私の父は、野球少年だった。

いや

2年前、78歳で亡くなるまで  

ずーっと


"少年 "


だったと言っていい。


何度も聞かされたのは

初めて買ってもらった

グローブの話。

嬉しくて嬉しくて

いつも磨いて枕元に置いて寝ていた

と話していた。



何でも手に入る今とは違い、

物を大事に大事にする時代だった。



3つ歳上に長嶋茂雄さんがいた。

華々しい活躍を見ながら、

京都の田舎で甲子園を夢見ていた。

背番号サードには

強い思い入れがあったようだ。


「長嶋は、ユーニフォーム "

の着方がカッコいいねん。」


と言う。

(何故か

ユーニフォームという発音)


手袋をズボンポケットに入れ

ブラブラさせてたり、

ソックスが隠れるほどズボンが長いとか、

そういうのを嫌う。


"キチンと"

"すっきりと"

ユーニフォームを着こなすのが大事。


そう

" 長嶋風  "  が大事やからね。



社会人になってからも、

好きな野球を続けていた父。


そして人生の後半、

500歳野球」というものを

始めた。

チームの選手の年齢を足して

500歳を越えれば出場OK

全国組織もある元気な野球連盟だ。


父も、高校のOBでチームを結成。

2030も歳下の仲間と、

白球を追いかけていた。

グランドならしも

飲み物準備も選手のスカウトも

何でもこなし、

生き生きしていた。



そうそう

打ち上げの飲み会では、

元阪神タイガースの吉田義男さんと

たまに会うんやで〜と

嬉しそうに話していたっけ。


吉田さんと言えば、

その守備の卓越したうまさから

「牛若丸」と称され

阪神の監督も務められた

関西の野球好きなら

わくわくするお名前。


吉田さんの高校は山城高校。

勿論、甲子園出場校だ。

名門平安高校と渡り合っていた時代やと思う。

すごい!!



そんなかつての名選手と、

名もなき野球好きおじさんの父。

今はいい野球仲間なんや!!

いいなぁ〜と思った。


秋田では、

俳優の柳葉敏郎さんも

チームを組まれている。

秋田で全国大会が開かれた時には、

一緒に写真に収まって

笑顔の父だった。


長嶋びいきで熱烈な巨人ファンだったはずが、

老後は

「やっぱり阪神の試合は面白いわ。」

と言って、

阪神戦ばっかり見ていた。


「あーそこで振らんかいな〜。」


「下手くそ。どこ見てんねん!」


とワイワイ言えるタイガースが

実は性に合ってたんかも。


「阪神の選手は

ユーニフォームの着方がだらしないなぁ〜」


とやはりそこは気になっていたが。


父の中学の時の野球部の写真は、

まるで

" 瀬戸内少年野球団  "  

映画のワンシーンみたいで

好きだ。

大事に飾っている。


野球  野球   野球


父の大好きな野球


その父はもういないけれど、

500歳野球が

これからもずーっと続いてほしいと

密かに応援している。


それに、父の高校がもし万が一?

甲子園に行く日が来たら、

父の写真を持って

応援に行かねばならない。


私も忙しい。



空に昇っても、沢山の野球バカ(笑)たちと、

また野球やってるやろうな〜。


羨ましいこと。



甲子園を目指しても全く届かず、

それでも一生懸命青春をかけた日々が、

父の人生を支え続けていた。


コロナで

大会がなくなってしまった今年。


空の上から、

かつての野球少年たちは

その悔しさに心を寄せて

きっと

大きなエールを送っていることだろう。