僕は僕を救いたいだけだったのか | 自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


Voicyパーソナリティの水谷アスさんの配信【2024.6.26】を聞いて、気づいたことのシェアです。



まず初めに、僕のブログを毎回読んでくださる方に、多大なる感謝を申し上げたいです。いつもお読みくださり、誠にありがとうございます!!


僕のブログは長文ばかりなので、途中読むのをやめたくなると思うのですが、最後まで読んでくださり有難いです。分かりやすく、読みやすくと心掛けてはいますが、さすがにこの長文ばかりだと嫌かもしれないと思っているところです。


さて、水谷アスさんがこの回の配信でおっしゃっていたことは、ご自分がVoicy等で発信しているのは「娘のため」だということでした。発達障害のある娘さんのために、少しでも世の中の理解を深めてもらおうとしているのだそうです。


僕はこれを聞いていて、「僕は誰のために発信活動をしているのかな?」と疑問に思ったのでした。


時を同じくして、ブログの心の師匠であるcherryさんの配信を読んでいて、同じような疑問をもちました。https://ameblo.jp/tooeysworks/entry-12857594751.html←cherryさんの記事



ここでcherryさんは「目的意識をもって発信することの大切さ」を訴えていらっしゃいます。

この記事を読んで僕は、「何のために、誰に向けてブログを書いているのだろう?」と疑問に思ったのでした。



お二人から「あなたは何のためにブログを書いているの?」と質問を投げかけられているような感覚になりました。そして今それを考えるタイミングなのだと思いました。


現在の自分が出した答えです。


「僕は僕を救いたくてブログを書いてきた」

です。


この結論を出した時、僕のブログを読んでくださる方に感謝の気持ちが湧いてきました。だから冒頭に感謝を申し上げたのでした。



僕は僕を救うためにブログを書いています。それが一体どのような意味なのかを、これ以降に書いていきます。



僕はビジネス目的でブログを書いていません。またアスさんのように、誰かのためという強い動機もなく発信しています。


それでも900以上の記事を作成し、かなりの時間を割いて文章を書いてきました。ここには必ず強い目的意識があるはずです。


最初のうちは、自分と同じような教員に向けて書いていました。教員としての現実を捉えて、共感してもらいたいと思っていました。

でも途中から、教育とは関係のない内容を書くようになりました。自分の気づきを中心に、考えたことつまり哲学を主に発信するようになりました。


中盤以降は、「誰に向けて」書いているのかはっきりしなくなっています。そのような意味では目的意識が明確ではありません。


ただここで気づきました。僕は僕のために書き続けているということに。


僕のブログの「主語」は「僕」であることが多いです。つまり「自分が考えたこと」や「自分について」書いているということです。

ブログは僕の「思考のログ」になっています。


このログが僕にとって、非常に効果的なのです。

どのような点が効果的なのかを列挙します。

1.思考の記録になる。
2.自分を客観視できる。
3.心の安定剤になる。
4.自信をもてる。
5.他者に考えを伝えやすくなる。
6.考えをシェアできる。
7.生きやすくなる。

といったところです。1つずつ解説します。

1.思考の記録になる
「ログ」そのものの意味です。いつどんな記事を書いたのか、振り返ることができます。発信した当時の考えや気持ちを思い出すことができます。

以前と比べて思考が深まっていることも多いです。反対に、「この時から同じようなことを考えていたのか」と自分に驚くこともあります。そしてそのような記事を振り返ると、自分の考えに一貫性があることに気づけます。


2.自分を客観視できる
文章を書く時には、自分を俯瞰しなければなりません。自分の考えや気持ちを、別の位置にいる自分が見る感覚をもちます。そうすると、落ち着いた状態で自分を観察できるようになるのです。


3.心の安定剤になる
2と繋がっているのですが、俯瞰して自分を見るようになると、文章を書くことで心が落ち着いてきます。感情等を言語化すると、何に怒っているのか、何が嬉しいのか、何に対してもやもやしているのかが見えます。

言語化すると安心感が生まれるようで、これが安定剤となるわけです。


4.自信をもてる
繰り返し言語化していると、そのことに確信がもてるようになります。例えば僕は、「担任ローテーション制」を望んでいたり、「オッサン撲滅」を目指したりしているので、そのことを繰り返し記事にしています。

何度も同じことを書いているので、自分の考えが確立されて、するすると言葉が出てくるようになります。正解か不正解かではなく、僕の考えとして確立したものであり、それに対しては自信をもって発信することが可能です。


これが外部から与えられた知識等の量などで判断される場合には、自信をもつことはできないでしょう。上には上がいて、僕よりも遥かに知識が豊富な人がいるからです。

そうではなくて、僕が「自分の思考に費やしてきた時間と量」に自信をもつことができるということです。勝ち負けではありませんが、僕は僕なりに思考を重ねてきた自負をもっています。


このような言葉には力が乗ります。確信をもって伝えるので、パワーの乗り方がまるで違うわけです。これはブログを書き続けたからこそ得られた自信です。


5.他者に考えを伝えやすくなる
言語化を繰り返しているので、論理立てて話をすることもできるようになります。

「僕はこのように考えますよ。」ということを、ある程度まとめて話すことができます。必要ならば、講演のような形で発信することもできると思います。


それくらい書き溜めてきたブログが力になっています。


6.考えをシェアできる
ブログを書いていてよかったと思えることの1つに、自分の考えをシェアできることがあります。


このように発信することで仲間がたくさん増えましたし、新しく知り合う方にも自分の考えを伝えるのにブログを活用することができます。

同志だと思える人に記事を共有することで、共感や新たな学びを得ることができます。ブログが同志を見つける試金石となるわけです。


7.生きやすくなる
ブログを書くことで生きやすくなりました。と書くと大袈裟に見えるかもしれませんね。


けれど文章を書くことの効果を日々感じていると「生きやすくなった」という実感は、決して大袈裟とは言えません。


本業や子育て等で忙しい中ではありますが、間隙を縫ってコツコツと書き溜めています。このようにすることで、自分らしさを実感しているのだと思います。

もしブログを書くことがなくなったら、僕は一体何を残すことができるだろうか?と、恐怖すら感じるほどです。





このように振り返ってみると、自分のためにブログを書き続けてきたことがよく分かります。だから誰かに読んでもらわなかったとしても、成立するのだと思います。


僕の目的意識は、自分を救うところにあります。


でも、そうは言ってみたものの、やっぱりそれ以外にも目的があるように思います。何人かのコアな読者の方々がいたり、いいねの数をたくさんもらえたりすることがとても嬉しく感じられるからです。


僕は自分の考えを広めたいし伝えたいと思っているのです。誰に向けて、誰のために、という明確な対象は分からないけれど、考えを伝えることで読んだ方により良くなって欲しい。そう願う自分もいます。


僕一人が体験し、考えられることなんてたかが知れています。しかしこの世の中に、僕の発信を役立ててくださる方がきっといるはず。その人たちに向けても、僕は発信活動を続けているのです。


僕の考えは、広く一般的に受け入れられるものではないかもしれません。けれどきっと僕と同じように悩んだり、苦しんだり、喜んだりしている人がどこかにいます。その人が少しでも救われれば、僕がブログを書き続ける意味が出てくるのではないでしょうか。



第一目的は自分に向けて。さらにそこから派生して、他者に伝われば嬉しく思います。


いつもお読みくださりありがとうございます。僕は皆さんがいるからブログを書き続けられます。これからも末永くよろしくお願いします。


最後までお読みくださりありがとうございました。