いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。
SNSを見ていると、とんでもない親がいることを知ります。過剰要求をする親、責任転嫁する親、傍若無人に振る舞う親。
周りにいるにはいるけど、最近はそこまでとんでもない人に絡まれることはありません。僕は運の良い教員です。
子どもたちにも救われています。今年度、とても大変だと言われていた学年を担当しましたが、今のところ著しく大変な思いをしたことはありません。というのも、多くの子どもたちが常識的だからです。
4月の初めに、クラスづくりの土台として僕はいろいろなことを宣言します。
「時間を守ること」「いじめを許さないこと」「卑怯が大嫌いだということ」「自立を目指して教育していること」などです。これらの宣言を、多くの子どもたちが納得しながら聞いてくれました。そこに救われたのです。
その年度の良し悪しは、初めのこれで決まります。過去に大変なクラスをもったときは必ず、この最初の宣言が通りませんでした。反感を買ったり、嘲笑されたりして、非協力姿勢を全面的に発揮してきました。
このような子が数人いると、クラスの空気は濁ります。話の筋が通らないので、澱んでいくのですよね。
だからここ数年間の僕は運が良いのだと思います。筋違いの子どもや親にほとんど遭遇していないからです。
学級経営の質は教員によって左右されます。それは確かです。でもそれだけではありません。構成する子どもたちや親の民度にも大きく影響されます。
以前佐々木俊尚さんのVoicyの話から、「一座建立(いちざこんりゅう)」と「主客一体(しゅかくいったい)」の記事を書いたことがありましたが、これは学級経営においてもまったく同じです。
僕が運が良いと感じるのは、子どもや保護者に恵まれているからです。一緒に良いクラスを作ろうとしてくれるからです。
逆を言えば、運が悪いと思う経験もたくさんしてきました。過去には気が病みそうになることも多々ありました。相当辛かったです。
もちろんそれによって教員スキルを磨かれた部分があります。でももう一度同じような経験をしたいかと言われれば、心から願い下げです。そう思わされるくらい苦しめられたからです。
僕はこれらの経験から、学級経営は運にも大きく左右されると考えるようになりました。いち教員の力だけではどうしようもないところもあるのです。
世の中を見たとき、教員はさまざまなところでバッシングされます。京都の南丹市で起きた事件では、朝登校してこなかった子どもの連絡を確認しなかっただけで、相当なバッシングに遭いました。理不尽極まりありません。
夏には、学校のプールで水栓の閉め忘れにより、大量の水が放出し何十万円もの損失が出ました。その弁償をさせられたのがプールの担当者です。なりたくもない担当にさせられた上に、その失敗の責任を負わされます。これもまた理不尽です。
これは仕組みによるものです。そういう慣例になっているために起こったことです。これをコントロールすることはできません。運に委ねられています。
運の良い教員は、致命的な出来事もなく教員人生を終えることができます。けれど多くの教員はずっと運良く過ごせるわけではありません。
だから僕は思うのです。運が悪くて力が発揮できなかった人を責めてはならないだと。例えば、子どもや保護者に恵まれなかった人、管理職や同僚に恵まれなかった人、分掌に恵まれなかった人。こういった人は、本人の能力とは関係ないところで苦しめられています。本人の努力でどうにかできることではありません。
教員を責める前に考えてみて欲しいです。本当にそれは本人だけの問題でしょうか。問題が起こったときに、教員だけに責任を負わせるのは酷です。冷静に考えてみてもらいたいです。
最後までお読みくださりありがとうございました。