昭和17年生まれの母
元気なら84歳。
父親は戦争に行き、
戦後シベリア抑留され帰らなかった。
母親は病で亡くしたそうだ。
兄と共に
命からがら満州から帰国したのが
3歳。
親戚たちはみんな兄と妹を
別々に引き取ろうと話し合った。
だが
祖母が
「兄妹は一緒がいい」
と譲らず、
結局
自分が2人を引き取り、
女手一つで育てることとなる。
戦後の混乱の中、
頼りの息子夫婦はいなくなり、
孫2人を抱えて
どうやって生き抜いてきたのか。
すごい祖母(私にとっては曽祖母)だ。
だから、
私の母は
小さい頃から働きづめ。
牛乳の配達途中
転んで
ほとんど割ってしまって
悲しかったことや
学校も遅刻が多かったが、
先生も事情をわかって
怒らなかったわ…
など辛かった思い出を
ポロポロ話していた。
地元高校の商業科をでて、
銀行に入り
そこで父と出会った![]()
父は農家の次男坊で、
天性の明るさをもつ、真面目な人。
両親がいないこと、貧しいことも
周りの反対理由になった時代だった。
それを押し切り結婚したのは、
苦労ばかりしてきた
母を
必ず幸せにするという
強い思いがあったから。
「僕と結婚したら幸せになる」
という
根拠のない自信![]()
![]()
神様だけはわかってくれるやろうと
神社でおみくじを引いたら![]()
「大凶」が出て
2人で笑った
と言っていた。
そうして
今
私がいる。
老後も2人で
楽しく暮らしていた。
母は相変わらず仕事も続けていたし、
父は500歳野球に熱心。
たまに2人で旅行✈️
それなのに
数年前、
父が突然逝き、
母は 寂しく
辛く ![]()
会いたい 会いたい
と言っていた。
父の思い出を眺めては、
抱きしめて
過ごす日々。
そしてその後
本当に
後を追うように
空へ旅立ってしまった。
ほんまにこんなことがあるんやろか
と思うほどの人生の終い方
よっぽど仲良かったからやんな
幸せなんよな
と自分に言い聞かせている。
お母さん
会いたいよ。
話したいよ。
私たち夫婦のこと
孫のこと
見守っていてな。
ってまた頼ってしまった![]()
優しく、温かい子ども時代を
ありがとう。
今日は 母の日



