当然の事ながら、前回の話には続きがある。前述で「打ち切り」と記したのには明確な理由が存在する。もし、「つづく。」でピリオドを打つと、書きたくなくても書かなければならないという、戦火を免れた昔懐かしい街かどの袋小路に追い込まれたような負の気持ちが働いて重荷になってしまうのだが、文章の最後において「打ち切り」と記せばその後は書き手の自由である。スマホに向かって指先がなめらかに滑れば指の趣くままに指を滑らせるし、そうでなければ書き込み用の画面を開かなくてもいいので気を楽に持てるのだ。まあ、そういう事である。

 …しかし。このまま前述の話を春のせせらぎの中へ放り投げたままその場を立ち去るのは、善良なココロが許さないので、やはり続きをしたためることにした。これは、即ち、「さあ、これから自分の持ち歌を絶唱するぞ!」と、気合を入れた直後に全く予想すらしていなかった曲のイントロが流れ始めたため、戸惑いつつもカラオケ機器をとりあえず一旦止めて、再度曲を入れ直す時の気持ちに酷似している。

 …そんな前置きはともかく。

 さて、昨日と打って変わって、穏やかに晴れたこの日(昨日の22日)の朝。洗顔しながら鏡を見つめてパッと頭上に閃いたのは、普段では限りなく実施困難な午前中での散策をしてみようかという事だった。おそらく、休日の夕暮れ時には見ることが出来ないであろう光景が、散策する先々で断続的に広がっているのではないかという大いなる期待と、件の春の妖精(前々述参照)と澄み渡る晴天の下でひそかに再会したいという淡くも若干ヨコシマな恋心が、実行を決断した主な理由である。昼頃にはワガコが帰宅する。従って、それまでには自分も戻ろうと考え、出来るだけ要点を絞って周遊することにした。

 リビングでテレビをつけっぱなしにしながらコクリコクリしているオカクンに一声かけて、颯爽と歩き始めた。我が家を出て直ぐのところにある7分咲きのヤマザクラに「おはよう!」と片手を上げて挨拶し、普段の散歩でほぼ必ず立ち寄ることにしている公園へ行ってみた。

 休日の昼下がりと違って、数組の若い親子が自転車の練習をしている光景以外に公園での利用者を殆ど目にすることはなく、どこまでも静かな空間がシーンと広がっていた。隅の方にあるベンチに腰を下ろし、しばらく誰もいない公園を見つめ続けた。時折、北寄りの風がヒュウと音を立てて、首筋をひんやりと撫でながら通り過ぎていった。その風を追いかけるように、大小の白い雲がノソノソとした足取りで南の空へゆっくり動いていった。


 いつしか、自分が空腹であることに気がついた。公園の端にはんなりと立っているヤナギに目を移すと、北風に揺らめく枝が既に黄緑色に彩られていた。

 
 そんなヤナギの枝に、洗いたての髪へ軽くキスをするような仕草で顔を寄せ、そっとさよならを告げてサンシュユの黄色い花を目指した。途中、2度目の再会となった春の小川のせせらぎが、「あともう少しでサンシュユの黄色い花に会えますよ」と、空腹で軋む背中を後押してくれた。
 せせらぎの音に力を貰って歩くこと数分。息をのむ程に目映いばかりの黄色い花の数々が、春の陽に照らされて満面の笑みで出迎えてくれた。両手を広げて、何度も繰り返し大きく深呼吸した。春の息吹を全身で受け止めずにはいられなかった。

 どこからともなく、嬉しさに満ちたヒバリの軽やかな歌がコロコロと転がりながら耳に柔らかく届いた。近くの新しい住宅分譲地では、元気いっぱいに働いている建設重機が、ヒバリの歌に調子を合わせるように、ウンウンとうなり声をあげながら、弱々しく目の前を通り過ぎてゆく北風を、力強く掻き消していったのだった。