自分の人生の舵を取れ! ⭐︎武井義勇(kammy)のブログ

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僕は、公立小学校の教員をしています。

その中で大切にしたいことや、自分の生き方を考えてきました。それをシェアしていきます。

自分の人生の主役は自分自身です。いかに生きればもっと幸せになれるのかを追究しています。

 いつもお読みいただきありがとうございます😊本質の追究者の武井義勇(たけいきゆう)です。


今日は結婚について語ってみようと思います。結婚生活は10年程しか送っていないので偉そうなことは言えませんが、様々な人を観察してきて考えたことがあるので記します。

結婚生活はパートナーとの協働生活です。そこに子供が生まれれば複雑さが増してきます。この複雑な生活を乗り越えていくために必要なことは、相手を思いやる気持ちをもつことです。

相手を思いやると書いてみましたが、より具体的にいうと次のような要素が不可欠だと考えました。

「他者のために自分の時間を差し出せるか」

です。自分の時間を相手のために費やす行動。これこそが結婚生活に最も適性のある人だと考えられます。

ここからそのように考えた根拠を示していきます。


一般的には恋愛と結婚を結びつけて語られることが多いです。性の魅力が高い人が結婚しやすいと考えられます。これは動物として当然のことなので、否定するつもりはありません。

ただ人が結婚生活を営むためには、それだけでは足りないと考えます。性の魅力がありすぎることは、却って結婚生活に影を落とす可能性を高めるからです。

僕が考える結婚生活に必要な要素は、人間としての魅力に溢れることです。当たり前のことですが、結婚生活はパートナーという他者がいて成立するので、人間関係をうまく築けない人には適性があるとはいえません。

ちなみに「自分は自分の時間を優先させたいから結婚はしない」と決められている人がいますが、このような人にはむしろ結婚適性があると考えます。というのもこのような人は、他者を尊重することができる傾向にあるからです。自分の時間を優先する意思のある人は、他者の時間の大切さも知っています。そうなると結果的に僕のいう結婚適性に適合するわけです。

イメージとしてあるのが、天海祐希さんです。天海さんは結婚しないことを公言されていますが、人間的魅力に溢れる方です。今回の話ではこのような方を対象外としております。

世の中には想像を絶するようなモラハラマインドの人がいます。生活費は入れるものの、家事育児を全くしない人は序の口で、何でそんなことが普通にできるの?と思うような人がいるのを見聞きします。

結論からいうと、このような人は絶対に結婚しないで欲しいということです。婚姻率が下がって社会問題になってはいますが、それでもこのようなマインドの人には結婚して欲しくありません。なぜなら不幸な家庭が増えるからです。

小学校教員をしていると様々な子どもと相対します。総じていえることは「家庭生活の安定が子どもの安定につながっている」のです。家庭内での両親の不仲やパワーバランスの崩れは、その子どもに大きく影響します。主語を大きくしていえば、不幸な子を増やしてしまいます。

だから僕は、そもそも結婚に適性があるかどうかを見極める必要があると考えるわけです。


モラハラ人に共通して見られる傾向として挙げられるのが「他者に自分の時間を使おうとしない」特徴です。すべて「自分優先」で物事を考えます。

Threads等のSNSを見ていると時々見られるのが、奥さんが熱で寝込んでいるにも関わらず「オレの飯はないのか?」などと迫る旦那の話です。このご時世、コンビニに行けば食べ物はいくらでもありますし、カップ麺で済ますことだってできます。それなのに「オレの夕飯を考えられない嫁は馬鹿」とでも言うかの如く、オレの飯は発言をする男。たぶんうちでそんなことを言おうものならば、一発で離婚案件です。


こういうことを無意識に発するのが結婚適性のない人です。このような人のマインドには他者尊重が全くないのです。

当然家族のため、人のために自分の時間を差し出すことはしません。妻がいても家政婦扱い。食卓に座っていれば上げ膳据え膳でご飯がオートマティックにやってきます。「おい、お茶」と言えば目の前に湯呑みが持ってこられる。約40年前の家庭ではこのような光景が当たり前のように見られました。


こんなことを許されてきた世代がいるのも問題ですが、さらに問題なのが30代40代でもこのようなマインドの人がいることです。ガラパゴス諸島に自分がいることを自覚できていない者たちです。


子どもがいても自分は土日も仕事で出勤。接待が必要だからと日曜日の早朝からゴルフに出かける。週に3回以上は飲み会。たまの休みは布団に一日中寝転んでいる。妻が家事育児に追われていても、ソファでごろごろスマホをいじる。

僕の周りにもいます(笑)。これ、大袈裟ではなくて事実。こんな話を聞くと「何のために結婚しているのだろう?」と本当に不思議な気持ちになるのです。


最初に述べましたが、結婚生活はパートナーとの協働生活です。そこには「対等に、協力し合って生活する」という原理があります。つまりどちらか一方に偏り過ぎないようにしなければなりません。

もちろんうちも例外ではなく、家事育児分担はおそらく65:35くらいの割合で妻が多く担っています。けれど僕が心掛けているのは、妻への敬意を忘れないようにすることです。

この敬意を欠くと、相手がやっていないことやできていないことに対して非難の目を向けるようになります。モラハラ夫がよく「家の片付けがされてねーじゃねーか!」などと怒るのは、敬意が欠けている証拠です。「じゃあお前がやれよ」案件です。

自分が他者のために時間を差し出さないのであれば、せめて相手を尊重せよ。僕はそう考えます。家庭生活を円滑に回すためには、一人のマンパワーではまったく足りません。二人以上の力がなければなりません。

しかしモラハラ人がいる家庭では、これが一人分のマンパワーにならないどころか、マイナスにベクトルが向いて進みます。はっきりいえば、いない方がマシの存在なのです。


他者のために時間を差し出さない者は、結局その存在自体が害悪になる可能性が高いです。僕はそのような人の存在を否定しませんが、「結婚するなよ」と思います。巡り巡って社会にとってマイナスになるからです。


たとえ婚姻率が今より下がったとしても、このような人たちを結婚させてはなりません。適性がないのですから、家庭生活を円滑に回せないのです。

余談ですが、このような人の中には一定数社会で成功している人がいます。年収何千万、何億と稼げる人もいます。けれど社会での成功と家庭円満は必ずしも結びつきません。家庭円満のためには、自分の時間を差し出す覚悟が必要だからです。

社会的成功者の中には、家庭生活をまったく省みない人もいます。社会的認知度とその人の能力とは比例するわけではありません。そのような点で考えると、家庭生活を円満に回せる人は、社会的成功者と同じくらい頑張っている人だと考えられないでしょうか。


僕は後者の方をかっこいいと思います。身近な人から幸せにできる人。その方がずっと信頼できるし尊敬もできます。


何度もいいますが、結婚に適性があるかどうかを判断する際には、相手が「他者のために自分の時間を差し出せる人かどうか」を1つの基準として設けるとよいと思います。人のために時間を使うのを躊躇するような人を選ぶと、きっと後悔すると思います。なぜならそのような人は、自分しか見ていないから。

自分自分ばかり言っている人に協力体制を要請することはできません。変わることはあるかもしれませんが、その可能性はかなり低いものと考えます。人はベースにどのようなマインドをもっているのかによって行動が変わります。

他者のために時間を差し出せる人かどうかを見極めていくことが大切だと、僕は考えます。

最後までお読みくださりありがとうございました。