こんな夢をみました。
旅の途中で、わたしはバスがくるのを待っていました。
すごくわくわくした気持ちで、朝のバス停にいました。
でもなかなか目的地へのバスはきません。
わたしが行きたいのは、Aという町なのですが、A町まで行くバスはありません。
ほんの数キロ先のバス停まで行くバスだけです。
その方向とは違うB行きのバスはたくさんとまります。
そしてB行きのバスは立派なバスで、たくさんの人が乗っています。
あ、Bは、大きい町なのかな、Bに行けば、Aへのバスはもっとたくさん出ているかも。
わたしは、そんな期待をもってB行きのバスに乗りました。
B行きのバスはたくさんの人が乗っていて、Bという町は大きな町なのだなという感じがしました。
行きたいAという町からは、離れていくと思いましたが、
「これだけたくさんの人がBに行くわけだし、きっとバスターミナルがあって、A行きのバスも出ているだろう」
そんな期待をして乗っていました。
Bに到着したら、大きなバスターミナルがありました。
でも、A行きのバスはやっぱりありません。
どうしようかと考えあぐねていたら、C町行きのバスにたくさんの人が乗り込んでいるのが目に止まりました。
「あ、CにはA行きのバスがあるかも」
そうしてわたしはCに向かうことにしました。
でもCに行っても、またA行きのバスはなく、また別の場所へ行くバスに乗りました。
「Aに行きたいんだけどなぁ」
「あの数キロ先に行くバスだったら、路線から外れてなかったかも」
わたしのこころはAに行きたいという気持ちにとらわれたままです。
車窓にうつる美しい景色も目に入りません。
また次の街に到着しました。
残念ながら、またここでもAの方向に行くバスはありませんでした。
わたしは、Aに行きたかったのに、Aに行くバスを待てなかった自分に、いらだち、後悔し、ひとしきり腹をたてたら、あきらめがつきました。
ついにAに行くという目的を変更して、ここから行ける、別の場所を探すことにしました。
わたしは、人があまり行かない場所が好きなので、あんまり人が乗っていない、でもなんだか個性的なバスに乗ることにしました。
街の名前もなんだかとっても秘境を感じるような、そんな場所でした。
ようやくわたしは、「Aに行きたいのに行けない」という無念から解放されたのです。
清々しい気持ちで、初めていく町へのバス旅を楽しみました。
砂埃をあげてガタガタ道を走る感触を楽しみ、夕陽に赤く染まる雲に見とれていました。
着いた町はAからはずっと離れた場所でしたが、わたしはこの旅に出たことにとても満足していました。
わたしは、Aに行くことにこだわり続ければ、Aに行くことができたと思います。
あ、ちがう、と思ったら、引き返すことができました。
そして、少しずつAへの道をたどって、バスがなければ、歩いて、誰かの車をヒッチハイクして、たどり着くことはできたでしょう。
でも、Aに行きたいという思いを持ちながら、違う方向に進み続けるのは苦しいものです。
わたしたちは、いつでも引き返すことができます。
いつでも、行きたい方向へ行くことができるのです。
「ほんとうはこちらに行きたいけれど、行けない」というのは、エゴが見せる幻想です。
わたしたちは、選択することができます。
行きたい場所へと進路を変えることも、
行きたい場所を、つまり、目的地を変えてしまうことも。
わたしたちの旅路はいつも色鮮やかな感動に満たされています。
そこに、わたしたちが、目を向けてさえいれば。
だから今日は、あなたがもし、夢を追いかけているのに、
今の生活に楽しみを見いだせていなかったとしたら、
行き先を変更してもいいのだということを思い出してみましょう。
目的地にとらわれて、旅路の感動を見失わないように。
わたしたちは、旅を楽しむために、目的地を設定しているだけ。
わたしたちは、いつも、夢を生きています。
目的地はいつも、今ここにあるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。
☆じぶんらしく、輝きたい方、「イルカの写真」をクリックしてくださったみなさまに、虹の光のヒーリングエネルギーを送ります☆
にほんブログ村
人気ブログランキングに参加していますこちらもクリックお願いします