先日青葉被告の裁判が下されました。死刑です。Youtubeのコメントで沢山の人が極刑を望んでいました。やはり青葉被告のように苦労な経験がないからこその自然な解答に伝わりました。ただこのコメントしている人って例えどんなに自分が非難、理不尽、嫌がらせなどが続いても ‘’自分は絶対に人を殺さない、誰でもいいから殺すとは絶対にならない‘‘ っと言い切れるだろうか。

 

 

僕も最近は理不尽にあったとしても、こういう心理状態になるのはおかしいよな…と感じれるようになりました。22年頃に真意がわかった事も一部理解出来たからかもしれません。青葉被告は幼少時代から父親に虐待されまた社会の人間関係にも苦労や転々とした理由もわかります。ただ学生の頃は楽しい日々を過ごされた事もあったそうですが、それに関しては治療に携わった看護師の方に「今までこんなに優しくしてくれたことはなかった」と述べていたそうなんですが、その学生時代を振り返ってそんな苦労されているのは感じなかったので、多分職場の人間関係などでその頃を忘れてしまったかも知れないですね。

 

 

僕も子供の頃は楽しい頃もあったのですが高校に入って暫くしてから、小中学校のクラスに久しぶりに会った時何故か冷たかったり避けるような事がよくあった為、クラスを除いて今も知らない人が自分に背を向けたり、離れていったり不思議な奇行をする人がいて、自分を見たわけではないのに自分から離れていく、自分は周りの人より何か普通の人では無い体質を持っているのかなと感じる事が多々あります。自分が何かした訳でもなく、でもネットで自分と同じような体験する人はいるようですね。

 

 

そういう日々が続いていて、また職場の人間関係では特に高卒の仕事場では悪かったです。青葉被告の生い立ちを振り返って気持ちが分かりますし、その不幸が続いた日にある人気アニメに感銘を受けて京都アニメーションに自らも小説や漫画を描いて応募したそうですが京都アニメーションからは返事がなくまた恣意的にキャラクターを使われて青葉氏が激昂して過去のストレスとあわせ、抗議より殺意の方が勝って今回の様な事件に至ってしまった…と考えられます。もし京アニが何か返信を返して居たら5年前の件は防げたかもしれません。

 

 

「一回の犯罪」でニュースで取り上げられた時不思議とそこで ‘’その容疑者の人間性を判断する心理‘’ が働いてしまう…、何故そうなるのか自分も不思議な気持ちになります。今回が初の犯した罪でその犯人像をイメージする。

でも冷静に考えてみて今までその彼は生まれた時からそれまで罪を一切犯していない。今まで罪を犯して居なかったのにもかかわらず、その一回のニュースで「こいつは関わったら危ない!」「生まれた時からやばいやつだったんだろうな…」「一生刑務所から出なくていいよ」という心理になる。

 

 

「生い立ち」については取り上げられているところも多いが、これは非常に重要性だ。「生い立ち」を重要しなければ、その場で「生まれてからやばい奴だったんだ!」と誤認してしまう、犯人も好きで犯罪を犯したわけではない、生まれてからやばい奴ならとっくに小さい頃から犯罪を犯し少年院に行っているか保護観察されているかになっている。今回の初めての罪なら ‘’ここまで犯罪に至らしめたのは何か辛いことや耐えられない事が続いていたから今回犯罪に手を染めてしまったのかもしれない…‘’ と思う事が重要であると考えています。

 

 

そうすればその犯した人に変化が起こるかもしれないし、またそうならない為にも相手の方に理不尽さなど不快な事を与え続けない事が 「犯罪防止になる」 と自身は感じています。本日もご覧いただきありがとう御座いますm(_ _)m。是非ご参考に。