未曾有の豪雨 シナリオライターが見つめる“ふるさと”の今 | KARA好き...そしてこれからも

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2024年9月20日から約3日間にわたって奥能登地域に降り続いた記録的な豪雨。

 

21日には行き場を失った水が河川の氾濫を引き起こした。また地震で緩んでいた山林では土石流や土砂崩れを引き起こしました。

 

 
1月1日の地震で崩れたままの家屋が土砂で埋め尽くされています。
 

 

昨日までここにあったはずの川も道路も見えないほどの土石流に覆われた集落。

川底から4mほどの土砂が堆積し、今はその上を水が流れている。

 

両親が倉庫替わりに使っていた蔵も埋まってます。

農機具や仮設に入りきれないものがありましたが全滅ですが住むところがあるだけマシかなと。

 

 

 

 

個人的にも町野情報を共有しているシナリオライターさんの連載記事が更新されました

 

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「なかったことにはしたくない」未曾有の豪雨 石川県輪島市町野町出身のシナリオライターが見つめる“ふるさと”の今

 

石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、1月の能登半島地震発生以降、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、ご自身の実家も被災しながら、発災から一日も休むことなく、X(旧・Twitter)で発信を続けています。

 

能登半島地震発生からもうすぐ10か月。残暑厳しく、大雨がたびたび降る9月、各地公費解体が加速しています。ふるさとの今を見つめる藤本さんによる連載、第6回目として準備を進めていた本記事ですが、公開を前にした9/21、未曾有の豪雨災害が能登地方に降りかかりました。

 

復旧・復興のために尽力してきた人たちの仕事や、たくさんのご支援をなかったことにはしたくないという強い思いを受けて、今回は特別編として、公開します。

 

輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。

 

私のふるさと、輪島市町野町は、輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。

 

 

地域に寄り添う道の復旧

町野町では、これまでの記事でご紹介させていただいた県道を中心に、道路の復旧が、引き続き進められています。

 

金蔵地区の5か所ある法面崩壊箇所のうち、1か所で防護壁の設置が完了しました。2か所目の防護壁設置作業も骨組みが見られるようになりました。

 

左:輪島市町野町金蔵地区の防護壁 右設置前 提供:能登の有志の方

 

 

1月1日の発災時に起きた大規模崩落により、町野町への道を寸断した県道6号の北円山~真久間でも、金蔵同様に防護壁が設置され、崩壊した法面の対策工事が進められています。

 

北円山~真久の工事の様子(9/2) 提供:町野町の有志の方

 

また、元々道幅が狭いカーブの部分と崩落箇所が重なったこともあってか、道路の拡張工事と思われる工事が入り、沿道の木々が伐採されるなど、安全な通行のための工夫が凝らされていることがうかがえます。

 

北円山~真久の工事の様子 提供:町野町の有志の方 

 

国道249号と、この県道6号の大規模崩落により、町野町が孤立集落となった経緯もあり、この道が塞がれることなく安全に通れるようになるということは、町野町や近隣の珠洲市真浦地区にとって、非常に大きな意味があります。

 

なお、大規模崩落により通行止めが続いている国道249号の町野町大川~輪島市渋田間、および、珠洲市真浦地区の逢坂トンネルについては、令和6年度中の復旧が掲げられており、復旧作業が行われています。

 

写真からは、わかりづらいかもしれませんが、道らしいものが見えてきていることが覗えます。

 

輪島市町野町大川~渋田の復旧工事 9/18 提供:能登の有志の方

 

 

また、これまで県道と国道が中心だった道の復旧にも、変化がありました。県道6号と町野町第2団地を結ぶ「あじさいロード」と呼ばれる農道の舗装が、8月下旬に実施されたのです。

 

 

県道6号と町野町第2団地を結ぶ「あじさいロード」が舗装される 提供:町野町の有志の方

 

 

舗装が行われたのは、仮設住宅の住民に戸別に行われた困りごと相談がきっかけでした。

 

舗装前は、仮復旧のままで穴が多く、何度もブレーキを踏まなければならない状況でしたが、舗装して綺麗にしていただいたおかげで、安心して走れるようになりました。

 

9月1日の記事でお伝えさせていただいたように、市道や私道はまだまだ走るのに困難な場所、場合によっては車が壊れることを覚悟しなければならない場所が多くありますが、地域の方に寄り添った復旧が少しずつ行われおります。

 

公費解体の加速

7月に町野町でも開始された公費解体ですが、9月に入り、集落のあちこちで解体作業が進められています。住家のみならず、店舗などの解体も進められており、町の景色もはっきりと変わってきました。

 

町野町の解体作業 提供:町野町の有志の方

 

 

倒壊した家屋が連なっていた町野町も、至るところで、解体と撤去が進み、更地となる場所が増えてきています。

 

 

町野町の解体後の様子 提供:町野町の有志の方

 

 

変わる町の風景

公費解体が進むなか、6月の記事でご紹介させていただいた「広江歯科医院」も、解体がはじまりました。

 

解体中の広江歯科医院 提供:広江歯科医院

 

 

町野町鈴屋のこの場所で開業して42年、地域に親しまれていた明るいオレンジ色の屋根は、もう見ることができません。町野町の中心部にある五里分橋にさしかかると、裏山の緑に映えて美しかったことを昨日のことのように思い出します。

 

広江院長は、発災時のことをこのように振り返ります。

 

「尋常ではない揺れから逃れ、家を出たところで母屋が倒壊していることに気がついた。激しい余震が続く中、自宅から少し離れた高台にある診療所が建っていることだけが救いだった。オレンジ色の屋根が変わらずにそこにあることにホッとした」

 

しかし、実際には土台が崩れて窓や戸が外に飛び出し、院内の床は抜け、柱が折れる被害によって、のちに全壊の判定を受け、公費解体の対象となりました。

 

鈴屋地区の高台、裏山を背にした立地は、町野町のランドマーク的な場所でしたが、皮肉にも、その裏山が崩れており、同じ場所での再建は断念せざるを得ませんでした。

それでも、広江院長は、町野町での再建の道を模索し続けています。

 

花と緑の支援

8月下旬、新学期を前に「はるかのひまわり」が見頃を迎えました。

 

阪神淡路大震災の復興シンボルとして知られている「はるかのひまわり」は、震災で亡くなられたはるかさんの自宅跡に咲いたひまわりにちなんで名付けられました。

 

復興の願いと命の尊さを伝え続ける「はるかのひまわり」は、発災間もない頃から町野町での支援活動を続けてくださっている震災復興子ども支援の佐渡さんよりご紹介をいただき、種を取り寄せていただいたものです。

 

6月に町野小学校、町野保育園の児童園児のみなさまが種まきを行い、地域の有志の方と育てていたひまわりは、すくすくと育ち、新学期を迎えた子どもたちを優しく見守っているようでした。

 

町野町で咲く「はるかのひまわり」8/30 提供:町野町の有志の方

 

 

また、夏休みに入る前に町野町第1団地に設置された「感謝のグリーンカーテン」も伸びやかに育ち、美しい緑の葉を茂らせて涼を届けてくれています。

 

こちらのグリーンカーテンに使われているへちまの種は、埼玉県熊谷市熊谷東中学校さんからいただいたもので東陽中学校の生徒のみなさんが苦戦しながらも準備を進め、設置にこぎ着けたものです。

 

 

感謝のグリーンカーテン① 提供:町野町の有志の方

 

感謝のグリーンカーテン② 提供:町野町の有志の方

 

 

設置場所には、東陽中学校の方からの手書きのメッセージが添えられ、町野町第1団地在住の方が水やりを行いながら、大切に育ててくださいました。

 

農業や家庭菜園を行う方が多く、仮設住宅でもプランター菜園を取り入れるなど、植物や花と触れ合ってきた町野町のみなさまが、ほっと一息つける景色になったことと思います。

 

 

復旧が加速しはじめた矢先の豪雨…「能登を忘れないで」

発災から9ヶ月が経ちますが、町野町では復旧が加速しはじめています。

道路が復旧し、孤立集落となる心配が減る一方で、長期避難を余儀なくされている方々、家屋の修繕や建て直しの目処が立たず、再建のための模索を続けている方々もたくさんいらっしゃいます。

そこに今回の豪雨被害があり、状況はさらに厳しさを増しました。

 

 

町野町は、1956年に輪島市と合併するまでは単独の町であり、「町」と言っても地区ごとに被害状況が異なります。

 

町野町粟蔵地区は、大規模浸水被害。
寺地、曽々木、若桑(若山)地区は、土石流。
桶戸地区は、土石流と浸水被害(床上・床下)。
広江地区は、浸水(床上・床下)。
鈴屋、川西、麦生野、真久、北円山地区は、土砂崩れ。
金蔵地区は、土砂崩れ・ため池が決壊。
これらは被害の全部ではなく一部です。全容はまだ明らかになっていません。

 

 

 

この連載でも取り上げてきた「もとやスーパー」さんは、店の中に水が流れ込み、建物や設備など大きな被害を受けました。

 

もとやスーパー店内 水が流れ込み、大きな被害 提供:町野町の有志の方

 

 

これから復興に向かうには、努力だけでは立ち上がれない、たくさんの困難があります。みなさまが関心を寄せ続けてくださり、能登を忘れないでいていだだけることを、切に願うばかりです。

 

MRO北陸放送では、被災地の声を集め続ける藤本さんが見つめる被災地の現状をNEWS DIGで、毎月掲載します。

 

藤本透
シナリオライター。アプリゲーム『ノラネコと恋の錬金術』メインシナリオライター。『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』、『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2』のシナリオ執筆に携わるほか、様々なジャンルでの執筆を手がける。石川県輪島市町野町出身で、石川県を舞台に描かれたアニメ「花咲くいろは」の小説版を執筆。2024年1月1日の能登半島地震発生以降、SNSを通じてふるさとの情報を日々きめ細かく発信している。

 

 

 

 

 

地震のあともそうでしたし今回もそうだった。

 

「なんで大災害の後ってこんなに空が綺麗なんだろう」

 

昼間の青空も綺麗ですが星が降り注ぐくらいたくさん見える夜空も綺麗なんです。

 

綺麗だと思いながら見上げたのは自分だけではないだろう。

 

今回の水害でまた1月に逆戻りしたような感覚と聞いた。

 

だいぶマシになってきたところだったのでショックと落胆。。。

 

「頑張って」とはとてもじゃないが言えない。

 

かける言葉が見つからない。

 

でも、どんな状況でも時は過ぎ、また明日が来る。

 

歩いていくしかない。

 

地震からの復旧も進みもう毎週じゃなくてもいいかな?と思っていた休日の町野行きでしたが、両親が心配なのでまたこの週末も行ってきます!

 

 

 

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(お借りしました)