墓所の標示
喜連川町当時の指定文化財になっています
扉が閉まっており中には入れませんでした
墓所内の様子
喜連川藩主歴代の石塔54基のほか灯籠があります
墓所内の様子
灯籠が苔むしており喜連川藩の歴史が感じられます
石塔の様子
石塔の様子
石塔には足利家之墓 とあります
念願希望のお参りができて感慨深い気持ちになりました
墓所内の様子
石塔が静かに整然と並んでいます
墓所内の様子
墓所を見ると足利家歴代藩主の歴史が蘇るようです
龍光寺に続いて近くにある喜連川神社にお詣りして来ました
喜連川神社は喜連川足利家が崇敬してきた神社です
喜連川神社
所在地 栃木県さくら市喜連川4491
御祭神 素戔嗚命 奇稲田姫命
創 建 1563年 当時の城主 塩谷惟朝により創建
喜連川神社は喜連川を治めていた塩谷氏 喜連川足利氏の代々
の崇敬の社で喜連川のほか15郷の総鎮守と言われていました
夏の天王祭は450年の歴史のある夏祭りで 「あばれ神輿」 が
勇壮な祭りとして有名です
東側入口の鳥居
入り口階段の大木
入り口階段
喜連川神社の標号
狛犬 狛犬
南側入り口の鳥居
鳥居の喜連川神社名
狛犬 狛犬
参道階段
拝 殿
本殿の紙垂
お詣り時 左側の紙垂2枚だけが急に揺れ始め
拝殿の扁額
本殿の様子
本殿手前には大木があり荘厳さがありました
注連縄があり御神木と思われます
神輿舎
格子の間から神輿が見えました
天王祭に使う あばれ神輿でしょうか
喜連川神社は高台にありますが 高台の南下には御用堀がありました
御用堀
喜連川10代の足利熈氏の命で1844年防火と農業用水確保のため
に整備された堀で 今も綺麗な流れで鯉も泳いでおり 喜連川の散策
スポットとなっています
御用堀の説明書き
御用堀の様子
かなり狭い通りで家屋の板塀に挟まれ 昔にタイムスリップしたようです
錦鯉が泳いでいました
かなり大きな錦鯉でした
今回は 喜連川足利家に関係する龍光寺や喜連川神社を見てきました
栃木県では足利氏といえば足利尊氏を輩出した足利市と足利氏が創建した
国宝である鑁阿寺が有名です
しかし 同じ栃木県の さくら市喜連川も 「日本一小さな大々名 喜連川公方
足利氏の城下町」 として知られる地です
喜連川はさくら市に合併される前は喜連川町として栃木県でも最も小さな
町で桜並木が有名でしたが 昭和56年に温泉掘削により優良な泉質の
温泉が出ると 一躍 日本三代美肌の湯として有名になりました
喜連川町は室町足利将軍家の家系である喜連川足利家が活躍した地である
ことを知る人は数少ないと思います
現在のさくら市役所喜連川支所は 喜連川足利氏館の跡地で大手門が復元
されていますので機会があれば龍光寺とともに訪れてみて下さい
喜連川に長い歴史を残してくれた 名門喜連川足利氏に思いを寄せて
今日一日が皆様にとって歴史に残るような良き日になりますように
つ づ く