実は。。。
KARAにハマる前はMISIAの歌声が好きでよく聞いてました!
今でも聞いているんですけどね(^_^;)
デビュー26年おめでとうございます!
2024年2月21日
MISIAが2度目の被災地の奥能登入り
1回目は能登町小木と珠洲市
2回目の今回は我が出身地の輪島市町野町にある
輪島市立東陽中学校の避難所
ほかの避難所に比べると炊き出しなどの支援が少ないところを選んで訪れて来てくれるMISIAには感謝しかありません。それが我が故郷なら尚のこと胸がいっぱいになります゚(゚´Д`゚)゚
しかもこの日はMISIA26回目のデビュー記念日!
記念すべき日にわざわざ時間をさいて僻地に来てくれてホントありがたいと思ってます!
MISIA公式サイトより >>
令和6年能登半島地震から約2ヶ月 MISIAが2度目の炊き出し支援を実施
令和6年能登半島地震の被災地域で、MISIAが2度目の炊き出しを実施しました。
今日MISIAが訪問したのは輪島市の避難所。地震からまもなく2ヶ月を迎えるのを前に、「まだまだ断水や厳しい避難生活が続いている中で、避難者の力になりたい」と、金沢レインボープライドや被災地を回って炊き出しを続けている県内の料理人団体の北陸チャリティレストラン等の協力を得て、250人分の昼食を配りました。
今回は、MISIAと日頃から親交があり炊き出しの実施に賛同した、元サッカー選手の三浦泰年さんや、ミュージシャンの成田昭次さん、同じ事務所のLittle Black Dressも参加。
食事は北陸チャリティレストランの特別メニューで、ビーフシチューのほかに、ブルーベリーのデザートも振舞いました。
さらに、支援物資として持ち込んだタオルやTシャツ、ハンドクリームなどを避難者にプレゼント。4人とも、写真を撮ったりサインに応じたりしながら、「あたたまって、元気でいてください」「一緒に頑張りましょう」と絶えず声をかけ、被災者を励ましていました。
今回も事前に被災自治体や避難所関係者と相談しながらの実施でしたが、前回1月に炊き出しを実施した時と比べると、封鎖されていた道路が一部開通するなど、多くの方々の力によって少しずつ復旧に向かっていく様子も見られました。
一方で、未だに通れない道も多く、訪問した地域も下水が通らず不便な生活が続くなど、地震から2ヶ月を迎えた今も、まだまだ復興に向けた多くの支援が必要な状況が続いていました。
今日2月21日はMISIAのデビュー26周年の特別な日。その日に被災者の方々を元気づけられればと考えていたMISIAは「周年のタイミングに皆様の笑顔が見たいと思った。自分の音楽を通して笑顔になってもらうことが何よりの喜び。今後は音楽を通してのサポート、例えば、石川県で音楽フェスを開いて復興の支援するなど、これからも現地に必要な支援を学びながら関わり続けたい」と話し、今後も被災地と関わり続ける決意を強くしていました。
今後も被災地の復興に寄り添いながら、現地に必要とされる支援や、被災された皆さんの心が少しでも明るくなるような活動を、MSIAとともに実施、発信していきます。
参加(敬称略):
MISIA
三浦泰年
成田昭次
Little Black Dress
協力団体:
北陸チャリティレストラン
チームこのへん
ひらみゆきブルーベリー農園
金沢レインボープライド
メニュー:
ビーフシチュー
加賀れんこんのサラダ
能登ブルーベリードーナツ
能登半島地震の発生から50日あまり。 一時孤立状態となった輪島市町野町の避難所に歌手のMISIAさんが訪れ、被災者に笑顔の花が咲きました。 地震で一時孤立状態となった町野地区では孤立解消後も、他の避難所に比べ炊き出しに訪れる団体が少ないことを知ったMISIAさん。 県内の料理人などで作る「北陸チャリティーレストラン」などと連携して炊き出しに訪れました。 メニューは石川県産のレンコンが入ったビーフシチューとサラダ、焼き菓子です。避難所生活で不足しがちな野菜をたっぷり使い、250食を用意しました。 炊き出しに訪れた人は 「すごく大ファンだったので来てくれて嬉しかった。(握手できて)幸せでした。地震でいまどこに住んでいるのとか気にかけてくれて、すごく優しい人でした」「サプライズだと思った。遠くから来てくれて、とても嬉しかった」 MISIAさんが地震後、県内を訪れるのは2度目。 実はMISIAさんにとって2月21日は特別な日でもあるのです。 【MISIAさん】 「自分の音楽を通して、皆さまが元気になったり笑顔になったりしてくれるのが何よりの喜びなので、周年の際に何が見たいかと言ったら、皆様の笑顔が見たかったので、少しでもこうやってお手伝いすることによって、笑顔をみせてもらえたら、私は何よりも嬉しい」 そう、2月21日はMISIAさんがデビューした日。 そんな大切な日に、被災地に心を寄せてくれたMISIAさん。今後は被災地で音楽フェスなどを開き、復興のサポートを続けていきたいと話していました。 記念撮影の掛け声は「みんな一緒」。 MISIAさんと一緒に写真に納まる被災者は笑顔で溢れていました。
前回の訪問はこちら >>
自分の出身地の町野町について。。。
地震の土砂崩れで輪島市中心部とは寸断され、珠洲市に抜ける道も土砂崩れ
ただでさえド田舎なのに今は行き止まりの町となっております
金沢方面から入るには輪島市への標識ではなく、
珠洲市方面に進む必要があります。
輪島市の一番端っこに位置し曽々木からトンネルを抜ければ珠州。
国道249号線能登町方面の旧柳田村の隣に位置し。。。
輪島市と認識されていないんじゃないか?
そういう気持ちは以前からもありましたが、今はもっと強く感じていると思います。
震災前は市中心部まで車で30分弱でしたが
肝心の国道が崩落や崖崩れで復旧見込みが全くありません。
今は大きく迂回するルートしか無く2時間弱かかります
ただ、元々の自給自足生活に近い土地柄もあって何とか生き抜いてます(^_^;)
ニュースなどを見ているともうすぐ義援金の配分があるらしい。
しかし。。。自分のところには今回は1円も配分がありません。
義援金は配分で支援金は直接届くものらしい←知らんかった(ーー;)
その違いは大きいですね。
たしかに自分の居住地は水も電気も使えます。
未だに断水でトイレも洗濯もできないところと比べればマシかもしれません。
しかし実家の被害はイコール近い将来の管理人である自分のことなんです。
毎週末に片付けに通ってるガソリン代もかかってるし
そのほかにもお墓の被害も深刻です。
土台から上の石が全部ずれていたり転がり落ちてます。
その修復費用もいくらかかるか検討も付きませんし
いつ治るのかもわかりません(被害が広域過ぎるがゆえに)
自宅は取り壊す予定だけれど。。。
全壊ではない実家には果たしていくら補助が出るのか不安でしかない。
そして年老いた両親は仮設住宅の申し込みはしたけれど
いつごろは入れるのかもわからず(2年しか住めないし)
その先の見通しもまったく未定。。。
その分が自分の肩にかかってると思うと穏やかではいられない
今ブログ書いてるPCも地震で下敷きなり調子悪いし
(優先順位的にそんなこと言ってられないけど)
誰かいらないノートPCあったらください。。。
なんてね(^_^;)
めっちゃ愚痴ってしまってスンマセンm(_ _)m
明日も片付けに行ってきます。