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フィリピン人のパートナーと結婚したりビザを取ったりするときは、かならずといっていい程必要になるのが出生証明書。これを日本の役所に提出する際には、和訳を付けないといけません。そんなときに便利なのが、フィリピン大使館が公式ホームページで公開している日本語訳の雛形が非常に使えるので、紹介しています。
出生証明書を翻訳するのは簡単だけど・・・・
フィリピン人パートナーの親が出生届を出産後規定の期限内に役所に届け出ないと「遅延登録」という扱いになって、追加の書類を用意しなくてはいけなくなります。
さらに、出生届自体を出していないような悪質なケースもフィリピンでは結構頻繁にあるみたいです。
こんな場合はさらに厄介・・・
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フィリピンで学歴証明を取って自分で和訳をしようとしたときに、ひっかかるのが短縮語の訳がなかなか見つからないこと。
このブログの記事が参考になります!
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特に提携先の企業のクオータビザ・国際結婚などの成功率はフィリピン随一。
現起こっているウクライナ戦争に関してWikipediaを中心に歴史的なことを調べて、大まかにまとめてみました。
プーチンのやっている「力による強制的な現状変更」は絶対に許せないことですが、ロシア側の戦争理由が単純に狂気となったプーチンによる暴走ということでは説明しきれない歴史的な流れがあることがわかります。
▲先史時代
ウクライナの歴史は30万年前の旧石器時代より始まる。
ウクライナで現在までに発見されている旧石器時代後期の新人類の遺跡は約800もある。
紀元前3千年期にはウクライナ地域は東地中海文化圏に属しており、このころに縄文土器文化や竪穴墓文化が誕生している。
ホメロスの「オデッセイア」などの古文書で見られるウクライナの最初の民族はキンメリア人である。キンメリア人は牧畜を行いながら鉄の生産技術にも長けていた。しかし、紀元前7世紀頃になると、キンメリア東方に住んでいたスキタイ人によって黒海の西方へ追いやられている。
▲中世
キエフ大公国
キエフ大公国は9世紀後半から1240年代にかけてキエフを首都として栄えた東欧国家で、正式な国号を「ルーシ」といったが、1240年モンゴルの来襲によって落城し崩壊した。
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国は1199年から1349年に現在の西ウクライナを中心として栄えた非常に大きなルーシ系国家である。この公国はルーシの政治や伝統を継承し、ローマ教皇をはじめとして様々な中世ヨーロッパ諸国の援助を得て、反モンゴルの急先鋒としての役割を果たした。
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国はその後ポーランド王国とリトアニアの諸侯の軍勢によるハールィチ・ヴォルィーニ戦争によって侵略され、分割された。このため領土問題が半世紀以上に渡って東ヨーロッパ情勢の不安定を招いたが、1392年ハールィチ公国はポーランド王国領、ヴォルィーニ公国はリトアニア公国の支配下に正式に置かれることとなった。
▲近世・現代
1917年のロシア革命を機にウクライナでは更なる情勢不安が続きいくつもの独自政府が誕生したが、これらの独自政府はどれもペトログラード(現サンクトペテルブルグ)のボリシェヴィキ革命政府と対立し、10月革命以降は激しい内線状態に入っている。
この時期のウクライナ内、10月革命時の主な勢力ははウクライナ人民共和国(中央ラーダ)、臨時政府派、ボリシェヴィキであったが、中央ラーダはボリシェビキと共闘して臨時政府派を壊滅させた後、ボリシェヴィキからの戦線布告を受け、1918年1月に首都を追われたが、同年2月には中央同盟国(第一次世界大戦を共闘した諸国)とブレスト・リトフスク条約を締結してドイツ・オーストリア・ハンガリー軍と共同してボリシェヴィキを壊滅させ、クリミア半島を含む広大な領土を手中に収めている。
同年4月にはドイツの後ろ盾を得た右派がキエフで起こしたヘーチマンの政変により国号を「ウクライナ国」に改変して安定したが、ドイツの連合国への降伏によって情勢は急変し、ディレクトリーヤ(かつてのウクライナ人民共和国の残党)勢力に敗れ、ウクライナ人民共和国が復活した。
この頃から数々の政変・内戦を経て西ウクライナがポーランドに併合され、このときの内戦は帝政派南ロシア軍、フランス軍、イギリス軍、ウクライナ革命蜂起軍、ルーマニア軍、ポーランド軍、ウクライナ・ボリシェビキなどが入り乱れた。
この間、ソ連政権による人工的な飢餓やホロモドールなどによって数百万人が餓死するなどウクライナ情勢は混迷を極めた。
この内線は1921年の白軍(赤軍に対抗する勢力)の壊滅によって終結し、ウクライナは、ソビエト連邦が結成されたことにより、その自治権は無くなっていき、同時期に一部地域はポーランド領となり、ルーマニアもウクライナの一部地域の併合により「大ルーマニア」を実現させている。
▲ウクライナ社会主義共和国
第二次世界大戦
1941年以降のドイツ・ソ連戦において赤軍が劣勢となりキエフ包囲戦では66万人以上のソ連兵が捕虜になるなどしたが、この開戦でウクライナでは500万人以上の死者を出した。しかし、同時にスターリンの恐怖政治に怯えていたウクライナ人にとって、この時期は自国の開放への希望が高まった時期でもあった。
しかしながら、1941年6月にウクライナ民主主義者組織によってウクライナ独立国の独立宣言が行われた際には、ドイツは「帝国管区ウクライナ」を設置して弾圧し、ウクライナの独自政府・自治は実現しない結果となり、ナチスドイツ下ではウクライナ人は「劣等民族」とされて強制労働などを強いている。
スターリングラード攻防戦で大敗北を喫したドイツは、自軍の組織に東方人を組み入れるべく、武装親衛隊に「ガリツィエン師団」を創設し、ウクライナからも約8万人がソ連によるウクライナの弾圧に反対する約8万人のウクライナ人が応募し、約1万3千人が採用されている。
しかし同時にソ連軍として参戦し、戦死したウクライナ人は270万人に及んでいる。
ドイツ軍が敗退してソ連軍がウクライナに来ると、ウクライナ蜂起軍はソ連軍に対するテロ行為やポーランド人、ユダヤ人、さらには虐殺に反対するウクライナ人をも虐殺している。
第二次大戦後はウクライナはロシアに次いで2番目に重要な共和国となり「ソ連の穀倉」とまで言われるようになった。
▲戦後
1954年フルシチョフ政権下で、クリミア半島がロシアからウクライナへ移管され、知識人も台頭するなどしたが、ブレジネフ政権になって再び知識人への弾圧などが行われた。
1986年にはチェルノブイリ原発事故後、東欧革命やウクライナ語の効用化などを経て1991年8月にウクライナの独立が宣言された。
しかし、ウクライナ政権は旧共産政権の政治家による汚職などが跡を絶たず、オレンジ革命、マイダン革命などが起こった。
新ロシア派のヤヌーコヴィチ前大統領の失脚を招いたマイダン革命ではロシアが猛反発し、クリミア半島のロシアへの再併合、ドンバス地方における戦争を含むクリミア危機、ウクライナ東武紛争、新ロシア派騒乱などへとつながり、親欧米派と親ロシア派との対立が高まり、2022年ロシアによる全面侵攻に発展してしまった。
▲ゼレンスキー大統領
ロシア語で「ヴラジーミル・アレクサンドロヴィチ・ゼレンスキー」。キエフ国立経済大学で法学の学位を取得。制作会社を立ち上げ、汚職で腐敗したウクライナを立て直す正義の大統領を自ら熱演した政治風刺ドラマ「国民の僕」が国民的な大ヒットとなり、2018年に同名の政治政党を旗揚げ。大勢のウクライナ国民の支持を受けて、政治家としてキャリアが全くないまま2019年5月20日ポロシェンコを破り、第6代ウクライナ大統領となる。
特に、2014年に調印されたミンスク合意を認めないという姿勢に親ロシア派からの猛反発にあい、ロシアとの関係正常化も不可能となった。2021年9月にNATO加入を目指して渡米しているが、諸問題を指摘され回答は得られなかった。ここに来て当初70%以上あった支持率も25%まで落ち込んでいた。
2021年10月には、親ロシア派のウクライナ東部の紛争地域でトルコ製のドローン兵器「バイラクタルTB2」を使用し、これに対しロシアはウクライナに対して強い警告を発しているが、2022年3月にはウゼレンスキー大統領はトルコ製のドローン兵器をウクライナ内で生産することでトルコ側と合意している。
落ち込んでいたゼレンスキー大統領の支持率は2022年4月5日現在、80%以上となっている。
▲ロシアのウクライナ侵攻
2022年2月ロシアはベラルーシ軍との合同軍事演習の名目でウクライナ国境付近に10万人規模の兵力を終結させた。これに対して米軍の部隊などが東欧に集まったことで緊張が一気に高まった。
同時期に米国の前大統領ドナルド・トランプが、現大統領ジョー・バイデンによる彼の息子(当時ウクライナの天然ガス会社「ブリスマ・ホールディングス」の取締役)に対するウクライナ検事当局への圧力を解明するようにウクライナに秘密裏に要請したことが漏洩して米国内で問題化している。
同年2月21日、ロシアはウクライナ内の親ロシア派が実効支配している地域「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を国家として承認した。
同24日にウクライナに対して侵攻を開始し、当初数日で陥落すると見られていたウクライナ戦争は2022年4月5日時点でも続いており、ロシアは首都キエフ陥落を諦め東部戦線に兵力を集中するなどしている。
▲参考文献
ウクライナの歴史(https://bit.ly/3x2O0oA)
ウクライナ騒乱(https://bit.ly/3DDjkM5)
クリミア(https://bit.ly/3JbaQN4)
ゼレンスキー大統領(https://bit.ly/3u6bZ4r)
ミンスク合意(https://bit.ly/3j5llXP)
ロシア承認(https://bit.ly/3DHgllJ)
トランプとウクライナ論争(https://bit.ly/3KfUJPN)
ロシア10月革命(https://bit.ly/3JcVOqa)
メンシェヴィキ(https://bit.ly/36VEDfQ)
ボリシェヴィキ(https://bit.ly/3LK4rtV)
ロシア革命(https://bit.ly/3DIJBss)
冬の北海道の旅を始めてはや1ヶ月。函館からスタートして、長万部、洞爺湖、支笏湖、苫小牧、千歳、登別、帯広、えりも岬、釧路、根室、斜里町。網走、旭川、稚内、瀧川、富良野ときて、今札幌。あと小樽と函館で今回の電車とバスの北海道一周の旅は終わりだ。
一つの旅の終わりはまた新しい旅の始まりでもある。今回旅を続けながら次のようなことを考えていた。
「電車旅行とその他の手段での旅行どっちがより深く旅を味わえるのか」
電車とバスを乗り継ぐ旅行の最大のメリットは、天候による体のダメージがほとんど無いことだ。雨が降っていても大雪でも、都市間の移動では、必ず屋根がある状態で移動するので、大移動時に外に出ている時間は乗り物に乗っている時間より大幅に少ない。天候によって運悪く交通機関が止まってしまっても、宿に延泊すれば良いだけなので、ずぶ濡れになって風邪をひくようなこともない。
この点においては、徒歩やバイク、自転車などでの旅よりも体に優しい旅と言える。
しかし、北海道などでは電車やバスが1日に1本しか来ないなんてザラなので、思ったように途中下車などまずできない。つまり、あらかじめ決めた大まかな目的地を渡り歩くようなスタイルになるわけだが、これだと主要な観光地には行けるが、電車やバスが通ってないところには行けないし、大雑把な旅しかできない。これが今回の旅でずっと引っかかっていたところだ。
では、どんなスタイルが良いのか…今回旅をしていて暇な時間が出来ると、ひたすらこの命題について思案をめぐらせた。そしてたどり着いた一つの答えが、軽の業務用ワンボックスカーを寝床にして、車中泊をしながらの旅だ。これのメリットは、電車代や宿泊費がやりようによっては全くかからない点がある。へんにオートキャンプのような体にせず、道の駅やサービスエリアで停車して寝れば良いのだ。これなら、行きたいところへ行ける。軽なので小回りが効く。電車やバスなどよりももっと細かいポイントに行ってみることができる。たまに見つけるコインランドリーで洗濯し、たまにあるスーパー銭湯みたいな観光地の風呂屋なんかで風呂を使う。そしてやはり最大のメリットは、沢山の荷物を持っていける事だろう。
死ぬまでに、このスタイルで日本を回りながら、百名山や人気の山を登り歩く旅をして見たいものだ。
セブを直撃した台風22号(Rai・現地名Odette)から一夜明けたセブ・マクタン島の状況報告が送られてきました。かなりの数の家が破壊されたり大きなダメージを受けたりしている模様です。昨日の未明から起こっている停電もまた復旧していないそうです。
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