● 【素人の歌詞解釈メモ】 - ひらひら / Not yet | 願いの花が咲く運命を信じて

願いの花が咲く運命を信じて

音楽一般、日々感じたことなど、ざっくばらんに。

「週末Not yet」の各種共通のカップリング曲ですが、いい曲ですよね。楽曲もよし、そして、詞の方はというと、まさかNot yetのデビューシングルに卒業ソングを持ってくるとは思いませんでしたが、この季節を大切にしている秋元さんらしいなぁと素直に思いました。

▼【音源】ひらひら / Not yet
【歌詞全文】
ひらひら
作詞:秋元康 作曲:五戸力 編曲:野中“まさ”雄一

春の日の青空を
いつまでも見上げていた
こみ上げる感情を
どうにか堪えながら・・・

はしゃいでいた
卒業式
ふと みんな 黙ったね
一人一人
違う夢を見る
僕らは今 別れの時

ひらひら
舞い上がる
桜の花びらのように
ひらひら
未来へと
ここから歩き出そう

先生を中心に
集まってピースした
青春の1ページを
携帯に保存したよ

季節が過ぎ
大人になり
微笑みを忘れたら・・・
この写真を
そっと開く度
僕は強くなれるだろう

うるうる
切なくて
涙が溢れ止まらない
うるうる
花が散る
桜のせいなのかな

誰もが
輝いて
どこかで きっと待ってるよ
願いが
叶うまで
桜の木はまた咲く

ひらひら
舞い上がる
桜の花びらのように
ひらひら
未来へと
ここから歩き出そう


■■■■各フレーズの解釈■■■■

春の日の青空を
いつまでも見上げていた
こみ上げる感情を
どうにか堪えながら・・・
※ 卒業式当日は晴れかな? 湧き上がる切ない感情、わかりますよね。

はしゃいでいた
卒業式
ふと みんな 黙ったね
一人一人
違う夢を見る
僕らは今 別れの時
※ いつも通り、わいわいがやがや楽しく会話するも、どの生徒も実は、この日だけは心に淋しさを同居させてるわけですもんね(笑)。いや、むしろ、だからこそ、いつも以上に不自然に(笑)明るくふるまってみたり、残り少ない時間中、たくさんのことを目に焼きつけようという気持ちになったり。

ですが、ふとした瞬間、みんな、心に抱えている切なさや寂しさが同時に"シンクロ"し、黙ってしまったりするわけですな(笑)。

・・・。

そうそう、同窓生みなそれぞれ全く違う道を歩み出す起点になるわけで、小学校入学以来、当たり前だった「学校」というものから解き放たれ、大海原に漕ぎだす大きなポイントですもんね。感傷的になって当然ですわね。

しかし、ホントに、大人になって振り返ってみても、まさに、"別れの時"ですよね。今考えてみても、自分の同級生がどんな人生を送っているか全くわかりません(笑)(一部を除いて)。

・・・。

卒業というものを人生の中で捉える「桜の木になろう」の歌詞よりは、少しばかり卒業式そのものにぐーっとフォーカスした歌詞で、その感情をシンプルに表現した感じかな、と。


ひらひら
舞い上がる
桜の花びらのように
ひらひら
未来へと
ここから歩き出そう
※ 「ひらひら」と擬態語を用い、卒業時の感情と重ね合わせている。曲タイトルにもあるように、この曲の歌詞の中心になってますよね~。

ただ舞うではなく、「舞い上がる」という表現が洒落っ気があって素敵ですよね。

ひらひらと舞い上がる様は、"私"の人生が舞い上がっていく姿であったり・・。

先生を中心に
集まってピースした
青春の1ページを
携帯に保存したよ
※ 携帯に保存した画像・・・現代らしいですね(笑)。私たちの時代は、それがありませんでしたので、普通の写真とか、あるいは、卒業アルバムだったりするわけで、それに置き換えることはできそうですね。

季節が過ぎ
大人になり
微笑みを忘れたら・・・
この写真を
そっと開く度
僕は強くなれるだろう
「大人になり 微笑みを忘れたら・・」。このように、「人生には苦難がつきもの」的な表現は欠かさない感じですね。

まぁ、卒業というものを一面で捉えるのではなく、大人になった先のことを重ね合わせることによって、つまり、紆余曲折が予想される人生の大変さを考える時、「瞬間的な卒業」の意味以上に、「全人生の中の卒業」といった感じに、卒業の意味そのものに"奥行き"をもたらせているといったところかな。

この"逆に振る"フレーズがないと、割と薄っぺらい歌詞になってしまう恐れもあるかも!?。

・・・。

まぁ、卒業写真だとか、当時の集合写真とか、のちのちになってふと紐解いてみたりして、自分の感情に働き掛けるってことはありますよね(笑)。特に、「恋」とシンクロしている場合も多いかも(笑)。

うるうる
切なくて
涙が溢れ止まらない
うるうる
花が散る
桜のせいなのかな
※ ここのひらがなで「うるうる」としている点が、シンプルではありますが、抒情的な歌詞として膨らませている感じですよね。「ひらひら」と「うるうる」→桜の花びら・・・・。

・・・で、涙が"溢れて止まらない"というぐらいにボロボロ泣くわけですが、日本人としては、桜の花びらの色や形、情緒などが、私たちの感情に働き掛けて、感傷的にさせて、涙をさらに大量に(増量)流させるということは間違いなくありますよね。

もし、桜というものがこの国のこの季節になかったら、もう一段、殺風景なものとなっていたでしょうし、たくさんの人が"桜"をモチーフに詩人になろうともしなかったでしょうね~。

誰もが
輝いて
どこかで きっと待ってるよ
願いが
叶うまで
桜の木はまた咲く
※ やはり、「桜の木=(日本の)学校、あるいは、学生生活そのものを象徴するもの」に結局なりますよね。

「誰もが輝いて」ということで、"どんな人も"輝けると、その中に「貴方(貴女)」も含まれるのですよ、と。

「どこかで待ってるよ」・・・お互い、「輝いた未来の私」同士で再会したい感じですな。

「願いが叶うまで」・・・こういう表現好きでしてねぇ(笑)。このブログのタイトルにも使わせて貰ってますが、秋元康先生の真骨頂な表現の一つです。シンプルですが、秋元さん自身も好きな言い回しなのでしょう。

「叶うまで」・・・ってところが、「きっと叶う」、「諦めない」、「やり遂げる」というニュアンスが詰まっている感じがするじゃないですか。あるいは、純粋に自分の未来を信じる、その"ピュアさ"だとか、胸に両手を当てて祈る感じとか。

ひらひら
舞い上がる
桜の花びらのように
ひらひら
未来へと
ここから歩き出そう
※ 「うるうる」な、後ろ髪惹かれる、過去にしがみついていたい切ない気持ちと、それとは反対の「ひらひら」な輝かしい(はず)未来への期待と、全く対照的な感情が同居する日。そのこと自体がまた切ないではないか


■■■■総括■■■■

やはり、秋元さんの「卒業観」あるいは「桜に対する思い」というのは、「桜の木になろう」でもありますように、"人生の起点になるもの"であり、先々で"自分の人生の位置を確認する目印"であったり、あるいは、何かあった時に"自分の原点を見つめ返す目印"であったり、そんなイメージを持たれている感じで。その点で一貫してますよね~。