1955年のこの日、東京・豊島公会堂で第1回母親大会が開催された。
1954(昭和29)年、ビキニ環礁での水爆実験実施をうけ、日本婦人団体連合会は国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会がスイスで開かれることになった。
これに先立ち第1回日本母親大会が開催された。
「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」のスローガンの下に、生命と暮らし、子供と教育、平和、女性の地位向上等に関する分科会や講演会等が開催される、とあります。
「母は強し」。
この言葉につきますね。
母がガンで他界してから早や30年、母の年齢を超えました。
持病である加齢性黄班変症もだいぶ治まり、そこそこ健康かな?!
と思える今日この頃。
さて、大連立が大見出しをつけるようになりましたが、現実的には難しく、ハードルは高いようです。
菅さんも恋々とその椅子に固執し見苦しい限り。
史上最低の首相との評価も。
後継者レースも本格化。
どうあれ、復興の足かせになっている関連法案の早期成立を望みます。
昨夜、家族で私の秋の選挙までの経済的な見通しと行動計画を話し合い。
長女は相変わらずぶすっと不機嫌顔。
次女は不安顔。
長男は笑顔。難しいなぁ~・・;