● HKT48佐藤支配人さんは、支配人として間違いなく「不適格」(2) | 願いの花が咲く運命を信じて

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● さて、今朝も、佐藤支配人さん宛てにメッセージを送りました。これが「しつこいクレーマー」かどうかは、文面で判断頂きたいところですが(笑)、「何事も伝えようとしないと相手には伝わらない」との信念でやっておりますけどね~(笑)。

私もそんなにおっさんというほどでもないですが(笑)、今までの人生で、たくさんの、いろんなとんでもないことが目の前で起り、それに遭遇してきましたが、いつもこの手の手法を使ってますね。なので、得意技なんです(笑)。

2年に渡り相手に対し交渉をし続けたということもありましたね(笑)。

これは実は、私の尊敬する「中坊公平元弁護士さん」の生き様から参考にさせて頂いたことでもあります。

豊田商事事件の破産管財人になった際、中坊さんは、国税庁から、その収めた税金を取り戻すために、何度も足を運んだという。最初は「招かれざる客」としてうとまれましたが、そのうち中坊さんの熱意に負け、国税庁職員も結局、その意向を受け取ることになりました。

簡単に言えばそんなエピソードなのですが。

根気よく、いかに熱意をこめて、足を運ぶか。あの、三国志の「三顧の礼」の話にもどこか通じるかなと思いまして、いつも私もそれを思い浮かべて、頑張ってまいりました(笑)。

まぁ、「しつこいか」ということは事柄にもよると思うんですよね。「理に適っていれば」いつか分かってもらえる。「理に適ってなければ」ただのしつこいクレーマー(笑)。

「理に適っているかどうか」にかかってるのではないか、というのが私の見解。

とはいえ、どこまで飽きずにやれるか、この件に関してはまだわからないですけどね(笑)。
【12月11日朝 HKT48公式サイトから「佐藤支配人さん宛て」に投稿させて頂いた、私の文面】 (投稿Vol.2)

佐藤支配人さん、おはようございます。お疲れ様です。

● さて、例のコメントカットの件ですが、スルーしたことによって、もう後戻りできないところまで来ましたね~。もう、徹底スルーしかないですよね、そりゃ分かります(笑)。

しかし、どうしてカットしたのかですね。カットするには「隠す」意味がありますが、指原さんの発言は、すでにタイムリーに劇場内外に漏れているわけですし、指原さん本人も、そしてその他メンバーのみなさんも、その内容についてほのめかして、出てしまっているわけです。

実際、詳細な文面は、ほぼネット上に出てますから。確かに、カットされていても内容について触れることが可能です。検索すれば出てくる。

でも、逆に言えば、「隠れてない」ものを「隠す」ことに何の意味があったのかということですね。

いや、結果として意味がなかった(笑)。

残ったのは、HKT運営の「隠そうとする姿勢」だけであった。

こんな馬鹿馬鹿しい采配はあるのでしょうか。企業のガバナンスとしてどうでしょ(笑)。結果責任として考えれば、これが「HKT48運営」の為したことですね。

1.隠すべきものを隠せなかった
2.隠すべきでないものを隠そうとした

この2つの意味で、運営のミス。一面では、情報管理の意味でも不備があったともいえますし。まぁ、ステージ上での発言ですから止められないでしょうけど(笑)。

いや、要するに、出てしまうものを隠す必要性がなかった、ということですよね(笑)。

● もうひとつは、今回の件は、ステージ上での発言でした。劇場型アイドルたるHKT48においては、今後もこういうことが起きる可能性がある。同時に、DMM配信がスタートした。

同様のケースが起こったら、またしても同様の対処をされるおつもりなんでしょうかということです。

ステージ上でのことですから、発された言葉は誰かしらファンが聞いており、実質隠すことのできない状況下、類似のケースが生じた場合、どこを基準として、「カットするか否か」を判断するのか。今回の、指原さん発言のケースが基準となるのか。

基準なしに、「この発言はダメで、この発言はOK。」とすれば、矛盾が生じたり、不公平が生じたりする可能性があります。さて、この基準はどこにあるか、「コメントカットに関する基準」は、はっきり明文化し設定しておく必要があるのではないでしょうかね。

この「コメントカットに関する基準」は、「メンバーがどこまで発言してOKかという基準」にそのままなります。また、ファン側にとっても、「コメントカットについて納得できるかできないかの基準」になる。

少なくとも、「発言」に係るカットをするなら、「基準」が示されるべきなのではないでしょうかね。これは、論理的に言えば、当然の、必然の、お話ではないでしょうか。

本来は、カットなしに、フルオープンにすべきことだと思いますよ。48グループは「ガチ」なはず。あの増田有華さんの自爆発言(「最初から卒業しようと思っていた」)ですら、隠されることはなかったのですから。

その「基準」も曖昧なままです、現状では。これでは、メンバーもファンも、そして、運営自身も混乱を生じるのは当然なのです。

別に自惚れるわけではないですが、この論理を否定できる方はいらっしゃるでしょうかね(笑)。

放置しておいても、いずれは「基準」を示さざるを得なくなるでしょう(笑)。カットで対処する限り。上記のとおり、同様のケースが生じることは火を見るよりも明らかですしね。

放置していても、存在する矛盾は解消されないでしょうね。

● 上記のことは、もうすでに、表沙汰になっているわけですから、「ミスならミスとして」、早急に、「混乱させてしまったことをお詫びします」としておけば、「しょうがないね。そんなこともあるよね。」とみんなが納得できたはず。

こんな誰でも分かるような判断をなぜ行えなかったという、佐藤支配人さんの判断能力について疑義を持ってるんですよね。私なら、こんなミスはしませんよ(笑)。

どう考えてもミス。認められた方がよろしいと思います。

● ま、検証した上でネット上に記録しておきますから、今回の件でスルーしたとしても、今後何かあった時に、これを引っ張り出し引用して、合わせ技で問題点として吊し上げることも可能です。「またですね」と(笑)。

「少し配慮が欠けていた」でもなんでもいい、一言でもいいから、支配人さんのお考えを披露しておけば、ガスは抜かれ、その瞬間物事は解決していたはず。

隠すことによって延焼し、いつまでもくすぶり続け、また、いつか再燃する可能性もある。また、この場合、「説明なしでスルー」することは、それに対して、油を注いでしまうようなもの。

今後、幾たびもの試練が訪れる可能性があるのに、このような基本的な対応ができないで、どうして、大きて複雑な物事を処理することができましょうか。

● もうひとつ思うのは、このような基本的なことを、佐藤支配人さんに進言するスタッフさんがいらっしゃらないのか?という疑問なんですよね。私が、佐藤さんの同僚、あるいは、部下であれば、100%進言してます。

これはさすがに憶測にすぎないのですが、運営内においての人間関係は大丈夫なのか?とか、スタッフの能力とか、コミュニケーションは上手くいってるのかとか、そこまで想像させてしまう、今回の出来事なんです。

私の思考回路は間違ってますでしょうか? 論理的矛盾がありますでしょうか。

● まぁ、「誰かに宛てた文面」を公開するというのは、どうしても、気恥ずかしさが生じますね(笑)。ブログにそのまんま文面を投稿するのとは違う感覚があることを再発見です(笑)。

● まぁ、佐藤支配人さんは、あれだけの意見が寄せられたにもかかわらず「完全なるスルー体制」へ、予想通り移行されたということですが(笑)、当該意見を寄せられた方々はどう捉えてらっしゃるかを想像してみますと、「HKTはさっしーやメンバーがいるから応援はする。しかし、支配人を始めとする運営はもう信用しない」という感じでしょうかね。

それが今の沈黙体制かと思います。「収まった?」とんでもない、心の奥底でくすぶり続け、何かあれば発火することでしょうね(笑)。

まぁ、あんまり、ぐぐたす等に、しつこく熱く突撃しても、今度は「揺り戻し」があって、「クレーマー」扱いされるので得策ないので(笑)、やれないというかやりませんわね。

さて、佐藤支配人さんは、「収まった」と解釈するかどうか(笑)。