● ぱるるの説得力に、秋元先生も私も完敗(笑) -「正統派アイドル」におけるその正論- | 願いの花が咲く運命を信じて

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● ぱるるのSPAでのインタビューは、非常に、目から鱗を落とさせるというか、画期的というか、ハっとさせられる示唆に富む内容で、以来、私の頭はその強い刺激によって、筆が止まらなくなっております(笑)。

最近、改めて「パフォーマンス教」の害悪(笑)に関することを書いておりますが、ふと考えますと、「私も」、実は、知らないうちにそれに毒されていたことに気づかされるんですよね。いや、もっと言えば、秋元先生ですら、実は同様なのでは?と思わせられるという(笑)。

私よりも秋元先生よりも、ぱるるが正しい、と(笑)。

いや、秋元先生もそうでしょうが、私も分かっています。散々言ってますし、実際、48G(※)は、正統派アイドルとして、まさにそれにこだわってきたのは明らかなのですが、実は、「毒されてない」と思い込んでいただけで、知らないうちに、一部、やはり、「パフォーマンス教」に毒されていたのだと。その自覚に不足しておったが、ぱるるの発言により、「やっと」その自覚に至ったのだ、と(笑)。

(※ 48G=48グループ ←「48G」という略し方はかなり一般的になってきたかなということで以後、これを使うことにしました。「リクアワ」とかみたいにですね。)

● 秋元先生が言う、「AKB48は、野球で言えば、1塁にヘッドスライディングする高校野球のようなもの」という表現。これですら、実は、「パフォーマンス教」の思想の一部なんだなぁということ。

あるいは、「努力」という言葉。

いや、私も、「ヘッドスライディングする様」こそが、AKB48の真骨頂だと思っておりました。汗だくになって踊る様とかね。だから、歌やダンスが上手くなくても許されるのだという言い訳にも利用されていた節すらある。

しかし、こうした視点は、「正統派アイドル」という観点からすると、ある意味、邪道というか、これですら、「パフォーマンス教」の発露なのであるということ。

● やはり、日本的アイドルの基準は、70~90年代において当たり前だった「ソロのアイドル歌手」にあるんですよね。松田聖子、南野陽子、菊池桃子、小泉今日子、おニャン子クラブ、酒井法子・・・綿々と続いてきた、「ソロの正統派アイドル」たちが、はたして、汗だくになって1塁にヘッドスライディングしたり、あるいは、「努力」というものを滲ませたり、あからさまに前面に出してきたりしたか・・といえば、そんなことはなかったという(笑)。

むしろ、努力はしていても、それを出さず、やはりビジュアル的な「可愛らしさ」で勝負してきたのが、「正統派アイドル」ではなかったか、と。

● ぱるるの、「チーム4公演の初日は全力で取り組んだが、それ以降は、"調節"して、全力ではなく少し抑えたステージに、敢えてしていました」、という発言は非常に、その意味で、目覚めさせられるというか、その正しさに、秋元先生や私ですら、反省し、考えを改めなきゃいけないと自覚させられるという、それほどのインパクトを与えているという(笑)。

「ぽんこつ」呼ばわりされるぱるるですが(笑)、実際、過去の各公演やコンサートの彼女の様を観ていても、別に問題ないどころか、非常にアイドルとしてキラキラしていることに気づかされます。その動きや表情に余裕があって、彼女の可愛らしさが十分にこちらに伝わって来るという。

しかし、考えてみると、そこにあるのは、「全力」だとか「汗」だとかそういうものとは無縁なのであるが、だからこそ、キラキラ感が伝わって来るということに気づかされるという。

・・・。

前述のように、AKB48ですら、実は、「パフォーマンス教」に一部毒されているのだという観点からしますと、他のメンバーたちは、それに添ってやはり、「全力」的なものは一面感じるという。「必死になっている様」ですね。まぁ、それはそれで度を越してはいないので、特に問題は感じないのでありますが、やはり、ぱるるの輝きが目に飛び込んで来るという。

もちろん、別に、ぱるるを特にお気に入りであるからとかではなく、「動きの全力感」と「アイドル的キラキラ感」との関係においてですよ(笑)。贔屓目で見ているわけではなく、客観的に見ているつもりです(笑)。

● 「全力で」とか「汗いっぱいで」というものが、「デフォルト」になってしまってるから、それとの対比で言うと、ぱるるは「ぽんこつ」と映ってしまうだけであって、それは、「思い込み」にしか過ぎず、実は、元祖「正統派アイドル(70~90年代のソロアイドル)」の視点からすると、ぱるるのあり方が正しいのだということですね。

いわゆる、「全力論」の視点からると「ぽんこつ」とされてしまうだけで、実は、そのいわゆる「ぽんこつ」である様こそが、「正統派アイドル」としての正しいあり方なのだと。

つまり、「ぽんこつ」という概念は、「パフォーマンス教」の視点でしかなかったというわけなのだ(笑)。

ということで、ぱるるのあり方を「ぽんこつ」呼ばわるする者は、自ら、「パフォーマンス教信者」であることを自白してるのと同じことなのだと(笑)。

私や秋元先生ですら、ほんの一部ですが、そういう視点を持っていたのではなかったか?。「正統派アイドル論」を声高に主張しながら、実は、自らも「パフォーマンス教」に毒されていたのではなかったか?ということ。

私や秋元先生よりも、ぱるるの方が正しいのでは?と(^-^v(笑)。

● そうしたことを目覚めさせるのに、一つ役に立ったのが、「永遠プレッシャー」のそのあり方です。歌もダンスも必死感なんて全くない、しかし、ぱるるの余裕の表情から表れる「可愛らしさ」そして「アイドル的キラキラ感」。

これは、「振付的にゆとりがあるから」なんですよね。だから、彼女たちの「正統派アイドルとしてのキラキラ感」に魅了されるという。

AKB48において人気の高い、「ハート型ウイルス」や「となりのバナナ」「天使のしっぽ」「渚のCHERRY」など、「アイドル王道系ユニット曲」なんか考えますと、やはり、同様ですよね。「動きにゆとりがある」。だから、アイドルのキラキラ感に心奪われるという。こういった曲、どう考えても、AKB48ファンとしても人気の高い楽曲群ですよね。

そこに、「全力」だとか、「汗だく」だとか、「努力」だとか、そうした概念が含まれてるでしょうか?(笑)。

● 乃木坂46のデビューシングル「ぐるぐるカーテン」は、まさにそうした意味で、「動きにゆとりのある振付」という意味で、大いに「正統派アイドル」でありました。その印象から、「AKB48とはやはり少し方向性が違う」と見えた人も多いのではないでしょうか。

そのギャップなんですよね。その「ギャップ分」、実は、AKB48は「パフォーマンス教側」に若干寄っていたということです。

あの清々しさ、清涼感。あれぞ、まさに、いつか見た「本当のアイドル」(笑)。

しかし、残念なことに、2nd「おいでシャンプー」以降、その「正統派路線」から離れ、パフォーマンス教側に寄った振付に。挙句の果てに、4th「制服のマネキン」においては、AKB48を通り越して、かなり、パフォーマンス教そのものになってしまった。

実際、「制服のマネキン」という楽曲は私好きなのですが、そのPVやら、あるいは、TVでの映像については、私は、さらっと見ただけで、それ以来観ておりません。

いや、「観ていられない」のであります(笑)。

まさに、「パフォーマンス教」そのものなんですよね。分かる方は当然、私の申してるニュアンスを分かって頂けると思いますが、私は、絶対に、振付師を替えるべきと思うんですよね。あるいは、「ぐるぐるカーテン」の時に戻るべき。

いや、「目先を変える」という「振り幅」目的で、というのがあってもいいとは思いますが、それにしても、やはり、「痛々しく」感じて仕方がない(笑)。

・・・・。

● また、いつも引用することなのですが、いつかの、AKB48とSKE48が出演したNHKの春歌スペシャル。時期としては、「桜の木になろう」の頃で、武田鉄矢さんが出ていて、AKB48が「じゃあね」、SKE48が斉藤由貴さんの「卒業」を歌った回ですね。

印象に残った象徴例として引用してしまうのですが、あの無理無理な振付にはたまげたというか、その違和感はメーターを振り切っていたという(笑)。

「じゃあね」も「卒業」も、あんなに終始、止まることなく動いて歌うような曲ではありませんよ(笑)。多少の振付があったとしても、基本、「止まって」歌うべきものです。にもかかわらず、「止まらない」「常に動く」振付がつけられていた。

これぞ、「パフォーマンス」という強迫観念だと思いますね、振付師の思い込み。

こうしたことは、パフォーマンス教系のアイドルのみならず、時にAKB48にも見受けられるものです。

最近は、「GIVE ME FIVE!」の振付も、バンドバージョンから離れたものとして、新たにつけられましたね。あれはあれで、元気いっぱい感があって悪くはないのですが、やはり、これも、「止まることのない」「常に動きつづける」振付という意味で、少し「無理無理感」がある。

もっと、落ち着いて、「静」と「動」、メリハリをつけて振付をつけるべき曲ですよ。振付師よ、アホかお前・・とまでは言わないけど、そんな感覚(笑)。

まぁ、「GIVE ME FIVE!」はまだ全然マシなの方ですが、全体的な流れとして、特に、SKE48や乃木坂方面においては、あまりにも、「パフォーマンス」という概念に縛られ過ぎている。うんざり。

その点、「永遠プレッシャー」は、本当に素晴らしい。「静」と「動」の絶妙なバランスにより、アイドルの子たちの表情、振付における仕草、その可愛らしさを十分に堪能できる。

極端言いまして、マイクスタンドを使い、ひたすら、体を揺らすだけでいいのですよ、アイドルソングというのは。せいぜい「ヘビロテ」や「フラゲ」の感じとかね。

● もうね、乃木坂でも、SKE48の最近の楽曲でも、この「パフォーマンス」という概念に毒されすぎ(笑)。いや、アイドルの子たちではなく、振付師の考え方の問題ですね。

この辺、秋元先生はどうお考えなのか、一度、じっくりうかがってみたいものですけどね。各PV制作などと同様に、「任せた限り、クリエイターに一任する」ということなのかもしれませんが(笑)、少し、「いかがなものか」というのが散見されます。

もちろん、「永遠プレッシャー」や「君のC/W」を始めとした、正統派の演出を常に見せてくれる秋元先生ですから、私の持っている視点を当然お持ちでしょうが、一部、何か、「これでいいのだろうか」ということが飛び出してくるので、私の中で、違和感を禁じえなくなる部分があるという。

まぁ、例えば、HKTの「初恋バタフライ」の振付なんか見ても、何の問題もないと思うわけですし、「全てが全て」というわけではないと捉えておりますが、「乃木坂」や「SKE48」の傾向を見ていて、やはり心配してしまう所があります。

● その意味で、ぱるるが言ってくれてる、「ある程度いい感じに抑えて」というのは、本当に正しいというか、示唆に富んでいて、上で述べた、「パフォーマンス教的」な価値観と真っ向勝負というか、反対側から、その問題点を指摘して頂いているように感じるんですよね。

● 「めちゃイケ」のぱるる特集では、秋元先生の指示によって、矢部っちがぱるるの「握手塩対応」の矯正に手を貸し、ぱるるも、結果、最終的に「神対応」を披露し、「よかったよかった」となった。見ていても感動的なよい回でした(笑)。

ところが、その後のインタビューで「あの"神対応"は、作った自分であり、本当の自分は"塩対応"の方です」と。そして、「ファンの方に対して、着飾った自分(神対応)と本来の自分(塩対応)と、どちらのスタンスで対応するのがよいのか迷う」とし、「神対応を求めるならみるきーの方に行ったらいいのでは?(笑)」と、冗談交じりに言ったという(笑)。

もちろん、「神対応」によってファンが喜んでくださることは実感できてることでしょう。しかし、「本当の自分とは」という点において、それが必ずしもいいのだろうか・・という趣旨ですね。

これはですね、ぱるるの感覚の方が正しいと思うんですよね。それは、「正統派アイドル」という意味においてですね。

元来は、アイドルというのは、たまにイベントで握手することはあったでしょうが、しょっちゅう「握手」するような身近な存在ではなかった。それよりも、TVの中の世界で観る「特別な存在」であった。

しかし、「会いに行けるアイドル」というAKB48のコンセプトから、「握手」というものが大きな要素として、実際、売り出されている。その際、握手において、「どのような対応するか」という視点は、従来の「正統派アイドル」ものからすると、「なかった」ものであり、AKB48以来、「神対応、塩対応」ということが言われるようになっただけ。

・・・・。

原点に戻って考えたいと思います。

そもそも「アイドル」というものは、TVや雑誌の中に存在するものでしたね。そこから、派生して、アイドルはもっと身近になってきた。ファンとの交流を重視し、具体的な握手という形でサービスを行う。

しかし、「握手」というのはアイドルの本分であろうかということですね。

もちろん、販促の意味で、あるいは、ファンサービスの意味で「握手」という努力によって、ファンに訴えかけようとするのはあってもいいとは思います。しかし、それが「本分」なのかということです。

いわば、CDを始めとするソフトを売る、あるいは、アイドルとしての魅力を伝える。こうしたものは、いわば「営業活動」なのですが、自ら営業までこなすアイドル(笑)。その営業マン並みに「営業力」が試されるアイドル。

さて、アイドルの「アイドル性」とは本来どこにありましたでしょうか。「可愛らしさ」ではないでしょうか。「可愛らしさ」をもって、ファンを魅了することがアイドルという「お仕事」、にもかかわらず、「営業力」によって評価されてしまったりする。

この際、アイドルの本分たる「可愛らしさ」と、「営業力」を天秤にかけたとき、どっちが重視されてしかるべきか。当然、「前者」だと思うわけです。

もともと、「70~90年代の正統派アイドル」においては当然、「営業力」という要素は存在しませんでしたね。それで立派に成立していた。TVや雑誌の中で存在するものでありましたから。その可愛らしさによる訴求力、これがアイドルであった。そもそも、アイドルである限り、その意味での「訴求力」がありさえすれば十分じゃないのかと思うわけです。

・・・・。

長々と理屈をこねくり回してしまいましたが(笑)、シンプルに考えたらこうです。

若い女の子を、何時間も立たせ握手三昧。それだけでも相当の負担だというのに、その長時間、常に、「神対応」を求めるのは、よくよく考えると、酷というか、非人間的というか、本来、「問題アリ」なのではないかということ。

私も多くの立ち仕事経験ありますが、10時間オーバーとかひたすら立っていることの負担ですよ(笑)。考えるだけでぞっとしますが、仕事だからやるとして、その上で、「常に神的な接客」を求めるというのは、いったいどういうことか、ということです(笑)。

「体力が続きません、向いてません」という人が出て来ても当然です(笑)。ほとんどが未成年ですしね。

にもかわわらず、「神対応して当然」というのはあまりにも非人間的である、と。まぁ、みなさん、努力ということで、それに努めて立派ということですが、別にそれができなくても当然で、「アイドルたる本分」において、きちんとしていたら問題ないでしょうと。

アイドルは「TVや雑誌の中にいる可愛らしいもの」というのが本分である。その意味において、きちんと「お仕事」を全うしていさえすれば十分で、「それでは不十分で、"営業力をつけろ"」と言う方がおかしいのではと。

そりゃそうですよ(笑)。

・・・・。

● 反省すべきは、秋元先生やファンの方です(笑)。いや、別に握手をやめろということではありません。CDが売れない時代、あるいは、一つの専売特許(売り)として、それを行うのはいいとしても、そこまでアイドル本人に負担をかけながら、かつ、常に「神対応」を求めるという方がおかしいと(笑)。

ぱるるが「めちゃイケ」によって「神対応」するよう努力してくれた。ちゃんと実践してみてくれた。しかし、「これが本当の自分なのかどうか迷う」とし、本音を明らかにした。

さて、秋元先生は、この点はよく考えてみるべきことなのではないでしょうか。

もちろん、善意を持って、ぱるるを売り出すために、握手の対応力をつけさせたいがために、ぱるるのために、このような企画を考え、矢部っちに指示を出されたと思います。しかし、ぱるるが、「神対応の自分は本当の自分ではない」と返した。

秋元先生も、ぱるるに「梯子を外された」というか、「冷水を浴びせられた」というか、目から鱗を落とすにいたったのでは?という(笑)。もちろん、私も一面、同様です(笑)。

ぱるるの視点は、まさしく、今のAKB48のあり方に、一石を投じてると思うんですよね(笑)。

ぱるるが正しい。反省すべきは、秋元先生やファンの私たちであります。

・・・。

もちろん、「会いに行けるアイドル」たるAKB48である限り、「握手」は今後も欠かせないものとなるでしょう。その中で、「同じやるなら」ということで、みるきーやゆきりんがその握手対応力を発揮することでファンの心を掴むことはあってもいいと思います。それは彼女たちの考え方ですし、それはそれで評価されてしかるべきでしょう。

しかし、そのことが「当たり前のもの」として錯覚し、そこまでできないメンバーたちを、「ダメ」とレッテル付けし、「ぽんこつ」呼ばわりするのは、それはおかしいわ(笑)。

なぜなら、握手はアイドルの本分じゃないのだから(笑)。後発的に派生的に生み出されただけの、一つの方便・方策にしかすぎないのだから。アイドルの本分を全うしていたら、それはアイドルとして立派に成立しているのでは?と思うわけです。

大の大人たちが営業マンとして、「やれ!」と言われ、それにより評価されるのはしかたがない(笑)。しかし、大人たちが、「10代を中心とした若い女の子」を営業現場に駆り出し、こき使い、その「営業力」を持って評価するなんてことは、それは、「本来は人道的でない」という自覚を持つべきだと思いますね。

別にぱるるは握手を嫌がっているわけではなく(笑)、神対応の意義も理解しているが、握手においても「自分らしくありたい」と考えている。別に、その考え方があっても、あまりにも当然過ぎることなのではないでしょうか?(^-^v(笑)。

松田聖子、南野陽子、菊池桃子、小泉今日子、おニャン子クラブ、酒井法子・・といったアイドルたちが、はたして、握手対応力、つまり、「営業力」によって、ファンに対する訴求力を発揮していたでしょうか(笑)。

つまり、「それなし」でもアイドルは成立し、いや、「それなし」こそが「デフォルト」なのであると(^-^v。

ぱるるに示唆を受ける秋元先生という構図(笑)。今後、「神対応しなさい」という言葉は秋元先生からは出てこないでしょう(笑)。