梅雨モード真っ只中の今日この頃

外を歩いていたら、雨と曇りでグレーがかった街の中に、とてもカラフルな一角がありました♡
もうすぐ七夕

短冊に願い事を書いて笹に結びつけるこの光景。
それぞれの短冊から願いのパワーを感じ、
思わず写真を撮っていました♡
小さな子が書いた願い事の文字を見ながら、
私も小さい頃、幼稚園や小学校で、みんなと好きな色の色紙を選んで書いたことを思い出しました。
あの頃の私も「願う」ってしてたんだなぁ。
ずっと昔、子供の頃の私でも「願う」って、してたんだなぁ。
なんて懐かしく思いながらも、新鮮な視点で小さな頃の私を見ていました。
そして、そんなことを思った直後、
でも、
こんなに願うことが奥深いなんて知らなかったなぁ。
こんなに複雑だなんて知らなかった。
と思いました。
「うんうん、そうだそうだ、最もだ」と自分に頷いていたのですが、
何となく、もやっと違和感が。
なんかそれっておかしくない?
って思ったのです。
子供の頃の私は、純粋に心に浮かんだものをそのまま願い、
「願いました♡はい、おしまい♡」って感じで、何の根拠がなくとも、神様全信頼のもとに願いっぱなしでした。
願いが叶ったのかどうか見張りもしなかったし、
これが叶わなくちゃ絶対に嫌!みたいな執着もなかった。
軽やかにふわっと放って、あとは忘れていた。
今の私からしたら、
むしろ小さい頃の私って願うのめっちゃ上手(笑)って思いました。
私がふと思った、
こんなに願うことが奥深いなんて。
こんなに複雑だなんて。
これに違和感を感じたのは、
まさにこれが、今の私が「願い」に対して思っている事だと気付いたから。
私は、自分で「願い」というものをわざわざ奥深いものにし、複雑にしていました。
小さい頃は、
こうなったらいいな♡
あれが欲しいな♡
ただそう思うだけ。
ただそれだけだった。
それでよかった。
なのに、いつの頃からか、
私はその願いの後に付属物をくっつけていた。
「でもな〜、」「けどさ〜、」って。
だから、純粋に願いを願えなくなっていたし、叶えられなくなっていった。
そして、さらに
「絶対叶える!」と執着していて、
頭でその願い方、叶え方の構造を理解すればいいんだと思うように。
知らず知らずのうちに、願う事には、知識とスキルが必要だと思うようになっていた。
そんなことを、
こんなに願うことが奥深いなんて。
こんなに複雑だなんて。
という、ぼやきで気づけました。(笑)
本当の私は知っている。
「願う」というのは、自分の本当の願いを純粋に願うだけ、ということを。
わざわざ奥深いものにしなくても、
わざわざ複雑にしなくても、
簡単に、軽やかに、願っていいことを♡
この記事↓のこともそうだったように、
小さい頃の私はいろいろなことを教えてくれます♡
小さな私は、私とって生き方の大先生です。笑