年齢とか、世代とかの問題かいな?
電車に乗る、となりのオバチャン達が話している。
「ほんまに、今の若い子は怖いなぁ~。あの川崎の事件、
ニュース見るたびに思うわぁ~。目茶苦茶やなぁ。」
たしかに、この国どないなってんねんやろって思う。
けど、それって年齢、世代とは関係ないのと違うのん?
若い世代はきっと思てるでぇ。
「最近の高齢者は無茶苦茶するよなぁ! 青酸化合物で
7人も8人も殺すって、何なん? ワケわからんし!
しかも、全部、遺産目当てなんやろ? カネの亡者やなぁ!」
この国に巣くう病理やろ。別に世代とは関係ないで、きっと。
「ほんまに、今の若い子は怖いなぁ~。あの川崎の事件、
ニュース見るたびに思うわぁ~。目茶苦茶やなぁ。」
たしかに、この国どないなってんねんやろって思う。
けど、それって年齢、世代とは関係ないのと違うのん?
若い世代はきっと思てるでぇ。
「最近の高齢者は無茶苦茶するよなぁ! 青酸化合物で
7人も8人も殺すって、何なん? ワケわからんし!
しかも、全部、遺産目当てなんやろ? カネの亡者やなぁ!」
この国に巣くう病理やろ。別に世代とは関係ないで、きっと。
ひねくれたオッサンですが、、、なにか?
素直で、謙虚で、プラス思考。成長する人の3要素なんて言われている。
そもそもは船井総研の船井社長が言うた言葉らしいが、どんどん拡散した。
たしかに、その通りだとは思う。医療法人の理事長として人を雇う側に
居たときは、この3要素のことを重要視していた。
ふてぶてしくて、傲慢で、マイナス思考の人間を好んで屋う企業も少ないはずだ。
けども、、、、
今の世の中、「競争」することが当たり前となり、競争が前提の人生においては
「勝つ」ことが「善」で「負ける」ことは「悪」だという雰囲気が出来上がってしまった。
あくまで雰囲気である。負けた人間を射殺する法律もなければ、投獄されることもない。
制度でも、ルールでも、モラルでも何でもない。雰囲気である。
「勝つ」人間が登場すると、自動的に同数またはそれ以上の「負ける」人間が
登場することも知っている。「勝つ」ことは尊いことなのかもしれない、百歩
譲って。しかし、かならず「負ける」こととは表裏一体であり、負けが無い勝ちは
ないのだ。ということは、本来「勝ち」が善で「負け」が悪だというのも間違い
なのだ。しかし、雰囲気は出来上がった。
今、人は「勝つ」ための努力を払うことを当たり前だと思うようになった。
「がんばりなさい」「一生懸命努力しなさい」が親の口グセになった節がある。
子どもの頃から「がんばること」「勝つために努力すること」を体に染み込ませた。
オトナになっても人間はたしかに成長するし。
だから、成長したいと願うオトナが増える。
成長することが絶対的な価値を獲得し、成功するための哲学
(実はエセ哲学なのだが)は生涯学習の王様のような地位を獲得した。
すると、ちまたには素直で謙虚でプラス思考の人が溢れ出した。みんな成長したいから。
みんな勝ちたいから。「勝ち組に入る」という言葉は、自分の存在価値を肯定されるか、
否定されるかの瀬戸際のような意味合いを持ち始めた。「負け組」に入るということは、
ギロチンに掛けられることと同義のような錯覚に怯え始めた。
FBやブログ、その他のSNSと呼ばれるようなサイトには、素直で、謙虚で、プラス思考
の権化のような人々が登場する。そして、美しい、澄んだ、前向きで、明日への活力が
湧く様な言葉が並ぶ。雲一つない空のような清々しい書き込みが溢れる。
素敵なことだ。素晴らしいことだと思う。そのような前向きにモノゴトを見つめている
人々の存在こそ明日の日本と世界を幸せな国家、世界にする原動力だと思う。
決して、彼らを否定するつもりはない。なにせ、素直で謙虚でプラス思考を
推奨していた張本人なのだから。
しかし今、私は敢えて「このオッサン、どんだけ文句言いなんや!」と
呼ばれるような、ある意味、ふてくされたモノの見方で、斜に構えた視点から
しか見えないような部分を、シニカルに、ネガティブワード連発で表現しようと
思う。
素直で謙虚でプラス思考で、「口から出す言葉は、常にポジティブワードで
なければならない」と思っている人達を辟易とさせるような文章になるだろうが、
それでも書きたいと強く思うようになった。
だから、書く。 けど、これも間違いなく真実だ。
「勝つこと」は素晴らしい。しかし、「負け」もしくは「勝てない」もしくは
「勝ちにこだわらない」もしくは「勝とうとしない」ことに美学を見いだす人も
いる。そして、人間の幸せは決して「勝つ」ことには裏打ちされていない。
今の世の中で言うところの「正義」は、どうも、「白人」「西洋」「キリスト教」
「資本主義」「市場経済」「論理思考」などのベースの上に立脚している「うたかたの夢」
に過ぎないと感じるようになった。
とにかく書く。
そもそもは船井総研の船井社長が言うた言葉らしいが、どんどん拡散した。
たしかに、その通りだとは思う。医療法人の理事長として人を雇う側に
居たときは、この3要素のことを重要視していた。
ふてぶてしくて、傲慢で、マイナス思考の人間を好んで屋う企業も少ないはずだ。
けども、、、、
今の世の中、「競争」することが当たり前となり、競争が前提の人生においては
「勝つ」ことが「善」で「負ける」ことは「悪」だという雰囲気が出来上がってしまった。
あくまで雰囲気である。負けた人間を射殺する法律もなければ、投獄されることもない。
制度でも、ルールでも、モラルでも何でもない。雰囲気である。
「勝つ」人間が登場すると、自動的に同数またはそれ以上の「負ける」人間が
登場することも知っている。「勝つ」ことは尊いことなのかもしれない、百歩
譲って。しかし、かならず「負ける」こととは表裏一体であり、負けが無い勝ちは
ないのだ。ということは、本来「勝ち」が善で「負け」が悪だというのも間違い
なのだ。しかし、雰囲気は出来上がった。
今、人は「勝つ」ための努力を払うことを当たり前だと思うようになった。
「がんばりなさい」「一生懸命努力しなさい」が親の口グセになった節がある。
子どもの頃から「がんばること」「勝つために努力すること」を体に染み込ませた。
オトナになっても人間はたしかに成長するし。
だから、成長したいと願うオトナが増える。
成長することが絶対的な価値を獲得し、成功するための哲学
(実はエセ哲学なのだが)は生涯学習の王様のような地位を獲得した。
すると、ちまたには素直で謙虚でプラス思考の人が溢れ出した。みんな成長したいから。
みんな勝ちたいから。「勝ち組に入る」という言葉は、自分の存在価値を肯定されるか、
否定されるかの瀬戸際のような意味合いを持ち始めた。「負け組」に入るということは、
ギロチンに掛けられることと同義のような錯覚に怯え始めた。
FBやブログ、その他のSNSと呼ばれるようなサイトには、素直で、謙虚で、プラス思考
の権化のような人々が登場する。そして、美しい、澄んだ、前向きで、明日への活力が
湧く様な言葉が並ぶ。雲一つない空のような清々しい書き込みが溢れる。
素敵なことだ。素晴らしいことだと思う。そのような前向きにモノゴトを見つめている
人々の存在こそ明日の日本と世界を幸せな国家、世界にする原動力だと思う。
決して、彼らを否定するつもりはない。なにせ、素直で謙虚でプラス思考を
推奨していた張本人なのだから。
しかし今、私は敢えて「このオッサン、どんだけ文句言いなんや!」と
呼ばれるような、ある意味、ふてくされたモノの見方で、斜に構えた視点から
しか見えないような部分を、シニカルに、ネガティブワード連発で表現しようと
思う。
素直で謙虚でプラス思考で、「口から出す言葉は、常にポジティブワードで
なければならない」と思っている人達を辟易とさせるような文章になるだろうが、
それでも書きたいと強く思うようになった。
だから、書く。 けど、これも間違いなく真実だ。
「勝つこと」は素晴らしい。しかし、「負け」もしくは「勝てない」もしくは
「勝ちにこだわらない」もしくは「勝とうとしない」ことに美学を見いだす人も
いる。そして、人間の幸せは決して「勝つ」ことには裏打ちされていない。
今の世の中で言うところの「正義」は、どうも、「白人」「西洋」「キリスト教」
「資本主義」「市場経済」「論理思考」などのベースの上に立脚している「うたかたの夢」
に過ぎないと感じるようになった。
とにかく書く。
さて、いよいよ始動します!!
2015年になりました。
えらい遅いですが、みなさん今年もよろしくお願いします。
1月1日付けで、医療法人A&D理事長を退任しました。
新しい理事長には小室匡弘先生が就任されました。
今後も、勤務医として文の里歯科クリニック、西田辺歯科クリニックには
顔を出しますが、もう理事長ではありません。
これからは、歯科医師としての仕事は、どんどん減らして行き、
新しいことに挑戦しようと思います。
具体的に何を仕事とするのかも、今のところ、白紙の状態です。
今年は人生の「踊り場」と位置づけています。階段の途中にある
あの「踊り場」です。ちょっと、息をつくのも良し、今まで登って来た
階段を振り返るのも良し、これから登ろうとする階段を眺めるも良し、
ちょっと違う階段へ方向転換するも良し、、、、
色んな所へ行こうと思います。色んなものを見ようと思います。
色んな空気を吸いたいと思います。
皆さんにセミナー、研修と云うカタチで吸収した何かをお伝えする日も
そんなに遠くはなさそうです。
新春から、テレビを見ていても「これからの新しい秩序」であったり、
「これまでの秩序の崩壊」という言葉をよく耳にします。
「民主主義」「資本主義」「自由主義」という価値観の根底にあった
モノがどうも、機能不全に陥る寸前の状態です。
日本人ならではの発想が、新しい世界秩序になることも可能だと感じています。
夏以降、必ず発信します。新しい価値観を言語化したものを。
えらい遅いですが、みなさん今年もよろしくお願いします。
1月1日付けで、医療法人A&D理事長を退任しました。
新しい理事長には小室匡弘先生が就任されました。
今後も、勤務医として文の里歯科クリニック、西田辺歯科クリニックには
顔を出しますが、もう理事長ではありません。
これからは、歯科医師としての仕事は、どんどん減らして行き、
新しいことに挑戦しようと思います。
具体的に何を仕事とするのかも、今のところ、白紙の状態です。
今年は人生の「踊り場」と位置づけています。階段の途中にある
あの「踊り場」です。ちょっと、息をつくのも良し、今まで登って来た
階段を振り返るのも良し、これから登ろうとする階段を眺めるも良し、
ちょっと違う階段へ方向転換するも良し、、、、
色んな所へ行こうと思います。色んなものを見ようと思います。
色んな空気を吸いたいと思います。
皆さんにセミナー、研修と云うカタチで吸収した何かをお伝えする日も
そんなに遠くはなさそうです。
新春から、テレビを見ていても「これからの新しい秩序」であったり、
「これまでの秩序の崩壊」という言葉をよく耳にします。
「民主主義」「資本主義」「自由主義」という価値観の根底にあった
モノがどうも、機能不全に陥る寸前の状態です。
日本人ならではの発想が、新しい世界秩序になることも可能だと感じています。
夏以降、必ず発信します。新しい価値観を言語化したものを。
「商売」という言葉を考える
「アイツは、何でも商売にするヤツだ。」
「アイツは商売っ気の無いヤツだ。」
なんて使い方をするときの「商売」というのは、もっぱら
「カネ」のやり取りに着目しているのだなぁ。
ずばりこのときの「商売」という言葉の意味は
「カネ儲け」だろう。
大辞林で「商売」を引くと、、、
① 商品を仕入れて、売ること。あきない。「商売して暮らしている。」
② 課せられている任務。つとめ。また、職業。「本を読むのも商売のうちだ。」
「商売がえ」
③芸者などの接客業。水商売。
と、これも全くよく分からん解説が載っているのだが、まあ①には、
「商品を仕入れて売ること」と書いてあるわけで、本来の「商売」という
のは、「カネ」を稼ぐことが根本的な目的ではなかったはずだ。
ところが、人間と云うのは欲深い生き物だ。結局のところ、「カネ」
という麻薬に心を奪われて、自分が目的を履き違えていることに気づかずに
突っ走っていることがある。
誰でもそのトラップに引っ掛かる危険がある。引っ掛かっている人は
自分が今、カネという麻薬に毒されていることに気づかない。
もしくは死ぬまで、「カネ」が人生の王様だと勘違いしたままかも知れない。
棺桶に持って行けるものがあるとすれば、それは間違いなくカネではなく、
「思い出」くらいなのに。
まあなんと「カネ儲け」を助長する人の多いことか。カネ儲けを
アピールする人の多いことか。今自分がどれだけの財を成したか、という
ことをひけらかす人の多いことか。
残念だ。
見ていて、聞いていて不愉快になる。
ご退散願いたい。
「アイツは商売っ気の無いヤツだ。」
なんて使い方をするときの「商売」というのは、もっぱら
「カネ」のやり取りに着目しているのだなぁ。
ずばりこのときの「商売」という言葉の意味は
「カネ儲け」だろう。
大辞林で「商売」を引くと、、、
① 商品を仕入れて、売ること。あきない。「商売して暮らしている。」
② 課せられている任務。つとめ。また、職業。「本を読むのも商売のうちだ。」
「商売がえ」
③芸者などの接客業。水商売。
と、これも全くよく分からん解説が載っているのだが、まあ①には、
「商品を仕入れて売ること」と書いてあるわけで、本来の「商売」という
のは、「カネ」を稼ぐことが根本的な目的ではなかったはずだ。
ところが、人間と云うのは欲深い生き物だ。結局のところ、「カネ」
という麻薬に心を奪われて、自分が目的を履き違えていることに気づかずに
突っ走っていることがある。
誰でもそのトラップに引っ掛かる危険がある。引っ掛かっている人は
自分が今、カネという麻薬に毒されていることに気づかない。
もしくは死ぬまで、「カネ」が人生の王様だと勘違いしたままかも知れない。
棺桶に持って行けるものがあるとすれば、それは間違いなくカネではなく、
「思い出」くらいなのに。
まあなんと「カネ儲け」を助長する人の多いことか。カネ儲けを
アピールする人の多いことか。今自分がどれだけの財を成したか、という
ことをひけらかす人の多いことか。
残念だ。
見ていて、聞いていて不愉快になる。
ご退散願いたい。
「そこまで言わないとダメなんですか!?」
よく組織でリーダーをしているという人の話を聞いていると
「部下に注意をする必要があるのは、わかる。自分も、
上司からよく叱られたし、注意を受けた。ダメ出しもされた。
しかし、『こんなことまで、いちいち言わないといけないのか?』
と唖然とすることがある。」というような話になることがある。
結論から言うと、「そこまで言わんとアカン」のです。
そもそも、「そこ」は誰が決めたんですか?
おそらく最初は、イヤな顔されることもあるでしょう。
みんながみんな、素直で謙虚でプラス思考の持ち主では
ありませ。叱られることに免疫のない人もいます。やっぱり人間ですから、
顔に出てしまうこともあるでしょう。
そんなお兄ちゃん、お姉ちゃんにも「そこまで言わんとアカン」のです。
中には、ものすごい良いリアクションの人もいます。そんな人に叱った
後は、こっちが清々しくなるかも知れません。そんなときには、
「そこまで言わんとアカンのか!」と感じていない自分がいるんです。
だから、そんな兄ちゃんと、お姉ちゃんばかりやったら、そもそも
「そこまで言わんとアカンのでしょうか!?」なんて疑問や鬱憤も溜らん
のですわ。
つまり、貴方は気分が良い相手になら、今までも「そこまで」言うてたんです。
相手のリアクションが悪くなった途端、これまで普通に注意してたことも
「そこまで言わせるのか!」という感覚に変わったのです。
けど、よく考えると、そんなお兄ちゃんやお姉ちゃんにこそ、
「そこまで言う」必要があるわけです。
だから、
「そこまで言わんとアカンのでしょうか!?」
アカンのです。
「部下に注意をする必要があるのは、わかる。自分も、
上司からよく叱られたし、注意を受けた。ダメ出しもされた。
しかし、『こんなことまで、いちいち言わないといけないのか?』
と唖然とすることがある。」というような話になることがある。
結論から言うと、「そこまで言わんとアカン」のです。
そもそも、「そこ」は誰が決めたんですか?
おそらく最初は、イヤな顔されることもあるでしょう。
みんながみんな、素直で謙虚でプラス思考の持ち主では
ありませ。叱られることに免疫のない人もいます。やっぱり人間ですから、
顔に出てしまうこともあるでしょう。
そんなお兄ちゃん、お姉ちゃんにも「そこまで言わんとアカン」のです。
中には、ものすごい良いリアクションの人もいます。そんな人に叱った
後は、こっちが清々しくなるかも知れません。そんなときには、
「そこまで言わんとアカンのか!」と感じていない自分がいるんです。
だから、そんな兄ちゃんと、お姉ちゃんばかりやったら、そもそも
「そこまで言わんとアカンのでしょうか!?」なんて疑問や鬱憤も溜らん
のですわ。
つまり、貴方は気分が良い相手になら、今までも「そこまで」言うてたんです。
相手のリアクションが悪くなった途端、これまで普通に注意してたことも
「そこまで言わせるのか!」という感覚に変わったのです。
けど、よく考えると、そんなお兄ちゃんやお姉ちゃんにこそ、
「そこまで言う」必要があるわけです。
だから、
「そこまで言わんとアカンのでしょうか!?」
アカンのです。