エッセイカガサワのドンと来い経営術 | ジェイカス株式会社代表取締役のブログ

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皆さん今日はエッセイカガサワのドンと来い経営術の時間がやって来ました。本日のこの時間は物置業界ト ップジェイカス物置の提供です‼     「やっばりジェイカス100トン載っても大丈夫」

 本日は 先日の黒田日銀総裁金融緩和発表でバブル景気再来を祈願し番外編「バブル景気の海外旅行術」をお送りします。

 第5話「番外編バブル景気の海外旅行術」
さて少し前にさかのぼりますが、日⚪通運に上手く潜り込みゼ⚪ックスの配送で、月商25000円X25日と1年前とは格段に増えた私でした。

 さて第4話で話した様にバブル景気が始まり日々仕事量が増え、日⚪通運の係長が有難い事に私の夢を知り毎日「加賀澤君誰か軽四営業車の持ち込みいてないか?」と人を雇用し増車しろとプレッシャーを掛けてきます。

 その頃私は軽⚪急配に騙された経験を元に、理想の会社設立を夢みた気持ちを忘れ、ヤクザ先輩脅されて購入したしマンション投資から銀行や証券会社に踊らされ、真面に働くのが馬鹿らしくなっていました。

 ある時「そうか、代わりに誰かを雇い自分は株の天才やから証券会社に入り浸れば大儲け出来るなぁー、」と不純な動機で、当時馬鹿な高校を出て就職できず、餃子の王将で高額バイト(基本時間給900円中華鍋から炎が上がる度レジから1000円を抜き取る特技の為高時給)をしている弟(現取締役本部長)、クロネコヤ⚪トでパチンコばかりしてサボってる男(現常務)、私が元在籍した日用品卸商社で同僚だった真面堅物男(現専務)の三人を言葉たくみに引き入れました。

私は労働から解放されたっぷり時間ができ、益々株やゴルフ会員権、不動産投資に熱がはいりました。

そんなある日福⚪相互銀行新大阪支店の担当N氏が、「先週支店長が韓国旅行行って凄い良かったらしいわ!」、私は「Nさん韓国で女遊びしたいんか?、それやったらあの会員権で追加融資頼むわ」、こんな事で銀行員N氏と友人の日⚪通運のH氏(親が日⚪通運の偉いさん)、通訳兼用心棒でM(在日韓国3世で187cmでパチンコ屋の用心棒)の4名で、バブル景気のオヤジに負けじと昭和63年2月大阪空港(当時関空は建設中)から大韓航空で空路ソウルへ。

 1時間半程経過した時雲の切間からソウルの街が見え、ビックリ真っ白に凍っています、その時機内放送で「間もなくソウル金浦空港です、現地の天候雲、気温ー10度」のアナウンスに、機内の全員が「えぇー、何それ‼」とどよめき、私達は「こんな服装で凍えるで大丈夫か?防寒着空港で販売してるかなー?」とうろたえました。
しかしH氏がパパの友人で大韓通運の人が迎えに来てくれるから心配ないの言葉に安堵し、私達は金浦空港で両替しその人を待ちました。
今と違い携帯電話も無く誰がその人か解らず、また当時の韓国は軍事政権で空港も機関銃を持ったいかつい軍人がベンチに座る私達を睨みつけ、職務質問してきたり心細い思いをしていました。

 そんな時「今日は待ちましたか?」と50歳位の紳士が声を掛けてかました、私達は「すかさず大韓通運の人ですか?」と尋ねると、「えぇ、まあそうです、どこのホテルですか?そこまで送ります」言ってきて、私たちは会えて良かったと手を握り感謝を伝えました。

 タクシーで40分走りソロソロ街の中心に着く頃なのに、あたりは雪深い農村です.これはおかしいと思い尋ねると、「貴方達はプライベート、いい女の子紹介するよ、任せて」とニヤリと笑いました。

 私達はいきなりポン引に騙されついて行ったのです、間もなくタクシーから下車したら、他の男が2人現れ私達を見張る様について来ます、雪深いあぜ道を進むと寒空の軒下でニワトリをさばいているおばさん達と目が合いニヤリとされました、なんか気持ち悪いえらいところに連れて来られたのです。

 しばらくして大きな韓国風民家を入ると、土間にポール牧そっくりのポン引宿の店主が騙された男に、「この若い日本人金持ってんねやろなぁー」「ヘェ~大丈夫です、空港でたんまり両替してますた」、私の横でMが小声で通訳してくれています。

 私達はオンドル部屋に通され、あの男に「皆さん昼ご飯まだでしょ、韓式定食どうですか?」、私は通訳のMに「なあ、韓式定食てどんなんや」Mは「えぇ、何種類ものおかずが有り美味いですわ」、出て来たのはキムチばっかり10種類と温くマズイビール。
あの男が「ソロソロ女の子呼びますから、おい入ってこい」、私達も少しは期待しました、しかしこれは酷い見れば今のKポップとは違い、味付け海苔を目の上に貼りつけた様な女やオテモヤンみたいな女ばかり、たまらずチェンジしてもらい次に来たのは、あのニワトリをさばいていたおばさん達でした、そのおばさん達が服を脱ぎ捨て醜い身体で変な踊りをします.「♫アーリラン♫アーリラン」

 Mが私に「兄貴こらあかんわ、夜のソウルでお持ち帰りせんと、銀行さんもそれを期待していますやろ」、私はあの男を呼び「もうええ、ここの女いらん、帰るわ」恐る恐ると告げると、あっさりと「あぁお帰りですか‼ではこれお勘定です」と紙を渡されました。

 私は紙を見てビックリ「ナニ‼300万ウォンてなんやこれわええ加減にせえや、こんなんむりやで」、と私達がわめきましたら襖が開き、手に木刀の5、6人の男が入ってきてハングル語で恫喝されました。銀行のNは悲鳴を上げてビビりまくり、用心棒Mもひ弱な私に隠れる始末、当然私も心臓がバクバク生きた心地がしません、何かビックリカメラかと思いましたが当然本当です、あの男が払わないとここから出さないと言い監禁状態になってしまいました。
 えらいことなってもうた、日本に帰れるやろか?私達が打ち拉がれている時
まんをじしてポール牧の店主が部屋に入ってきました。200万ウオンにするから払えと言ってきました、私はそれでも馬鹿らしく根性で値切り交渉し、何とか150万ウォン(当時17万円位)まで下げ、ポン引宿から脱出しました。しかし辺りは日が落ちカラスが泣き私達は足の震えが止まりませんでした、来たあぜ道を10分程歩き国道に出ました、しかしタクシーが通らなければ寒くて凍ってしまう、こんな辺ぴな所で野たれ死にです、どうしょうとまた不安が襲ってました。


 すると目の前を車が通りすぎたと思えば、急にUターンしてきて車内からジャッキーチェーンに似た男が、「貴方達騙されたね、ソウルまで10万ウォンで送るよ‼」。
ここでもボッタクリ料金なのです、多分村じゅう全員がぐるなのでしょう、寒さにはかてず「クソー、足元見やがって」しかしそんな事言ってわおれません‼ まさに当時の韓国は恐るべしです。
この白タク運転手ナカナカ愛嬌があり、げんこつの中指て人差し指の間に親指を入れクビのゼスチャーをして、この日本の首相は誰かと質問してきた、私は「宇野総理」と答えると「おぉー、ウノウノ」と爆笑していました。
この頃日本の経済力は強大で韓国のこんな人でも良くも悪くも注目されていたのです。

さてお昼前に金浦空港へ到着して8時間後ボロボロになり、やっとの思いでロッテホテルに到着しました。今までの事は忘れて晩御飯は雑誌にのっている明洞の有名な焼肉店ハンイルガンです、ここは高級店で味もピカイチで鶴橋出身の日本語が達者な仲居さんとさっきのポン引宿の話で盛り上がりました。

 その時襖の向こうから「大阪の人ですか?良いですね、私横浜の島田と言います、怪しい者ではありません」、名刺を差し出し見ればあの大手日⚪電気の駐在員です、「隣で聞いていました、ひどいめに会いましたね‼貴方達だけでは夜のソウルは危ない、私が案内しますよ凄く面白い所沢山あります」の言葉につられ、今度こそ少女時代見たいな可愛い子ちゃんとばかり、また案内は日本人だから大丈夫と安心し、当時ソウルの危険ZONEイテウオンに潜入しとんでもない体験をしました。

                                   つづく

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