やれば出来るという言葉 -追憶編- | 妻と私の異世界生活

妻と私の異世界生活

2020年の春
妻が統合失調症を発症

突然、異世界に放り出された妻と私の闘病記録

急性期、休息期を経て回復期に入り安定したのも束の間、2023年の夏、妊娠発覚と同時に再発

いつかこのブログが誰かの助け舟になります様に。





-追憶編-


雨が降ってきたので、


ソファーで浅い眠りにつきました。


妻は絨毯の上に転がっており、


テレビから若者の進路の話が微かに聴こえます。


「みんな、やれば出来る」


高校時代の夢をみました。


そして思い出す。








-高校時代-


少し変わった強い教師が多い学校でした。


生徒の中には毎年、


天才と言われる子が1名はいる学校でした。

(東大理科3類に平然と合格する逸材)







3者面談があり、


私と母は廊下で待っていました。


何故か母親が緊張している中、


他のクラスの面談が私達には丸聞こえでした。







「このままでは志望校は無理ですお母さん」


「うちの子はやれば出来るんですけどね」







「そうですよね、わかってるじゃないですか」


「だから志望校も…」


「あなたの子は天才じゃないですよ、普通です」







「はい?」


「さっきやれば出来ると言った通りです」


「やらないと出来ないと言う事です」


「ですのでもう少し勉強させてください」








やれば出来る=やらないと出来ないから普通


やらなくても出来る=天才


そんな極論みたいなことを3者面談で…


と思いましたが妙に納得したのを覚えています。








ただ、


それを聞いた母の緊張には拍車がかかり、


「やっぱりお父さんに来させればよかったー」


「いややわー」


「大丈夫、あれ隣のクラスやから」


と何故か母の緊張に気を使う状況に…。







そして私達の順番、


「大学受験とか受けた事なくてよくわかりません」


「大丈夫です、受けるのはお子さんですので」


「ですよね、手続きとかも息子に教えて下さい」


いきなり試合放棄にでる母、


自分のことは自分でというナチュラル教育方針、


嫌いではなかったです。







ソファーでみた夢の内容は、


浪人しているのに、


9月まで勉強してなくて焦るといった内容でした。

(浪人経験はありません)







起きた後、


何故このエピソードを思い出したかわかりません。


テレビから聴こえた、


「みんな、やれば出来る」


という言葉のせいかもしれません。










妻にこの話をしてみると、


「やっても出来やん私はなんや予防


「勉強やったん?」





「やろうとするとすぐ眠くなるから難しい予防


「それやってないやん」






「やろうとしても出来やん私はなんや予防


「人間やな」


「俺が愛嬌出そうとしても出せやんのと同じや」







愛嬌に関して妻は天才といえる、


人それぞれ、


意識せずともできる事が少なからずあるわけで、


勉強や仕事だけで推し量る必要はないと、


つくづく感じました。







そして、


やれば出来るのは秀才では?とも思いました。




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