築地本願寺さん主催のひろさちや先生の講演会に行ってきました。
ひろ先生は講演会でするどいツッコミで質問者を泣かしたりするそうですが、
わたしが一番すきなスピリチュアリストのひとりです。
うっかりスピリチュアリストなどという言葉を使っていると、きっと「スピリチュアリストってなんなん?」と問われそうです。
かつて、「釈迦如来」について質問したら「如来って何」と問われ、答えに窮したことがありますから。
曖昧に使う言葉にはどんどん切り込んでこられますが、
生きかたや考え方は、大学時代インド哲学を学ばれており、インド好きでいらっしゃるだけあって(?)、
「なんでも来い!」というおおらかさをお持ちで、ご一緒させていただくと楽しく癒される大好きな先生です。
今回築地本願寺を訪れるのは2度目ですが、
初回が、インド舞踊のチャリティイベントの手伝いに誘われ、
インドのバガヴァーン(BalasaiBaba)のマンディール(寺院)の福祉活動を知り、
今回ひろ先生の講演会のお誘いをいただいたのが、
先日そのバガヴァーンにお会いした帰りのインドの空港だったり、
バガヴァーンのところでは思いがけない人に会ったりとか、
(といっても、行く予定のないところに行くことになるときには、たいてい何かあるので、予感はあるわけですが)
小さな驚きを含んだ偶然の連続によって、このお話を聞くことができました。
さて、今回のお話で一番印象に残ったのは、ひろ先生がお母さまにお話になったという
「お浄土へのおみやげ」の話です。
○よそにお邪魔するのだから、なにか手土産を持っていかなければならない。
○手土産は、相手のところに十分にあるものではなく、ないものを持っていかないといけない。
いろんな答えを含んでいて、なかなか面白いです。
ひろ先生がいつもお話になることですが、わたしは「すべては阿弥陀様のせい(因縁)」という考えが好きです。
わたしたちは、すぐ「原因」を見つけようとするけれど、
本当の「原因」など仏にしかわからない、というものです。
痛ましい事件が起きると、その直接の加害者のせいだと私たちは思うわけですが、
その行為に及んだのも、様々な因縁によるものであって、
そのすべてを俯瞰することは、人間の視点ではできないからです。
ただ思い当たることは、この世界には、思いの力というものが確かに働いていて、
皆が信じているように世界はつくられているようなので、
わたしもまた、「社会の役に立たなければ、生きている価値がない」と思ってはいないかと
はっとすることがあるのです。
どんなに素晴らしい考えも、極端に走ってしまうと、ゆがんだ現実を作り出してしまいます。
「ほどほど」
仏教の教えでわたしが一番共感するのは、この教えかもしれません。
来月の築地本願寺さんの仏教文化講座は「いのちのまつり」の著者で陶彩画家の草場一壽さんです。
http://tsukijihongwanji.jp/lecture/culture-of-bukkyo