今日は

私のもうひとりの息子の話を。


実は、長男はこの世にいない。


空の上にいる。


大きな病気を抱えて生まれ、

3日間  命の灯をともし、

天に召された。


このことは、私たち夫婦にとって

人生最大の試練だった。


何をしても何を目にしても

悲しみが襲ってくる。





沢山の管につながれて

苦しみを味わい、

短い時を懸命に生きて

逝ってしまった息子。

可哀想で  可哀想で

この世に生まれてきた意味を

何度も問うた。



それぞれに

与えられた命の意味があるはず。

でも

その当時は

到底その答えは見つからなかった。


なんで?何で私の子が?


息子が病を抱えていると

知った時から、

それを考え続けてきた。


なぜ

こんな悲しい出来事が起こるのか

それが何故私たちなのか。



弟の誕生を何よりも楽しみにしていた

3歳の娘は、

当時明らかに心を壊しており、

私を励ますためか

はしゃぎ回っていた。



悲しみのどん底の世界に住んでいて

ある日

上を見上げると

ぽっかりと

小さな空が見えるのに気づく。



少しずつ少しずつ

その空が広がっていく。





重い重い日常を経て、

少しずつ、本当に少しずつ

笑顔を取り戻していった。


娘は幼稚園に通い始め、

私にも初めてママ友ができた。

行事やバザーに

忙しく過ごすようにもなる。


少しずつ

前を向けるようになり、

笑えるようになっていく。


そして、次男の誕生。


来たで〜!と知らせるかのような

大きな大きな泣き声で生まれきた。


次男出産の日

心配しすぎた5歳の娘は、

前日から蕁麻疹を出し、

点滴をしてもらいながら

その誕生に立ちあっていた。


泣き声を聞き、

ほっとした笑顔で

ポリポリ体をかいていたっけ。




あれから、

20年が過ぎた。


娘も息子も、

23歳と18歳。

元気に育った。


心配や不安も

その時々にあったし、

まだこれからもあるんやろうけど、

自分の命、他人の命は

必ず大切にして生きていく子に

育ったと感じる。


そう!

それこそが、

長男の命の意味だったのだろう。



実は


  長男   次男


の名前はしりとりで繋がっている。




いつでも、いつまでも

命の尊さを伝えてくれた長男を

忘れず

心の中で

手を繋いで生きていってほしい。


そんな願いを込めて。


命は儚いものだけど、

何ものにも変えがたい尊いもの。


私たち夫婦も、

人には様々な人生があることを

知った。


たくさんの人が、

笑顔の裏に

悲しみを抱えていることを

想像できるようになった。


せっかく与えられた命は、

生ききらないと。


長男に恥ずかしい生き方はできないと、

今はその思いに至っている。



今日

710日は長男の誕生日。



いつか

空の上で再会した日には、

大事な命のメッセージを

伝えてくれて

ありがとう

と言わなくては。





その日のために、

元気で11日を大切に生きよう。