放送室 -3ページ目

放送室

学んだこと、考えたことを書いて行きます。

先日、ネットの記事で、「脱不登校」という題名の記事を読んだ。

 

内容としては、どうやって子供を学校に行かせるかの方法論が、

書いてあるのだが、僕は方法論の「それ」よりも、「脱不登校」というタイトルに

喉の奥が重くなるような違和感を感じた。

 

僕は、元々高校を休んでいた経験がある。

野球が大好きで、そこそこ上手だったので、

地元じゃまあまあ強い高校に行っていたが、練習について行けず、辞めたのをきっかけに学校に行かなくなった。

 

「その後」、僕は高校を辞め通信制高校に行き、無事卒業をして、結婚し

今は平凡な大人として生きている。

人生100年時代だしもっと、自分のスキルを高めないといけないと思いつつ、よく昼寝をしている。

「そんな感じ」の人間だ(笑)

 

思い返してみると、僕の場合、学校は「行けなくなった」と「行かなくなった」の半分半分だったとの認識でいる。

具体的に言うと、一つは、高校で野球を辞めたとき、「野球部を辞めた人間」と見られるのが恥ずかしく

教室に居づらい、監督に辞めるというのが怖いというのがあり、段々と「行けなくなった」。(今考えると自意識過剰だが・・(笑))

もう一つは、「野球をしに高校に来たのに、今さら一般生徒に交じって高校生活はあり得ない」と思い

「行かない」という気持ちを持っていたのも事実であった。

 

まあ、ただ、当時の僕がどういう考えを持っていようと

世の中の人達は、当時の僕を「不登校の人」と呼ぶんだと思う。

 

皆が不登校と思う基準は恐らく変わってないと思うし、まあそこはべつにもういいかなと思うが、

僕が嫌なのは、世間の雰囲気が「脱不登校」の本のタイトルから

分かるように「不登校=駄目な事」、「脱不登校=学校に行けない」の構図が

いまだに蔓延っているこの感じが嫌だと思っている。

 

まず「不登校=駄目な事」だが、

僕としては【学校ってマジで本当に行かないといけないいけないんだっけ?】と思っている。

だって、体の調子が悪くなったり、自分の器から涙がこぼれてしまったり、

下手したら死んでしまうぐらい苦しむなら、もういかんで良いと思う。

 

自分の人生の時間って決まっていて、何かを心配して自分の時間を生きていけないなんて

それは、とても辛い事だなと思う。

 

行かんでええやろ。と僕は思ってしまう。

 

次に「脱不登校=学校に行けない」は、僕は間違っていると思う。

共感してくれる人もいると思うんだけど、「行けないのではなく、行かない」という気持ちもある。

 

人によっては、無意識かもしれないが、体が「行かない」という選択をしているのである。

 

勝手に「100%行けない」にするなよと、なめんなよと僕は思う。

(もしかしたら、俺が勝手に思っているだけかも・・。笑)

 

最後になるが、そもそも不登校は「脱する」必要なんてないと思います。

だって別に「悪い」事ではないし。アル中とか、薬とかなら「脱」を使う意味がわかるけど。

 

学校行って、自分の時間を生きていけないよりも、

自分が頭の中で抱えている気持ちと向き合ったり、向き合えなかったり

そういう時間の方が大事だと思っています。

 

ここまで書いたのは、あくまで僕の感想です。