令和6年1月1日 の発災以降何も変わらない能登の景色
崩れてしまったり、傾いてしまった家屋
土砂崩れによる片側交互通行箇所やひび割れたり崩落した道路(応急復旧済み)
50cmほどもある橋の段差(砕石により段差解消済み)
あらゆる場所での陥没に地割れ、反対に隆起箇所もあり
そんな日常じゃない景色も雪化粧をすると見えなくなる
でも路面が見えないと慎重に走らないと危険です(>_<)
地震以降twitterで情報収集するうちに
同じ地元出身の方何人かと繋がることができました。
発信力のある方もいます。
その一人である情報共有させてもらっている方が
メディアに現状をかたってくださいました。
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メディアに掲載されない被災地「生活していきたくても…厳しい故郷の“現実”」リアルに発信し続ける 輪島市町野町出身のシナリオライター・藤本透さん
![メディアに掲載されない被災地「生活していきたくても…厳しい故郷の“現実”」リアルに発信し続ける 輪島市町野町出身のシナリオライター・藤本透さん | 石川県のニュース|MRO北陸放送](https://newsdig.tbs.co.jp/mwimgs/6/d/-/img_6dd1f192f3a0d2c213ea384a39dadb1c229196.jpg)
能登半島地震発生から3か月。石川県輪島市出身で東京在住のシナリオライター・藤本透さんの地元、輪島市町野町は実家をはじめとした多くの建物が全壊するという甚大な被害を受けました。復旧や復興を伝えるニュースが増える中で、被災地にはまだまだ支援が必要な地域が多く残されています。メディアにはなかなか掲載されない現地の情報を細かく発信し続けている藤本さんに話を聞きました。
今回の地震で輪島市では、1万4806棟の住宅に被害が出ました。(3/26現在) 藤本さんの地元である町野町は、珠洲市との境にあり、932世帯、約1900人が住んでいましたが 、震度6強で多くの住宅が倒壊 、今も厳しい避難生活が続いています。
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藤本さんの実家は、2007年の能登半島地震で半壊した時に新規に建てたリビング部分を除き、今回の地震で失われてしまいました。また、倉庫には、能登の祭りには、欠かせない「キリコ」がありましたが、倒壊に巻き込まれてしまいました。
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地震発生から3か月~輪島市町野町の今~
町野町から市中心部へ向かう際の主要ルートである国道249号は、大規模な崩落によって現在も寸断されたままです。隣接する珠洲市へ抜ける道は、トンネルを巻き込んだ大規模崩落で通行止め、能登町と繋がる県道6号も、かろうじて片側交互通行が出来る程度です。
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このため市街地への買い出しに通常の倍以上の時間がかかります。輪島市内の多くの店舗は、夕方5時、6時までの時短営業 のため、仕事の事情などで町野町に残って生活する人々は、買い出しをするにしても今も大変な不便を強いられています。住宅の倒壊や道路の崩壊で車が出せないという人もいます。
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地震発生直後は、携帯電話で連絡がつかず1月1日の夜遅くに家族から公衆電話で連絡があり、父と母、帰省していた妹の無事を確認。ようやく家族と会えたのは、1か月近くたった1月28日でした。
藤本透さんインタビュー
「発災直前、たまたまつけていたテレビに緊急地震速報が流れ、『少し大きいな』と感じました。すぐに家族に連絡し、『大丈夫だよ』と返信が来てホッとしたのも束の間、2回目の地震が起こりました。珠洲市のライブカメラの映像は、現実とは思えないほどの悪夢のような状況でした。家が倒壊し、電柱が倒れ、津波が襲ってきていました。先ほどまで返信があった家族からも応答はなく、最悪の事態を想像したあの瞬間は、今でも夢に見ます。2007年の教訓からSMSを使って連絡したものの返事もなく、無事を祈ることしかできませんでした。憔悴しきった妹が23時に連絡をしてくれて、怪我もなく無事であることが知れて、本当に有り難かったです。」
隣人から「家、潰れとる!」…発生当時の状況をまとめる
地震発生後、藤本さんは、X(旧Twitter)で、毎日、県・市のホームページの情報を抜粋し発信しているほか、SNSを通じてつながった地元の方々と連絡を取り合い、町野町の状況を細かく発信しはじめました。旧知の建設会社やスーパー、豆腐店… 地元の人にしかわからない情報は、県外に暮らす人たちにとって、とても有益な情報でした。そして、地震当時の家族の話聞き取り、記事としてまとめました。
家族からの聞き取りの一部より
「家中のものが落ちて飛び出して散乱した。 父が立ち上がろうとするのを押さえつけ、とにかく揺れが収まるのを待った。揺れが収まった後は、このまま家にいてはいけないと思い、両親と共に勝手口から外へ出ようとした。そのとき、外から「藤本さん家、潰れとる!」と近所の人の悲鳴が聞こえた。父が「そんなわけあるかい!」とスリッパのまま飛び出して行ったが、家の1階部分は完全に潰れて倒壊していた。」
この記事がインターネットに掲載されると、「当時の大変な状況を冷静にまとめてある」と大きな反響がありました。
藤本透さんインタビュー
「報道で見聞きする内容の偏りを感じていたことが大きな理由です。出来る限り詳細に、冷静に発災時の家族の状況を語ることで、感情に強く訴えることなく被災地の状況を知って頂けるのではないかと感じました。地震発生後の状況をまとめたのは、誰もが被災者になる可能性があるこの日本で、少しでも誰かの助けになるのではないかと考えたからです。」
「ちきない」「どんならん」能登の人々の気質を踏まえた方言集を作成
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さらに、被災地へ応援に来られる方のために能登の方言をまとめました。「能登は優しや土までも」と言われる我慢強い能登の人々の気質を理解してもらうためです。
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藤本透さんインタビュー
「能登は人口が少なく、石川県の外で能登の方言を耳にすることは滅多にありません。奥能登は特に高齢者が多いことから、支援に入られた方が大切なSOSを逃してしまわないように、また感謝の気持ちが正しく伝わるようにと願い、能登の方々とコミュニケーションを取りながらまとめました。」
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背中を押したのは、アニメの主人公
ふるさと輪島市町野町のことを日々発信する藤本さん。きっかけは、2011年に放送されたアニメ「花咲くいろは」でした。
作品では、金沢市の湯涌温泉、今回の地震で大きな被害を受けた七尾市中島町にある、のと鉄道・西岸駅などが舞台モデルになっています。藤本さんはアニメから7年後の世界を描いた小説版を執筆していました。作品の主人公・松前緒花(まつまえ・おはな)は、思い立ったら即行動する活発な少女として描かれています。藤本さんは、「緒花ちゃんが背中を押してくれた」と話します。
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藤本透さんインタビュー
「どうにかして安否確認ができないかと画策していた時でした。1/1のことです。町野町の情報を募るたくさんの方の発信を目にしましたが、拡散力がある方はいらっしゃいませんでした。町野町の中でおそらく最も拡散力があるのは私であると気がついたとき、こんなとき、緒花ちゃんならどうするだろうと考えました。緒花ちゃんなら間違いなく行動する、そう思った瞬間、背中を押してもらえたと感じております。安否確認や情報発信にがむしゃらになれたのは、緒花ちゃんがあのとき背中を押してくれたおかげです。」
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3月に東京で行われたアニメのイベントでは、復旧復興を願い、藤本さんが執筆を担当された小説とチャリティイラストのセットが販売されました。
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「生活していきたくても…厳しすぎる現実」
先日、倒壊した藤本さんの家の2階に置いてあったミニキリコが、運び出されました。このミニキリコ、藤本さん父娘がお世話になった恩師の方が、制作したものです。子供たちの健やかな成長を願い、書かれているのは「元気な子」。
地震の被害を免れることができた数少ないものの1つです。
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輪島市では、被災した建物を市が所有者に代わって解体・撤去等を行う「公費解体制度」が始まりました。かろうじて倒壊を免れた家でも家電製品が全て壊れてしまっていたり、ブルーシートで覆った屋根や壁の隙間から雪や雨が家の中に入り込み、家じゅうがカビだらけになってしまったり、家の前まで水は来ていても敷地内で配管があちこちで破損していたりというケースもあります。また、これまで商いをしてきた人たちは、先が見えないため、商売を続けるべきかどうか決めることが出来ない人が多くいます。仮に避難所から自宅へ戻って暮らすと決めたとしても、家の修理、整理、掃除に加え、食料をはじめとした生活必需品の調達にこれまで以上の時間がかかります。自立、生活再建をする人の目の前には厳しすぎる現実があります。
SNSできょうも発信を続ける藤本さん。地震発生から3か月。復旧だけではなく、復興のニュースも増えてくる中、町野町だけではなく、被災地には最低限の衣食住もそろえられない苦境にある人が多くいることを忘れてほしくないと話します。
藤本透さんインタビュー
「復旧や復興の報道が増える中、町野町の現状は発災時と大きくは変わっておりません。道路の啓開、電気と水道の復旧が進んでおりますが、たくさんの家屋が倒壊したままなのです。電気が通っても、水道の本管が復旧しても、『帰る家』がありません。地元の方々の声を聞けば聞くほど、まだまだ多くの支援が必要であると感じています。私個人が出来ることは本当に少なく、たくさんの方にお心を寄せていただくことが大切であると感じております。どうか、能登を、出来れば輪島市町野町をお願い致します。」
近年の大規模災害では、SNSをはじめとしたネット発信が、多くの人や行政を動かすことがありました。藤本さんの地元・輪島市町野町の住民の多くは高齢者。SNSを駆使できる人は限られています。壊滅的な打撃を受けた町野町の現状を藤本さんは遠く離れた東京から地道に発信し続けています。
ひどい町並みも。。。
元通りにはならないと分かっていても。。。
また以前の姿を取り戻して欲しいと願ってしまいます。
忘れないでください!
(お借りしました)