ひとが死ぬ、たった一つの理由☆ | Yurielのミラクルな毎日のためのスピリチュアルレッスン☆ 
父のように慕っていた祖父が亡くなった。


前夜、祖父はちょっと不機嫌で、声をかけるのがためらわれた。
だから、目をあわさないように、部屋にあがった。

春休みの最後の日で、テレビでは犬が主人公の映画をやっていた。
とても春休み気分なんかになれない、張りつめた空気が重かった。

早朝、かたんと玄関の扉が閉まる音が聞こえた。

「おじいちゃん、出かけたのかな。」

胸騒ぎがしたけれど、確かめに行くのがこわかった。
不機嫌な祖父に会いたくなかったから。


それから1時間くらいたって、朝になった。
母から、階下に降りてこないように、いわれた。

どれくらい時が過ぎただろう。
「おじいちゃん、亡くなったよ。」
母の言葉のあと、私はすべての感覚を失った。

お葬式でもわたしは泣かなかった。
離人感が強くでていたからだ。
それは、おとなになるまで続いた。


わたしは、ずっと、
「あの夜、声をかけていたら、おじいちゃんは死ななかったかもしれない。」
「朝、もの音に気づいた時、確かめていたら、思いとどまったのに。」
と悔やみ続けた。
だれに、いうこともできなかった。

「私は人殺しだ」くらいに、自分を責めていたから。


あるひとに、聞かれた。

「ひとが死ぬ理由は、たったひとつ。なんだと思う?」


「病気でも死ねない、事故でも死ねない、自殺でも、死ねない。」




「寿命。」




わたしは、わかっていたのだ。
同じ病気にかかっても、助かるひとと、そうでないひとがいる。
同じように、事故にあっても助かるひとと、そうでないひとがいる。
死のうと思っても、死にきれないひとがいる。

死ねなかったひとに、わたしは、言ってきた。
「まだ生きろということね」と。

わたし自身、いろいろあったけれど、今まだこうして生きている。

生きる必要があるうちは、生きて、終われば死ぬ。

でも、それを決めるのは、わたしでも、あなた、でもなく、神さまと
呼ばれたりする、大いなる力。

それが、寿命。

わたしがまだ生きているのは、果たす使命があるから。
いただいたいのちを大切にして生きたいって思う。

祖父がなくなった、あの春の朝から、もうすぐ30年が経とうとしている。