アレルギーあってもなくても自助が大切。 | オッチョコかあちゃん研究所 〜食物アレルギーっ子と楽しい生活〜

オッチョコかあちゃん研究所 〜食物アレルギーっ子と楽しい生活〜

果物アレルギー長女と卵ナッツアレルギー長男の2人が一緒に美味しく食べられるオヤツとご飯を求める研究日誌。時々趣味とか仕事の話とかマイペースで更新します。


東日本大地震からもう10年まだ10年。
14時46分。
職場で一律の黙祷はありませんでしたが、同僚達数名と黙祷しました。

あの日の私は病棟勤務をしてました。

検温真っ最中。
私は人工呼吸器と点滴がシャンデリア状態の
重症患者を受け持っていて
その部屋にいた時に地震に遭いました。

私は点滴が倒れて患者さんの上に落ちないよう
点滴棒を3本支えていましたが
立っていられないくらいの揺れで
全く動けなかったです。

それから大部屋に行き
窓際にいる患者さんたちを廊下側に移動して
(窓ガラスが割れたら危険なので)

寝たきりの方のベッドも
とりあえず廊下に移動。

その後落ち着いたので検温に戻りましたが…
(私は落ち着きすぎていると言われたけど)
家族と連絡がつかないと
泣いてしまうスタッフもいたし
電源が一瞬落ちた事の対応とかで
大変でした。
(オンボロ病院が潰れなかった事だけには
ホッとしましたが。)

ちなみにゆーゆは保育園で心配でしたが
今電話したところで
保育園に電話殺到しているだろうし
私もそこそこ大変なのに先生も大変だろうと
(何故か冷静な私)
黙々と仕事をこなし、
パートなので待機はしなくていいと言われ
定時に上がらせてもらいました。

帰り道、これはガソリンを入れないと
明日から大変かもしれないと満タンにして
それから保育園に行きました。


当時、保育園は民間委託の話が出ていたので
ボロボロの建物のままで
(委託したら民間が立て直すから自治体が
修繕をしてくれなかったのです)
建物が崩れたら困るからと
子供達と先生が園庭の真ん中で
シートを敷いておしくらまんじゅうのように
固まって暖をとりながら待っていて
切なかったです。

そして。職場が自宅から近い
というのはありがたいなと思ったものです。

当時の思い出としてはスーパーの棚からカップ麺とパンがなくなった事。
(米は残ってるんですよね…。)
もともと備蓄好きなので心配はありませんでしたがスーパーの品薄加減には驚いたものです。関東は買い占めが起きて品薄だったんですよね…。
(コロナの時も学ばないなと思った次第)


当時はゆーゆだけだったので
アレルギーの心配などしてませんでしたが
たっつんが産まれてから更に
防災備蓄に気をつけるようになりました。


特に水と米は備蓄必須。
他にも食べ物は缶詰をストック。
時々缶詰は食べて回転させてます。
何はなくても米と水があれば何とかなる。
キャンプ用品もちびちび集めているので
とりあえず10日近くはどうにかできるはず…。


先日患者会のオンラインおしゃべり会では
千葉県を襲った台風19号の時の話も。

みなさん。
事前避難する場合、
避難所へ着の身着のまま行くのでは
ダメなの知ってました⁇

余程の緊急事態なら仕方ないけど
台風が来る前に避難する場合、

最低限の食べ物、飲み物、スリッパ、敷物は
持参すべし‼︎
なのだそうです。(知らなかった‼︎)

良くてブルーシートと毛布1枚(ひと家族)
は貸してもらえる所もあるらしいけど。
『何にもないと思って行け‼︎』らしい。

特に食べ物…

お子さんがアレルギーっ子で
食べ物を普通に持参した方が
「自分達だけで食事独り占めしてる」
「みんなと分け合うべきだ」
と言われたり、視線も気になったそう。

おいおい‼︎
手ぶらで来たくせにって思いますよね。

食べ物を持っている事を悟られないように
隠れて食べた方がいいとアドバイスでした。
特に食物アレルギーっ子は
人にあげる事はできても
もらう事ができないのですから。


個人的に最近思うのが
アルファ米美味しいんだけど
アルファ米を戻すために水使うの
もったいなくない⁇です。

まぁ、
何日も避難生活が続くならあった方がいい。

ただ、緊急持ち出し袋に入れるなら
お水は飲用としたいなぁと思ったので
去年からアルファ米をやめて
市販の白粥を持ち出し袋に入れました。
我が家は半年ごとに袋を入れ替えてるので
防災食じゃない普通の白粥。


それから車にも飲み物と食べ物を。
こちらは食べつつ回転させてます(笑)

それから車と持ち出し袋には
入れています。

車で動けなくなるかもしれませんからねー。


防災備蓄を見直す機会です。
アレルギーっ子は自助が大切!