他生からの情報について
ここのところ
過去生や未来生といった時間軸上に展開している別の人生の情報に想いをはせたりしておりました
そこからくる想いや観念、エネルギーもあったりして
それらもまたすべて
自己を形成する一部でもあり
だからといって
そこまでこだわる必要もないけれど
一つのたましいが
順番に人生を輪廻して経験していく、という素朴なモデルよりは
相互に関連する情報が同じレイヤー上に展開されているような感覚でもあり
過去から現在、未来へ
という流れのセオリーだけではなく
たとえば同時代に同時展開されていたりもするのでしょう
その中の時空の一点に
いまの「わたし」はあって
体験している
壮大な絵の一点を指し示す
「そこ」からまたすべてに繋がっていて
見えないところだらけだけれど
いま見たいものは「そこ」なのだから
すべてである「わたし」が
いまの「わたし」として個別に展開していく、落とし込まれていくそのプロセスの中に
たくさんの生をふまえて
いまを生きている
ただ
いまの愛によって
生きればそれで良いのだと
知っていく
どうも過去生のことはロマンチックに語られがちでもあり
ただ内にあるものの一部ではあるので淡々と語る視点が発動したよ( ¨̮ )
ちなみに同一人物が複数人に分かれて生まれる場合も多いようだよ
分霊の概念がある程度近いかしらね
今生での理由なく
なにか現れてくるものがあったりする(潜在的にはありまくる)
特定のシチュエーションにおける感情や思考とかね
そしていま
それにアプローチすることをよしと観るならば
そうするのがよしでしょう
あなたがより
「いま」の愛によって
ひらかれますように
✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――
絶望をやりきること
一度、絶望すること
きっちりと自我が、執着が、希望が死に切ることは大切です(それが本人の本質からの流れとして必要なら)
その上でやはり
その絶望を超えていくこと
新たに望みが生まれてくるということ
その望みは、それまでと質が変わっているでしょう
不足を土台とした望みはすべて
その根本から崩壊していくでしょう
崩壊するさまを味わい尽くすのも良いですが
なにもなくなってしまったら
もう
そこから生まれるしかないから
そうなるよ
としか言えないのですね
それはもう、本当に
生きたいようにしか
生きられなくなります
純粋に生みたいものだけが
生まれてきます
はじめからそうであったと
知っていきます
原理的には、そう
まあでも実際には
何度も繰り返し繰り返し、腑に落としていき
新たに拡大しながらまた
経験するというパターンが多いのでしょう
それをやりたいのだね
本当にやりたいことだから
繰り返し繰り返し、丁寧に
それを生きているよ
分かっていた筈だったことを改めて見直していくような流れがあって
天命とか使命とか言われるものを見ておりました
天命も使命もないよ、という視点と
天命や使命を自らのものとして生きるのも良いね、という視点と
どちらもあって
どちらにせよ言えるのは
「こうでなければならない」が僅かでも入った瞬間に、それはセンターからズレるということ
たとえばね
神が告げたらそれは天命ですか?
誰かの言ってることと同じことを繰り返しているそれは使命ですか?
という問にどう答えるのか
天即我と
言葉にしたらそれだけだけれども
視点がひっくり返ると
すべてがひっくり返るのです
そして、そこも自意識の誤解が入ると危ういところ
明晰であること
すでに知っているということ
それを本当は望んでいるなら
見ないふりはもうお終いです
そんなことをつらつらと
言葉にして置いておきます


