Zeebra ft. T.A.K THE RHYMEHEAD / 永遠の記憶 | コトラ a.k.a.ちょめちゃんのブログ

この曲を聴くと、なぜか98年〜00年あたりの夏の渋谷を思い出します。

今ほど暑くはなかったけど、渋谷の人々の熱気はすごかった。

歌自体は、Zeebraの年齢を考えると80年後半から90年初頭のころを歌っていると思うけど。

あの頃は、渋谷にはチーマーもいたし、ガーディアンエンジェルズとかいう

自警団っぽい人たちもいた。

路上ではまだ合法だったマジックマッシュルームも売られていたし、

道玄坂では怖い組織の人がよく立っていた。

今思うと非常に危険な街に思えるかもしれませんが、

自分の場合は、東京でも郊外のほうに住んでいたので、

そんなに危険な印象はなかったですね。

普通に生活している分には、あまり巻き込まれることはないかと。

ややヒップホップは、当時のその人の印象で街を語ることが多いので、

そこは街全てがそうではないということを勘違いなきよう。

ヒップホップというものが、彼らの生き様を土台として表現せねばならないので、

やはり環境を説明する上で、情報を整理していくと、

どうしてもそういう表現になってしまうのです。

そこで真っ当に生活している人も存在しておりますので、

あくまで、そのアーティストが、そういう環境として認識して生活していたってことです。

そこは本人にとっては、間違いないので。

 

バッドホップが語る川崎も25年前には頻繁に行ってましたし、

やや過酷な方で働いていた知り合いもいますが、

大阪の例の地域のほうに比べれば安全地域って印象です。

自分の住んでた横浜の南区あたりも頻繁にコンビニ強盗があったようですし、

磯子のほうでも怖い系の人が暴れてたのは目撃しましたしね。

自分もバスの中で喧嘩売られて、殴り合いの大喧嘩になり、

運転手に怒られてバスから降ろされたことも。

ちなみに私は、別に不良ではないですよ。

不良の定義がよくわからんですが、人様に迷惑はかけるなと

おばあちゃんに言われて育ったので、頭の出来は不良でしたが、

爽やかな好青年でしたよ(笑)

ほんと、いきなり殴られたから殴り返しただけです。

当時の東京や横浜は、なんとなくそんな街って感じでしたね。

 

大阪の例の地域や横浜にもある例の地域とか、

生きる気力を無くした人たちが多い地域のほうが、大人になると絶望感半端ない気がします。

ただ、どちらにしても純粋な子供の目から見たらショックなんだと思います。

ヒップホップって、どこか心に純粋さや繊細さがないと難しいと感じます。

鈍感だったら、そのままその環境に違和感すら感じませんので。

脱出したいとも思わない。それが日常になってしまいます。

 

ちなみにどちらかというと、自分が過去にコンビニバイトしていた

横浜の別の港の方の区域は、なかなかでしたね。

法律がないっていうか(笑)免許ないのに飲酒車運転してるバイトの後輩とか、

暴走が来たら、バット持ったおじさん達が来て、

あいつら次にこの前の道路来たら電話してくれ、リンチするからって・・

そんな、その地域での有名なやばいおじさん達とか、

そのおじさん達のリーダーっぽい人は、コンビニの駐車場でも

知らない人と何度も殴り合いの喧嘩してましたね。

コンビニのガラスに相手を押し付けて殴るから、こっちも怖いという(汗)

あとは、カゴに商品ごそっといれて万引きしてくトラック運ちゃんとか、

飛び降り自殺も2ヶ月に一回ペースであったみたいですし・・・。

その地域に住んでる比較的真面目な感じのバイトの子も、ほんと自殺多すぎて、

何回か幽霊見みましたよって言ってましたね。幽霊も回数を重ねると慣れるようです。

俺も一度、客にこの車をどこどこに届けて欲しいって

相談されましたが、さすがに断りました。

バイトの友人は何も考えず、受けてましたが・・・

特に何ごともなく今も元気に生きています(笑)

ちなみにそこは、いま調べても情報出てこないですもんね(笑)

もうなくなったのかな?

日本でも、いわゆる隔離された地域は本気で常識が違うんだなと、

今になって実感しますね。

よくあそこでバイトしていたなと、今思うと不思議です。

当時はまったく気づいていなかったけど(笑)そんなもんです。

川崎のとある地域も日常では同じ感じだったのかな?とも思います。

 

熱い時代を思い出させる名曲。

ちょうど私が聴いていたのも夏。

俺が、人々の熱気を感じていた時代の名曲です。

だいぶ話逸れたな。