今からおよそ数時間前のことである。

 オカクンがアップテンポのユーミンソングに拍子を合わせながら、座ったままの姿勢で上半身を右に左に揺らして、はな歌交じりで朝のポイ活に励んでいた。ポイ活とはポイント活動の略語で、各アプリ等から配信されている動画の視聴やスーパーまたはコンビニ等で入手したレシートの静止画を情報マーケティング先へ送信することにより、各種ポイントをお得にゲットすることである。オカクンは、少しでも家計のタシにと、2~3年前から家事と同程度か若しくはそれ以上にポイ活を、寸暇を惜しんでは熱心に取り組んでいるのである。

 さて、登校するワガコを8時前に見送って、朝の9時半を過ぎたあたりで外出用の身支度をテキパキと整え始めたオカクン。こちらがそんなオカクンの動きをのんびりとソファに身を沈めて目で追っていると、オカクンは音も立てずにすっと左側へ寄ってきて、優しく微笑みながらも滑らかかつ柔らかな手さばきで、左眼に点眼してくれた。そして、「お家のこと、あとはヨロシクね。」と、ささやきながら左の頬にキスをしてくれたのだった。

 …いつの間にか、花の香りが離れていかないように、自分の両手をすっとオカクンの首の後ろで結びつけると、左側の頬にあったオカクンの唇を静かに自分の唇と重ね合わせてみた。俄に、胸の奥が高鳴り出した。僅かに残されていた理性はすっかり姿を消し、欲望にのみ支配された野獣と化した自分の唇がもう一つの唇を求め、離れることを拒んだ。やがて、唇の奥に妖しく蠢く熱を帯びた物体が、まるで別の生き物のように、もう一つの無垢な唇を強引に開け広げ、激しくも官能的に絡めていったのだった。雨音だけの静まり返った部屋に、互いの鼓動が一つに重なり合って、いつまでも響き渡って止むことはなかった…。

 ハッと気がつくと、「じゃ、行ってくるね!」とだけ言い残して、オカクンは気合を入れて颯爽と仕事へ行くところだった。いったい、何時から超個人的な妄想は始まったのだろう…。随分時間が経ったように思ったが、しかし、時計に目を移すと、殆ど針の位置は変わっていない。そう言えば、朝の目薬は…自分でさしたような…。

 夜まで続くという季節を分ける冷たい雨は、オカクンが玄関を出る時には既に降り出していた。くれぐれも気をつけて、そして、無事帰宅してほしいと心から願っている。


〈注 大好きな桜餅を食べて春を感じた〉